『カーズ/クロスロード』に見る、次世代に受け継がれるディズニー/ピクサーの精神

小野寺系の『カーズ/クロスロード』評

 擬人化された車たちによる社会と、そこで繰り広げられるカーレースの興奮を、ピクサー・アニメーション・スタジオがCGで描いた作品『カーズ』。生意気な若手レーサー、ライトニング・マックィーンが、引退した偉大なレーサーや仲間たちと出会い、人生を学んでいく第1作。『マッハGoGoGo』を思わせるような、レースの裏にある陰謀をマックィーンと仲間たちが暴いていく要素を加えた第2作。そして、3作目となる本作『カーズ/クロスロード』は、第1作の師弟の思い出に立ち返り、今まででレースの神髄に最も肉薄する、シリアスな作品になった。

 数々のレースで伝説を打ち立て、いまやベテランとなったライトニング・マックィーンは、新型の次世代マシンたちに圧倒され、引退を迫られている。逆らい難い時代の流れのなかで、プライドをズタズタにされながらも第一線で再起の道を模索していく本作は、全編を通し、今までにない悲痛な雰囲気に包まれている。しかしそれは、ピクサーがこれまでに取り組んできた挑戦的姿勢を示していると感じるのだ。今回は、その『カーズ/クロスロード』に隠された様々な試みを深く読み取っていきたい。

「クロスロード」が意味する斬新な脚本術

 次世代マシンの台頭で自信を喪失したマックィーンは、新オーナーと、ヒスパニックの女性トレーナー、クルーズ・ラミレスのサポートのもと、最新の設備でトレーニングを行うが、新世代のやり方にマッチせず、速くなるどころか、どんどん自信を喪失していく。彼はラミレスとともにアメリカ各地に旅をしながら突破口を見つけようともがく。通常のアニメ映画なら、その旅を通して、いろいろと大事な何かを発見し、見事ライバルに勝利するという展開になるだろう。だが本作では、いつまで経ってもマックィーンの勝てる条件が見つからない。勝つ要素が描かれずにレースに勝ってしまえば、説得力も感動も与えられない、身勝手な作品になってしまう。いわゆる「スポ根アニメ」の定石を理解している観客ほど、「これ、どうなっちゃうの?」とハラハラさせられてしまうのだ。

 このような流れから、この脚本は失敗なのかと思わされてしまうが、本作は画期的な仕掛けを用意している。ピクサーは集団で意見をぶつけ合い、脚本をブラッシュアップしていく手法をとっているが、その優秀な脚本のなかでも、今回は「技あり」といえるものになっている。そこで本作の邦題「クロスロード」の意味も理解できるのだ。

 そもそも、旧世代が新世代に対して、ベテランの味で勝利するという、誰もが予想できる単純な物語を作ったところで、それは一時の勝利でしかなく、古い世代が衰退していくことになるという事実は依然として変わらない。本作は無責任な希望を与えるのでなく、世代交代というテーマに対して、ひとつの誠実な答えを提示していると感じる。

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