80年代メキシコの麻薬売買や殺人を追体験 おとり捜査映画の観点から『潜入者』の魅力を考察

メキシコの犯罪者たちは、血に飢えた悪魔なのか

 おとり捜査映画の最後の魅力は、他のジャンルではなかなか味わえない、後味の悪さである。信用を得て友情を育むなど、ビジネスを超えて人間の情を交わしてこそ、より深くターゲットの内側に入り込むことができる。しかしそれは、潜入捜査官にとって、裏切ることを前提とした交流なのである。犯罪者とはいえ、家族や身内に対しては、情が深い人間もいる。メイザーは、自分の婚約者に扮した女性捜査官とともに、幹部ロベルト・アルケイノ夫妻と家族ぐるみの付き合いをする関係になってゆくが、アルケイノは極悪組織の幹部にも関わらず、少なくともメイザーに対しては、意外なほど気のいい人物であった。メイザーたちは、その「普通さ」に困惑し、罪悪感を抱き始めることになる。それは、パブロ・エスコバルの組織が、麻薬ビジネスで世界を汚染し、多くの人々を破滅に陥れながら、地元の人々に対しては愛情を持っていたという、人間くさい面に共通するものだ。

 

 ここで、日本の仏僧であり、仏教界の異端児ともいえる親鸞のエピソードを紹介したい。親鸞はあるとき、弟子に「私の言うことを何でも信じるか」と訊ねたことがある。弟子は「はい、もちろんでございます」と答えた。「では千人の人間を殺せと言えば、そうするのか」と親鸞が言うと、「そんなことをできるわけがありません」と弟子は驚いて言った。「ではなぜ、私の言うことを信じるなどと言ったのか。もし人を千人殺すことが正しいことで、どんなことでもできる立場ならば、迷いなく殺すことができるはずだ。それが正しいことであったとしても、たまたま殺すことのできる条件が整わず、事情が揃わないから、殺さないだけのことである。人は、自分が善い心を持っているから、人を殺さないわけではない」ということを親鸞は述べている。

 本作で描かれるメキシコ麻薬戦争や、血の報復など、自分には全く関係がない世界だと思っている人も多いだろう。だが、我々がたまたま80年代のメデジンに生きていたとしたら、パブロ・エスコバルに対してもっと同情的だっただろうし、自分を救ってくれるヒーローだと思っていたかもしれない。そして、彼の求めに応じて人を拷問したり、殺人を犯すことだってあったはずである。我々が殺人を犯さないというのは、「殺してはいけない」という常識が強く働いていることが影響している。いったんそのストッパーが外れ、権力を持った存在から「人を殺せ」と命じられたら、どうなるか分からないのではないだろうか。そのときに、その真の人間性が試されることになるのだ。

 

 メキシコの犯罪者たちは、血に飢えた悪魔ではなく、我々と同じく、血の通った人間に違いない。そして、そういう人間が麻薬を売り、殺人を犯すのである。おそらくその事実は、彼らの内部に潜入した者だけが、肌で感じる真理なのであろう。我々は映画を通し、そのことを追体験することができる。ブライアン・クランストンが演じる、犯罪者のなかに潜入する捜査官の視点は、80年代のメキシコの犯罪者と、我々とをつなぐものとして、スクリーン上に存在しているのだ。

『潜入者』予告編

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『潜入者』
5月13日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・クルーガー、ジョン・レグイザモ、エイミー・ライアン、オリンピア・デュカキス、ベンジャミン・ブラット、ユル・ヴァスケス、エレナ・アナヤ
監督:ブラッド・ファーマン
配給:クロックワークス
2015年/イギリス/カラー/シネマスコープ/デジタル上映/ドルビーSRD/英語・スペイン語/127分/字幕翻訳:井上俊子/原題:THE INFILTRATOR
(c)2016 Infiltrator Films Limited
公式サイト:sennyusha.com

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