『トレインスポッティング』から『T2』へーー描かれる“希望”はどう変化した?

小野寺系『T2 トレインスポッティング』評

 以前と決定的に違うのは、もう彼らに「未来を選ぶ」猶予などなくなっているということである。スパッドはドラッグから抜け出せず自殺を試みるし、ベグビーはEDに悩んでいる。レントンは、あの頃のままに残された自分の部屋で、一作目のアイコンとして機能していたイギー・ポップの『ラスト・フォー・ライフ』の収録されたレコードに針を落とそうとするものの、すぐに針を引き上げてしまう。若者だったときの彼らが怠惰でありながら、それでも光り輝いていられたのは、まだ未来が用意されていたからだ。スクリーンからあふれ出していた彼らの魅力とは、自分の未来を放り出す代償として得られた美しさなのである。本作で触れられている、ベグビーの父親のエピソードは、もう彼ら自身のエピソードそのものである。可能性が閉じられていくなかで、彼らが未来への希望を実感することなしには、レコードが回り出し、当時のような軽快な音が奏でられることはない。

 そのようなダメな中年たちのなかに混じってもがいている若者もいる。ブルガリアからスコットランドに出稼ぎにやって来た若い女性、ベロニカである。彼女の存在によって思い出すのは、英国が国民投票によってEUから離脱したという、実際の出来事である。EUにはルーマニアやブルガリアなどの、比較的貧しい国も加盟しており、そのような国から来た外国人労働者は、国内事情を悪化させる原因として、離脱派から槍玉に挙げられる対象だった。

 しかしイングランドとは異なり、スコットランドのなかでは、EU残留票が6割以上を占めたという。そして、この意見の違いをきっかけとして、スコットランドは一つの国となるべく独立へ向けた運動が加速している。「こんな場所はイングランドの子分のクソ溜めだ」と、前作でレントンに言わしめたスコットランドには、それが良いことにせよ悪いことにせよ、変化の兆しが生まれていることは確かである。そして本作は、ベロニカのような外国人労働者の未来に寄り添うことによって、前作とは異なる希望を与えられているといえる。

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 第一作『トレインスポッティング』は、ダニー・ボイルやユアン・マクレガーたち若い才能が集まって完成させた、バンド初期の大名盤のような映画だ。様々な条件が後押しし、技術的に拙い部分すら良い方向に転がった、一度きりの過ぎ去った奇跡である。その後、ハリウッドで次々に映画を撮り、アカデミー賞で作品賞を含む8冠を制したダニー・ボイル監督も、同じくハリウッドでスター俳優に成長し、『スター・ウォーズ』新三部作でオビ=ワンを演じたユアン・マクレガーも、いまだに当時のインパクトを超えることはできていないと感じる。当時のレコードを鳴らすことができない演出というのは、作り手の意図に関わらず、結果的にそのような意味も付与されてしまっているように見える。

 そして、もし曲が鳴りだしたとしても、それは当時と全く同じ音ではあり得ないだろう。世界は変化し続けているし、スクリーンの向こう側の彼らも、こちら側の我々も日々変化している。本作で鳴らされる新しい音、そして新しい希望が気に入るかどうかは、『トレインスポッティング』に魅了されたことのある観客一人ひとりが、自分の心でそれぞれに判断すればよいことである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『T2 トレインスポッティング』
丸の内ピカデリーほかにて公開中
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
出演:ユアン・マクレガー、ユエン・ブレムナー、ジョニー・リー・ミラー、ロバート・カーライル
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.t2trainspotting.jp

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