有村架純『3月のライオン』義姉役はなぜ“色っぽい”のか? 神木隆之介との関係から考察

 原作のことも、この映画のことも、なにも知らずに観はじめたわたしは、漠然とタイトルの『3月』は『3月11日』のことであろうと予感し、震災で両親を失った少年が将棋を始める物語なのであろうと思っていたが、どうやらそうではないらしいことが冒頭で早々に明かされ、なぜか豊川悦司が登場し、豊川と言えば、阪本順治映画の常連であり、阪本と言えば『王手』という将棋映画があったではないか、などと考えていると、昨年、将棋映画『聖の青春』に出ていた染谷将太が、まるで『聖の青春』の松山ケンイチのごとく別人のたたずまいでやおら姿を現し、さすがに大増量ではなく、特殊メイクだろうな、しかしなんなのだろう、これは、将棋映画の呪いなのかなとぼんやり見つめていると、有村架純が出てきた。

 有村は、クレジットでは、主演の神木隆之介に続く二番手であるが、スクリーンに映るまでかなりの時間が経過しており、この、なかなか出てこない感じは、ほとんどトメ(キャストの最後にクレジットされるひとのこと)みたいだよな、ほんとのトメである豊川やラスボス名人、加瀬亮はいきなり出てきたのに、などと思うヒマもないほど、有村は色っぽかった。神木の部屋に入るなり、足湯をして、その生足をさらすから、ではない。彼女が、神木の帰宅を、神木の部屋の前で待っていたことが、神木の目線で知らされるとき、そのカメラが捉えた有村が無性に色っぽい。

 わたしは物語の背景を何も知らないから、そのとき、神木と有村が扮している人物たちの関係も知らなかったし、前編を観終えたいまも正確なところはよくわかってはいないが、この女性がなにやら疲れた風情で立っている様が無性に色っぽく、ああ、これはツンデレだ、ツンデレに違いないとうっすら妄想していると、有村は神木の耳元に唇を近づけ、なかなかにびっくりするようなことをささやくのだが、その言い方それ自体が、ふたりの関係性、ならびに、この女性キャラクターの性格を如実に物語っており、ごく数秒で、ある意味、すべてが<伝わってしまう>ことに静かに驚いてしまう。

 

 もちろん、それは、演出の賜物であるし、神木の「受け」の演技が良いからなのは明白ではあるものの、なんとなく清純派とパブリックに思われていた有村架純が、疲れが色っぽく映る、上から目線の女を演じるというキャスティングの妙を超えたところで、この女優の芝居は的確に着地していたように思う。前述した足湯以外にも、生着替えの場面があったり、ランジェリー姿があったりと、あからさまな<視覚効果>が用意されてはいるが、そうした<視覚効果>があるから色っぽいわけではなく、それらの<視覚効果>が画面に浮上したとき、そこに違和感がないようにキャラクターがコーディネートされていたことが色っぽいのである。

 両親を交通事故で失ったらしい神木隆之介を、棋士である豊川悦司は引き取るのだが、その家の子供が有村架純だった。棋士の娘なので将棋はしていた。神木も将棋をすることになる。当初は有村にこてんぱんに負かされていた神木だが、やがて棋士としての才能が開花し、有村に勝つまでになる(それどころか、前編の序盤では、師匠である豊川にも勝利している)。これが有村は許せない。しかも、彼女は棋士になる夢を絶たれている。神木は高校生にしてプロ棋士である。

 というようなことが過去の回想も含めて綴られていくが(有村の少女時代を演じる原菜乃華のサディスティックな演技も冴えている)、そうした背景を踏まえなくても、有村が神木の耳元に唇を近づけ、神木が有村のことを「姉さん」と呼ぶことで、悩ましくも愛おしい、血のつながらない姉弟の関係性は瞬時に感じられる。

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