伝統を守り、伝統を壊していくーー『モアナと伝説の海』が伝える作り手のメッセージ
「レジェンド」の復活である。『リトル・マーメイド』、『アラジン』、『ヘラクレス』などで、ディズニー第二次黄金期を支えた、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督コンビが、このほどディズニーのアニメーション作品に、ついに監督として戻ってきた。とくに『リトル・マーメイド』の成功というのは、その後のプリンセス路線を復活させる「ディズニー・ルネッサンス」のきっかけをつくり、ウォルト・ディズニー亡き後、長らく低迷していたディズニー・アニメーションの息を吹き返させた偉大な功績だといえる。その彼らが、本作『モアナと伝説の海』で、はじめての長編CGアニメーションに挑んだ。
基本的にディズニーの長編アニメーション映画は、すでに手描きの製作ではなくなっている。現在、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは表現の可能性がより豊かだと考えられている3DCGの製作手法を選択しており、伝統的な手法の製作部門を大幅に縮小してしまっているのだ。日本では2010年に公開されたジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督の前作、『プリンセスと魔法のキス』は、その後にスタッフをかき集め、かつての手描きの手法を甦らせて作った奇跡のような映画だった。だが、時代は進む。3DCGが主流となったいま、伝統にこだわるだけでなく、あたらしいスタッフたちに、彼らの作家性や魂を伝えることも重要なことだろう。そもそも、『リトル・マーメイド』や『アラジン』にも、部分的にCG技術は導入されていた。そのことによって彼らは新しい表現を生み出してもきたのだ。彼らにとってCGは「敵」ではない。ちなみに、本作のキャラクター、マウイが全身に彫っているタトゥーは、意志を持って動き、歌い踊るが、この箇所については伝統的な手描き技術が導入されている。
『モアナと伝説の海』は、『ロード・オブ・ザ・リング』の原作である『指輪物語』を思い起こさせる、古典的な冒険物語である。その根底にあるのは、『指輪物語』同様に、新しい冒険を求め、自分の可能性を試すことへの熱い想いである。主題歌「どこまでも 〜How Far I'll Go〜」は、まだ見ぬ世界へのあこがれをまっすぐな歌詞と歌声、楽曲によって表現し、観客の心を震わせる。生まれ育った島を後にして、少女モアナは危険と希望に満ちた外洋に漕ぎ出していく。その姿には、あたらしいCGの世界に突き進んでいく監督の心情が重ねられているようにも見える。
近年、ディズニーやピクサーでは人種的に非・白人系のキャラクターを主人公に迎えることが増えている。プリンセスをめぐる、いわば保守的な価値観に、ときに回帰しながらも、一方では多様性を重視してもいるのだ。心優しく活発な面を持ち合わせる少女モアナは、小さな島で村長(むらおさ)の地位に就くが、これに対して、従来のディズニー作品ではありがちだった、村の男と結婚するなどの条件が提示されていないというのが面白い。女と男の様々な差異などはじめから無かったといわんばかりに、女であること特有の葛藤や苦しみ、またはよろこびや恋愛などというものが全く描かれないのである。ここまで社会的な「女」という概念に縛られていない女性の主人公というのは画期的である。さらに、モデルのように痩せ過ぎた体型でなく、よりナチュラルなバランスにデザインされているという点もあたらしい。これはやはりいつか作られなければならなかった作品だろう。そして、このあたらしい価値観を業界最大手であるディズニーが行っているという意味は大きいはずである。