菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 特別編

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

もう、書いててイライラするんで(笑)、一気に結論を書くが

 本作は一種の変形ヤオイであり、うっすーいオタク仕様である。

 後者から説明する。特別ミュージカルに詳しいわけでもない筆者にですら『雨に唄えば』『巴里のアメリカ人』『バンド・ワゴン』というクラシックスから『女は女である』『シェルブールの雨傘(ネタバレになるが、エンディングはまるっきり『シェルブール』と同じ)』といったフレンチ・ミュージカルから『オール・ザット・ジャズ』『世界中がアイ・ラヴ・ユー』といった、ポストモダンからミュージカル・リスペクトの金字塔『glee/グリー』まで、有名どころから臆面もない引用がちりばめられているのがわかり、まあなんというか、間違って成功した若者の無邪気で無知な万能感に満ちているのだが、まあ、誰も指摘しないであろう、一瞬の『オール・ザット・ジャズ』ぐらいかな、気が利いてるのは。という感じで、温さがハンパねえすもの。

 「ヤオイ」に関しては難しい。ヤオイは特殊な人々の特殊なプロダクツではなく、人類全体、特に20世紀人の属性の中でも最大のものだ。

 オペラを全幕見るのがかったるい。なのでアリアだけレコードで聞く。映画全部みるのがかったるい、名シーンだけ編集する。ポルノ映画は面倒臭い。AVになる。フルコースは胃がもたれる。スープとシメだけで良い。こうした一連の、カムショット集は皆ヤオイであると言える。

 筆者の私見はこうだ。飯とポルノだけはヤオイで良い。でも、長編劇映画はダメでしょヤオイじゃ。っていうか、物語というのは、そもそも反ヤオイなのだ(「逆だろ! ヤオイが反物語だ」といわれるだろうが、今やこっちでしょ。あらゆるカルチャーの足場は)。

 さらに指摘が来る。「MGMミュージカルなんてヤオイコイコイですよね?」その通りだ。アステアとロジャースが出会うまでのシーンなんてかったるい、ダンスシーンだけを編集しよう。下手したら、映画におけるヤオイ、という視点の設定が許されるならば、それはポルノ映画とミュージカルに他ならない。

 だが、この映画は、ヤオイとして、取ってつけたようなストーリーが存在し、名人によるダンスシーンだけを見せようとする、ザッツ・エンターテインメントではない。一流の演技力を持つ名優に、唄わせ、踊らせること、この事の価値は今、ハンパじゃない。面倒だから書かないが、完全にそういう時代なのだ。そうでしょ実際。じゃないと『逃げ恥』の説明がつかない。アイドルのスキルが高値安定している限り、この傾向は続く。チャゼルマナーは、なんとミュージカルに適合しており、『セッション』は、潜在的な恐怖ミュージカルコメデイで、『ラ・ラ・ランド』はその顕在化なのである。

 しかしこの映画の、目もくらむような多幸感と恋の気分にうっとりするミュージカル・シーンは、しつこいようだが、還元すれば、良く出来たTVCMが5本ぐらい束ねられた動画コンテンツのポーションとクオリティに過ぎず、代わりに、「人間ドラマ」の部が結構がっつり入っている。恋愛映画としてもしっかり見せたいのである。

 だが、人間の心の動きが全く書けず、ショックと萌えだけで映画の時間を進めるしかないチャゼルマナーで、男女の恋の機微を描けるわけがない。勢い、ラブストーリーの部は、何が言いたいのか、なんでこうなっちゃうのか、線的な流れが全くわからない。「男に才能を見出され、成功する女」というヤオイに再還元されるだけだ。

最後のどんでん返し、どう思いました?

 もう眠くなってきたので、まだまだ書きたいことは2万字ぐらいあるのだが、全部はしょって、ラストの大どんでん返し(チャゼルマナー)の評価に入る。

 どんでん返しと言っても、ネタのあり方が派手なだけで、物語としては、古典的というか(前述の通り、これは『シェルブールの雨傘』を見て、良いなと思った。程度にしか思えないが)「今は成功をつかみ幸せ。でも、この幸せを、本当はあの人と掴みたかった。という想い、ありませんか?」というやつで、何つうか、結局最後もヤオイなのである。

 だって、主人公2人は、共に夢を実現したのだ。大ハッピーエンドじゃないの。予想だにしなかった展開で、いきなり再会したって、良いじゃないの(SNSの存在なんかこの世にないみたいな描かれ方だけれども)。なんでこんな、シリアスな悲恋モノみたいになるかね? まあ、これ見て「わかるわあ」つってうっとりする人々が世界中にいるのである。すごい速さで書いてしまうが、アホか。

 さすがにネタバレはまずいだろうということで、最後のネタは書かないが、そもそも、この2人、いつどこで、どんな感じで別れたのか、それとも別れてないまま離れ離れになったのか、なんだか全然わからないまま話が閉じてしまう。

 こうした指摘は、元ネタである『シェルブール』にもあった。ストーリーをどう咀嚼しても、あんなオペラみたいな大げさな悲恋じゃないんじゃないの? もっと軽く幸福にできたろうに。それでも、あの作品には戦争も絡んでおり、話にそれなりの重みがあった。フレンチミュージカルは、ドラマの充実とミュージカルの夢を融合しようとして、やや無理が祟ったジャンルである。『ラ・ラ・ランド』は、更に現代的で、若手で人間ドラマが苦手なチャゼルくんが、フレンチミュージカルをこじらせたようなものを、音楽への憎悪と恐怖をどぎつく描いた『セッション』からの、返す刀の勢いで作って、今の所、それしかできないとしか思えないパンチドランキング効果で大成功したのだ。暖かく、粋で、ハッピーフィールな素材でも、どぎついのは同じなのである。そして、それを観た誰もが幸福で温かい気持ちになったのである。筆者はそんな世界が嫌いだ。一つでも賞を落とすことを祈るが、叶わぬ夢であろう。主要賞に強烈なライバルもいない。デイミアンは運も良いのだ。最後に、取ってつけたようなフォローではなく、「ミュージカルの部」の音楽は、大変に水準が高い(その代わり「ジャズの部」は例によって、考証も描かれ方も演奏も、もれなくとてつもなく酷い。別に筆者がジャズミュージシャンだから点が辛くなっているのではまったくない)。

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評 第二弾はこちら

(文=菊地成孔)

■公開情報
『ラ・ラ・ランド』
TOHOシネマズ みゆき座ほか全国公開中
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J・K・シモンズ
提供:ポニーキャニオン/ギャガ
配給:ギャガ/ポニーキャニオン
(c)2017 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND.Photo courtesy of Lionsgate.
公式サイト:https://gaga.ne.jp/lalaland/

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