映画とは“窓越しの覗き見”であるーー『皆さま、ごきげんよう』『パリ、恋人たちの影』の構図を考察
来年1月7日より公開されるホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』(2015)に頻出する窓は、『皆さま、ごきげんよう』の窓とも『パリ、恋人たちの影』の窓とも違う特異なものだ。窓そのものよりそのガラスが重要だという点では、『キャロル』の窓に近い。最大の特徴は、窓が登場人物の視線を通過させず、ただカメラが外から窓越しに中の人物を撮ることである。登場人物は覗き見をせず、ただカメラだけが人物たちを覗き見るのだ。
その意味では、『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』の窓が同じ機能を担っている。『ミューズ・アカデミー』では、大学の講義の場面を除き、カメラが執拗に人物たちを窓越しに捉え続ける。主人公の大学教授が女子学生たちと生身の関係を築こうとすると、窓越しのショットはいったんなくなるが、ラスト近くで再び登場する。ガラスの上で光が反射することに注意しよう。ガラスの奥の人物たちの顔を見ようとして、観客は光の戯れを目にすることになる。この映画では、ガラスはカメラのレンズの役割を果たし、その不透明性が強調されている。カメラのレンズは実在を捉えず、その表象しか捉えない。だが、ホセ・ルイス・ゲリンはそこに積極的な意義を見出す。彼は生身の女性ではなく、ミューズというイメージと戯れ、カメラのレンズが捉える表象と積極的に戯れるのだ。
かつてライプニッツは、モナドには窓がないと主張した。映画では至る所に窓が映し出される。確かに、『素晴らしき放浪者』の窓は異なる世界を生きる二人の登場人物を出会わせた。だが、本当に映画の窓は開かれているのだろうか。『皆さま、ごきげんよう』の警察署長は窓という監視装置によって他者と出会えているのか。『パリ、恋人たちの影』や『やさしい人』の窓は他者の見知らぬ姿を発見する四角い枠であると同時に、見つめる人物の強い感情を投影しながら彼を孤立させるスクリーンでもあるのではないか。
『ミューズ・アカデミー』の窓とそのガラスを見ていると、レオス・カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』(1984)のラストに登場した窓のように、全ては閉じているように思えてくる。けれども、それは決して絶望ではない。映画は実在を捉えないが、人間の瞳がそもそもレンズであって、実在を捉えていない。人は実在の世界、すなわち現実世界を生きていながら、表象しか知覚していないのだ。だが、ならば何故、表象に意義を見出さないでいられようか。そして人は映画によってこの表象というフィクションと豊かに戯れることができるのだ。
■伊藤洋司
中央大学経済学部教授。『週刊読書人』で「映画時評」を連載執筆中。単著に、Apollinaire et la lettre d’amour ( Editions Connaissances et Savoirs ).
■公開情報
『皆さま、ごきげんよう』
岩波ホールほか全国順次公開中
監督・脚本・編集・出演:オタール・イオセリアーニ
出演:リュファス、アミラン・アミラナシュヴィリ、ピエール・エテックス、マチュー・アマルリック、トニー・ガトリフ
配給:ビターズ・エンド
2015年/フランス=ジョージア/カラー/121分/1:1.66
(c)Pastorale Productions- Studio 99
公式サイト:www.bitters.co.jp/gokigenyou/
『ミューズ・アカデミー』
2017年1月7日(土)より、東京写真美術館ホール他全国順次公開
監督・脚本・撮影:ホセ・ルイス・ ゲリン
出演:ラファエレ・ビント、エマヌエラ・フォルゲッタ、ロサ・デロール・ムンス、ミレイア・イニエスタ
日本語字幕:高内朝子 字幕監修:岡本太郎
原題:La Academia de las Musas
2015年/スベイン/92 分/デジタル/スベイン語・イタリア語・カタルーニャ語
配給:コピアポフィルム
(c)P.C. GUERIN & ORFEO FILMS
『パリ、恋人たちの影』
2017年1月21日(土)より、シアター・イメージフォーラムにて公開
監督:フィリッブ・ガレル
出演:クロティルド・クロー、スタニスラス・メラール
配給:ビターズ・エンド
2015年/フランス/73分
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