松江哲明の“いま語りたい”一本 第11回

松江哲明の『この世界の片隅に』評:いま生きている現実と地続きで戦争をイメージできる傑作

片渕監督の描くキャラクターは、生きている感じがする

 『この世界の片隅に』には、人間が生きていくのに必要な“欲望”が、とても大事に描かれています。すずさんはちょっとぼんやりとした人なんだけど、寝ているところや、食べるところ、お見合い結婚した旦那さんとだんだんと愛を深めていくところが、ゆっくりとした時間の中で描かれていて、温もりや優しさが皮膚感覚で伝わってくる。片渕監督の描くキャラクターって、ちゃんと生きている感じがするんですよね。声優ののんさんもすごいんだけれど、自然があって、風が吹いて、蝶が舞ってという中で、人物の息遣いまで観客に伝える描写も本当に素晴らしい。

 その説得力は、ディティールを丁寧に描いているのはもちろんのこと、時間の表現からも生まれていると思います。片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09年)も、時間のコントロールがすごいと思いました。公開時、人もまばらなシネコンで観たんですが、僕は「こんなアニメーションがあったなんて」と驚き、何度も涙を流していました。物語で泣いたんじゃないんです、映像の豊かさに心が揺さぶられて、自然と涙が出るような感覚でした。ご飯を食べるところとか人との触れ合いは、スローモーションとかを使うわけではなく、リアルな時間感覚でゆっくり描くんですね。かと思えば、飛ばすところは一気に飛ばして、その演出が気持ちいいんです。日常を丁寧に描いたからこそ、その飛ばした時間も厚みのあるものとして、僕らは想像してしまうわけで、感極まってしまうんです。

 僕は、映画というものは時間を描く表現なんだと捉えていて、映画監督が映画に対して唯一できる演出もまた、時間の演出だと考えているんです。運命を分かつ一瞬をスローモーションにしたり、キューブリックみたいに何千年も一気に飛ばしたり。もっと言えば、カットとカットの間でどんな風に時間を飛ばしたのかとか、ワンカットでどこまで伝えるのかとか。そこが、ほかの娯楽や芸術と大きく違う特徴のひとつですよね。『この世界の片隅に』は、126分の映画で割と長尺なんですけれど、もう少し観たかったなという余韻がある一方、すずさんと何年も過ごしたような満足感があって、それは映画の中の時間が完全にコントロールされているからなんですよ。こういう作品を観た後は、外の景色が違って見えます。

 何十年も議論され尽くされたことですが、映画は単なる娯楽であっても別にいいんですよ。でも、それだけのものだったら映画はここまで生き残っていないし、大きなニュースになったり、人生を捧げようと思う人が出てきたりはしません。観たことによって、その人の内面を大きく変える可能性があるのが映画で、そういう体験をしてきた人間が次の映画を作るんです。『この世界の片隅に』は、誰かにとっての人生の一本になりうる可能性があるし、将来はアニメーションに携わりたいと考える人も出てくるでしょう。

 今年は『君の名は。』や『聲の形』などアニメーション映画が大きな話題になりました。きっと『この世界の片隅に』も比較されることでしょう。でも、アニメーションは「映画」を作る手法のひとつです。アニメーションだから凄いんじゃなく、映画として凄いんです。そういう枠を超えて、今年を代表する映画の一本になったのは間違いないと思います。

(構成=松田広宣)

■松江哲明
1977年、東京生まれの“ドキュメンタリー監督”。99年、日本映画学校卒業制作として監督した『あんにょんキムチ』が文化庁優秀映画賞などを受賞。その後、『童貞。をプロデュース』『あんにょん由美香』など話題作を次々と発表。ミュージシャン前野健太を撮影した2作品『ライブテープ』『トーキョードリフター』や高次脳機能障害を負ったディジュリドゥ奏者、GOMAを描いたドキュメンタリー映画『フラッシュバックメモリーズ3D』も高い評価を得る。2015年にはテレビ東京系ドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』の監督を山下敦弘とともに務める。

■公開情報
『この世界の片隅に』
11月12日(土)テアトル新宿、ユーロスペースほか全国ロードショー
出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、澁谷天外
監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
企画:丸山正雄
監督補・画面構成:浦谷千恵
キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典
音楽:コトリンゴ
プロデューサー:真木太郎
製作統括:GENCO
アニメーション制作:MAPPA
配給:東京テアトル
(c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
公式サイト:konosekai.jp

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