松田龍平演じる“ダメ人間”が面白い! 現代社会で輝く『ぼくのおじさん』の魅力

 寺島しのぶが演じる義姉は、おじさんに出て行ってもらいたい一心で縁談話を持ち掛けるが、おじさんは気乗りがせず、見合い写真を厳しく批評してばかりいる。雪男くんの幼い妹は、「おじさんは断られることがこわいのよ」と鋭い指摘をする。だが、おじさんが結婚話を回避しようとする理由は他にもありそうだ。それは、社会的責任を出来得る限り放棄することで、世間並みの労働をしていたくない、いつまでも子供のように自由な存在でありたいという願いがあるということではないだろうか。

 それは、おじさんが哲学を勉強する大学講師であるというところに関係してくる。アリストテレスのようなギリシャの哲学者は、労働を蔑視し、奴隷に働かせて自分たちは自由な発想を羽ばたかせ、高尚な議論や文筆に興じるという生活をしていた。もちろん奴隷制を容認することは「悪」であるが、その犠牲のもとにギリシャ哲学が発展し文化が振興したというのは確かではある。現代社会、とくに日本では、権力も金もないのに人並みに働かない人間は「悪」だと見なされ、「ダメ人間」というレッテルを貼られてしまう。だが、おじさんが勉強しているような哲学の領域では、そのような社会通念や道徳心を超えた思考が必要になってくる。おじさんは自分の生活でそれを実践しているという面もあるのである。しかし、本作のおじさんのように、それが例えば一人の美しい女性によって狂わされ、ときに学問が欲望に屈するということもまた歴史的必然ではある。

 

 社会通念上「マトモ」である雪男の両親は、本作では「責任」や「常識」の象徴であり、そこから逃れ続けるおじさんは、社会から無駄なお荷物になっている人間だといえる。そんな彼を情けなく疎ましく思う雪男くんだが、その一方でおじさんは雪男くんに、良くも悪くも一般的な社会通念とは異なる価値観を提示してくれる存在であり、このダメさはまた、「責任」や「常識」から逃れる生き方もあるのだという一種の「救い」でもある。

 近年、日本の教育界では行政の要請によって「実学重視」の風潮が見られるという。経済の不振が続くと、社会にとって無駄なもの、役に立たないものは切り捨てられていく傾向にある。だが、「有用」なものしか評価されない社会というのは、なんとつまらなく貧しいものだろう。殺伐としていく社会のなかで、ある意味本作のおじさんは「豊かさの砦」である。そして、彼のダメさを容認し笑って楽しめるというのは、我々観客のささやかな救いでもあるのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『ぼくのおじさん』
11月3日(木・祝)全国ロードショー
監督:山下敦弘
出演:松田龍平  大西利空(子役) 真木よう子 戸次重幸 寺島しのぶ 宮藤官九郎 キムラ緑子 銀粉蝶 戸田恵梨香
原作:北杜夫「ぼくのおじさん」(新潮文庫刊)
(c)1972北杜夫/新潮社 (c)2016「ぼくのおじさん」製作委員会
公式サイト:www.bokuno-ojisan.jp

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