『ジェイソン・ボーン』はどう生まれ変わった? リアリズムを深化させた脚本と映像

 かなり改変されているとはいえ、『ボーン・アルティメイタム』までは80年代に書かれたロバート・ラドラムによる原作があった。だからブライアン・ヘルゲランドなどの名脚本家の手腕を持ってしても、急進的な映像表現に対して、物語自体は基本的にクラシカルなものを背負い、現実とのリンクも薄かった。しかし本作では、「ボーンとは何か」という問いを考え抜き、今までのシリーズの要素を、もう一度組み直して新しい解釈に落とし込んでいる。そして本作は答えにたどり着いた。だからタイトルが『ジェイソン・ボーン』なのである。

 ボーンが戦うのは何故か。CIAが彼を追い殺そうとするのは何故か。それは真実という名の「情報」を得るためであり、知られたくない「情報」を隠ぺいするためである。経済や軍事、国防においても、また個人においても、現代社会のなかでは「情報」こそが最も重要なものとなってきている。インターネットの発生や、PCや携帯端末の普及、そして世界的なソーシャル・サービスの出現は、情報という意味において社会を劇的に変貌させていることは言うまでもない。本作でも名前が挙がるように、エドワード・スノーデンやジュリアン・アサンジという人物が、インターネットを媒介して政府の機密情報を一気に世界に拡散するという事態も起きた。

 

 いままで国家が独占してきた情報が、一般の市民に行き渡っていくという状況は、まさに一種の「市民革命」といえるかもしれない。だが、この状況は一方で、さらなる国家の支配という可能性をも生んだ。インターネットの発達によって出現した、国家をはるかに超える規模の個人情報を扱う民間企業を、政府が秘密裏に取り込むことによって、事実上、世界中の情報の監視が可能になるのである。そして、それはすでに行われているのかもしれない。

 本作では、「情報」による社会の劇的変化を背景に、「情報」を奪おうとするボーンが活躍する。そこには、かつてないダイナミズムがある。ジェイソン・ボーンが物語を飛び出して、現実の社会のなかに、はじめて血肉をともなって現れたのである。

 もうひとつ、本作に組み込まれているのが、CIAのなかの「古い世代と新しい世代」という対立軸である。ジョージ・ブッシュが「衝撃と畏怖」と称したイラク空爆のように、彼らが敵とみなした勢力を、ただ力でねじ伏せようとするやり方が限界に達していることは、かたちを変え続けるイスラム系の過激組織によるテロ事件がいまも絶えないことからも明らかだ。まさに『ノーカントリー』での演技によって「古い世代」を体現したトミー・リー・ジョーンズが、ここでも旧勢力を演じ直しているのは象徴的である。

 人間はみな、できれば正しい道を歩み、筋を通した生き方をしたいと望む。だが現実の社会に生きる我々は、ときにその理想を曲げなければならないこともある。権力が歪んでいれば、それに付き従う者も同様に歪まなければならないからだ。筋を通し抜くためには、誰にも寄りかからず、自分の頭と肉体だけを頼りに生きていくしかない。身体に傷とアザを作りながら、地下ファイターとして裏社会の生活を余儀なくされるジェイソン・ボーンは、まさにそういう存在である。反骨精神を鼓舞する、その血だらけの姿は、我々一人ひとりのなかにいる理想の自分の姿でもある。本作は、観客自身が彼の後ろ姿に自分を重ね「自分こそジェイソン・ボーンだ」と思いたくなる映画になったのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ジェイソン・ボーン』
公開中
監督:ポール・グリーングラス
脚本:ポール・グリーングラス、クリストファー・ラウズ
キャラクター原案:ロバート・ラドラム
出演:マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、アリシア・ヴィキャンデル、ヴァンサン・カッセル、トミー・リー・ジョーンズ
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures
公式サイト:BOURNE.jp

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