「北野武作品が大好きなのは事実」ーーメキシコの新たな俊英、ミシェル・フランコ監督インタビュー

『或る終焉』監督インタビュー

「自分は常に、映画は“個人的”なものであるべきだと思っている」

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——あなたのこれまでの映画体験について教えてもらえますか? どんな作品を観て映画監督を志すようになったか。そして、どんな作品に最も強い影響を受けてきたか。

フランコ:映画が持つ“力”を初めて発見したのは、15歳の時に観たルイス・ブニュエルの作品や、ヴィム・ヴェンダースの作品でした。特にヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』で、物語が天使の目線から語られているところ。あれは、自分にとって「映画のあり方」を教えてくれた天啓のようなものでしたね。映画監督という仕事は、暗闇の中に座っている何百人、何千人の人たちに、人間の深い部分から同時に語りかけることができる。そういう意味で、映画は素晴らしい表現方法だと思いました。そこから映画監督を志すようになって、19歳になって短編映画を撮り始めて……その頃に作っていた作品の中には、上手くいったものも、いかなかったものもありますが、そこから自分の映画監督としてのキャリアは始まりました。

——ところで、近年の映画界において、“作品の背景”としてのメキシコという国は、麻薬戦争の舞台として描かれる機会がとても多くなっています。一方で、あなたを始めとするメキシコ出身の監督は、その題材にあまり興味を示しているようには見えません。何か、その理由はあるのでしょうか?

フランコ:他の監督のことはわかりませんが、個人的には麻薬戦争についてとても強い関心があります。ただ、それを物語として語るなら、何か新しい視点、何か新しいテーマを見つけないといけないと考えています。自分は常に、映画は“個人的”なものであるべきだと思っています。だから、もし自分が麻薬戦争について映画を作るとしたら、それは“個人的”な描き方でなければいけません。まぁ、それについて今は深く探求しているわけではないのですが、興味はすごくありますよ。メキシコが麻薬にまつわる暴力で荒れていることは、今や何の秘密でもないですから。もしそのテーマを探究する方法が見つかったら、それについての映画を作ることはあると思います。でも、麻薬戦争をスタイリッシュに描いたり、理想化して描くことには反対です。それはハリウッドがやっていることで、僕はいいことだとは思いません。自分が作るなら、そのような映画にはならないでしょうね。

——メキシコ国外で活躍する監督や役者は確実に増えていますが、現在のメキシコ国内の映画界はどのような状況なんでしょうか?

フランコ:メキシコでは昨年140本の長編映画が撮影され、それはこれまでメキシコで最もたくさんの映画が制作された年であることを意味します。でも、そのうちの5パーセントから10パーセント程度の作品しか正式には配給されません。それが今のメキシコ映画界の現状です。フランスや他の国々のように自国の映画の配給が法的に守られていないので、メキシコでもそれが進められるべきだと自分は考えています。

——最後に、まだ日本での公開は決まってませんが、メキシコで撮った次作の『A los ojos』がどのような作品なのかについて少し教えてください。

フランコ:『A los ojos』はメキシコのストリートチルドレンを台本なしで追った、半分フィクションで、半分ドキュメンタリー。僕の妹がドキュメンタリーのパートを撮って、僕がフィクションのパートを撮りました。撮影に3年もかかったのですが、どちらかというと実験的な映画ですね。物語をアドリブで作りながらストリートの子どもたちと撮影するのはとても楽しかったですよ。

(取材・文=宇野維正)

■公開情報
『或る終焉』
5月28日(土)より Bunkamura ル・シネマほか全国順次公開
製作総指揮:ティム・ロス
製作・監督・脚本:ミシェル・フランコ
出演:ティム・ロス、サラ・サザーランド、ロビン・バートレット、マイケル・クリストファー
提供:ギャガ
配給・宣伝:エスパース・サロウ
(c)Lucia Films-Videocine-Stromboli Films-Vamonos Films–2015 (c)Credit photo (c)Gregory Smit
公式サイト:http://chronic.espace-sarou.com/

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