マイケル・ファスベンダーが暴君を怪演する『マクベス』、その狂気の裏側にあるものとは?

 今年はウィリアム・シェイクスピア没後400年の節目にあたる。この天才作家が遺した名作は数知れず。とりわけ彼が42歳の時(1606年)に執筆した『マクベス』は、『ハムレット』『オセロー』『リア王』と並ぶ4大悲劇のひとつとしてあまりに有名だ。

 演劇であれ映画であれ、シェイクスピア作品に真向かう表現者の使命とは伝統を受け継ぎなおかつ革新を遂げていくことにある。そしてここに、新たな血肉を与えられた『マクベス』が降臨。マイケル・ファスベンダーという今最も冒険的で、危なっかしい心情を観るものの共感を引き出しながら巧みに表現できる、この複雑怪奇な存在がタイトルロールを演じるのである。はっきり言ってこれは俳優にとっても、監督にとってもキャリアを賭けた挑戦だ。

王位をめぐって狂気が火花を散らす惨劇

 

 『マクベス』の舞台は11世紀のスコットランド。荒野を霧と血しぶきが覆い尽くす中、戦士マクベス(ファスベンダー)がやがて狂気をあらわにしていく物語だ。

 きっかけは魔女たちの「そなたは王になるであろう」という予言だった。それを信じた妻(マリオン・コティヤール)は、気弱な夫に対して現王を殺害し自ら玉座を奪取するよう強く促す。悩みながらも主君の寝ている隙に刃を突き刺すマクベス。その瞬間、血に染まりゆくベッドの上で、彼は王位を得て、同時に何かを失った。やがて予言に囚われるあまり傍若無人を繰り広げる暴君となった彼は、しかし最後はやはり予言によって、無残なまでの転落劇を歩むことに……。

 舞台のみならず、これまで映画化された回数も数多い。オーソン・ウェルズによる監督作も有名だし、ロマン・ポランスキーが監督した作品も美しさと血生臭さに満ちた傑作として知られる。また、日本でも黒澤明が『蜘蛛巣城』を作り上げ(マイケル・ファスベンダーは映画版のお気に入りとして本作を挙げている)、演劇界では故・蜷川幸雄が手がけた舞台もまたイギリス公演で賞賛を集めた。

 人はなぜ、『マクベス』の物語に惹かれるのか。時に過激な表現が好まれることも多かったシェイクスピアの時代には、その残虐性が関心を引きつけ、「なんてひどいやつだ!」と蓄積されたフラストレーションが終盤の転落劇で一気に解消されるという劇的効果もあっただろう。しかしその後、数百年にわたり受け継がれる中で、人々はこの古典の中にむしろ「自分自身」を見出す機会を得たのではないか。

 予言という引き金によって己の深層心理に抱えた野望がみるみる吹き出し、やがては予言によって運命を支配されてしまう主人公、マクベス。人々が彼に共振するのもわかる。確かにこの世の中には、何かを得ることで取り憑かれ、その狂気のあまり何かを失ってしまう人間があまりに多い。

映画ならではのマクベス像とは?

 

 映画とは時にスペクタクルであり、ディテールである。今回の映画版『マクベス』の特徴もその点に尽きる。まずは序盤の戦闘シーンの迫力。時の声をあげながら刃を振り上げて突進していく戦士たちをスモーローションで刻んでいく。原作では返り血を浴びた伝令による「報告」によって伝えられる生々しい戦場の光景がここではしっかりとスペクタクルとして描かれている。そこではまだ少年のような若き兵士たちを含む多くの仲間を殺され、それでもなお突き進むマクベスの雄姿と、その後にひとつひとつの遺体を弔う姿とが映し出される。死んでいった者たちに対する責任と、いつ自分も戦場の塵と化すか分からない未来の見えなさ。そんな無慈悲な運命を生きる男の心情が見て取れる。

 さらに本作と真向かう時に注目したいのが冒頭である。ここでは痛ましい表情に包まれたマクベス夫妻が自らの幼い子供を埋葬する場面が描かれる。これは原作には全く存在しないシーンなのだが、夫妻に子供がいた可能性については原作にも妻の言葉として「わたしは子供に乳を飲ませたことがある」と記してある。おそらくはここから作り上げた場面なのだろう。果たして戦乱で死んだのか、病死なのか。原因は分からない。ただ世界が全て色あせたかのような絶望だけが、そのシーンから深く沁み渡ってくる。

 子供の死と、戦場で積み上げられた屍の山。それらを経たところで、3人の魔女が現れる。彼女たちは死人のように青ざめた表情で「いずれ王となる」とマクベスの未来を予言するのである。

 これを受け、絶望の中にあった夫婦がこの予言をよすがとして共に心を奮い起こし、王座奪取へ向けた狂気へと自らを駆り立てていった——というのも一つの解釈として成り立つのかもしれない。そして王位を継ぐ血筋がいないからこそ、王位を継承する可能性のある者を惨殺し、追放していったという見方も成り立つだろう。そういった複雑な心理状況を自ずと見る側に想起させる点もまた、ファスベンダーとコティヤールの鬼気迫る演技の賜物である。

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