『スポットライト』、社会派映画としての価値ーーあまりにも大きな“悪”をどう描いたか

 しかしながら、その“悪”の不在は、この映画に社会派映画としての確固たるスタイルを与えることとなった。たとえばこれが、ひとりの神父が行った悪事にフィーチャーした物語になってしまえば、その神父の周囲だけが“悪”として描かれ、ドラマとしては充分かもしれないが、社会派映画としては弱い。大勢いる加害者が、一切姿を現さないことによって、その“悪”があまりにも大きなものだと気付かされるのである。それどころか、この映画には主人公さえもいない。マイケル・キートンをはじめとしたスポットライトチームのメンバーがメインキャストではあるが、不思議なことにクレジット一番手のマーク・ラファロはアカデミー賞では助演男優賞の候補に挙がっているのである。つまり社会派映画には、たった一人のヒーローなど必要がないということである。

 特出したヒーローも悪役も登場しないこの映画において重要なことは、取り上げられている事件が今もなお存在し続けているということで、それを観客が知るということなのだ。多くの人々が、“悪”の存在を意識するということは、既に行われた悪事を明るみに出すだけでなく、未然に防ぐこともできる。ことに、本作が2015年の最高の映画として評価された今は、何十年も何百年も積み重ねられてきた負の歴史を食い止める絶好の機会なのである。そうでなければ、世界中が神の存在に縋ったあの時代に、神父の不正を暴き出したスポットライトチームの勇気は報われなくなってしまう。

 128分間満遍なく展開する会話の応酬と、ロジカルに感情に働きかける崇高であまりにも恐ろしい脚本によって導き出されたラスト、画面いっぱいに映し出される最も恐ろしい文字情報に、言葉を失うだろう。これほどまでに完璧に社会派映画のロジックを踏襲したこの映画を、社会派映画の礎を築いてきたエリア・カザンやシドニー・ルメットが観ることができないというのが、あまりにも残念でならない。

■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。Twitter

■公開情報
『スポットライト 世紀のスクープ』
4月15日(金)、TOHOシネマズ 日劇ほか全国公開
監督:トム・マッカーシー
脚本:トム・マッカーシー、ジョシュ・シンガー
撮影:マサノブ・タカヤナギ 
出演:マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、スタンリー・トゥッチ、リーヴ・シュレイバー ほか
提供:バップ、ロングライド
配給:ロングライド
2015年/アメリカ/英語/128分/原題:SPOTLIGHT/日本語字幕:齋藤敦子
Photo by Kerry Hayes (c)2015 SPOTLIGHT FILM, LLC
公式サイト:spotlight-scoop.com

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