『スポットライト』なぜアカデミー作品賞に? アメリカ社会における作品の意義を考察

 本作の記者達には様々な圧力がかかる。ある記者は「記事になった場合の責任は誰がとるんだ」と言われ、「では記事にしなかった責任は誰が取るんだ」と切り返す。全ての報道人は、真実を人々に伝えるという使命を持っているはずだ。本来やるべきことを無視するということは、真実を語るべきなのに隠蔽しようとするカトリック教会の関係者と根本的に変わらないといえる。それでは、何のためにその職についているのか、何のために生きているのかも分からなくなってしまう。ここで映像として再現された「スポットライト」チームの根性と職責を果たそうという信念の描写は、どれも熱い。本作は派手な見せ場をあえて排除し、静かなトーンが全体を支配しているように見えるが、だからこそリアリズムのなかで内側から燃えるような役者の演技を無理なく引き出している。この静かに心を揺さぶる演出がマッカーシー監督の真骨頂である。

 長年事件をもみ消してきたカトリック教会は、この記事が出たことで、数百人規模の神父を解任し、被害者に直接、教皇が謝罪するなど、事態に対応せざるを得なくなった。すでに被害にあった人々は以前よりも声を上げやすくなり、新しく被害に遭うはずだった子供達の多くは救われたはずである。ひとつのスキャンダル記事で、ここまで社会に影響を与えることができたのだ。被害者団体は、まだ教会は全ての真実を出し切っていないと指摘している。だが、この事件が映画化され全米公開されたことも、教会にとっては打撃であり、さらなる体質改善が迫られるきっかけになるだろう。そしてあろうことか、アカデミー作品賞を獲ってしまった。この「賞」の威光を持って、本作は多くの国の劇場で堂々大公開されるのだ。『スポットライト 世紀のスクープ』は、アカデミー作品賞の受賞に恥じない作品だが、同時に社会的な意味においても、賞を獲ることに意味のある作品だったともいえるだろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『スポットライト 世紀のスクープ』
4月15日(金)、TOHOシネマズ 日劇ほか全国公開
監督:トム・マッカーシー
脚本:トム・マッカーシー、ジョシュ・シンガー
撮影:マサノブ・タカヤナギ 
出演:マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、スタンリー・トゥッチ、リーヴ・シュレイバー ほか
提供:バップ、ロングライド
配給:ロングライド
2015年/アメリカ/英語/128分/原題:SPOTLIGHT/日本語字幕:齋藤敦子
Photo by Kerry Hayes (c)2015 SPOTLIGHT FILM, LLC
公式サイト:spotlight-scoop.com

関連記事