『ディーン、君がいた瞬間(とき)』監督インタビュー

写真家・映画監督アントン・コービンが語るJ・ディーン そしてボノやプリンスとの思い出

 U2、デペッシュ・モード、ニルヴァーナ、デヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツ、ジョニ・ミッチェル……ロック好きにとって、アントン・コービンというフォトグラファーは特別な存在である。彼の写真(多くの作品でジャケットにも使われている)は、何十年にもわたってそのアーティストの「生きた」イメージそのものとなってきた。そして、彼は「ロック出身」フォトグラファーとして、マイルス・ディヴィスと、クリント・イーストウッドと、ロバート・デ・ニーロと、同じような方法論によって素晴らしい作品を残してきた。

 そんな彼がジョイ・ディジョンのイアン・カーティスを描いた『コントロール』で映画監督デビューした時は、モノクロの画面の美しさと作品の完成度に感心したものの、それはあくまでも彼のフォトグラファーとしての仕事の延長上にあるものだと思っていた。ところが。その後、彼はジョージ・クルーニーとの『ラスト・ターゲット』、フィリップ・シーモア・ホフマンとの『誰よりも狙われた男』と、着実に映画監督として独立したキャリアを積み上げていく。そこでは、もはや「写真家アントン・コービン」の痕跡は、注意深く観ないと気付かないほどであった。

 新作『ディーン、君がいた瞬間』は、主人公の一人が早逝したアーティスト(アクター)であるということ、もう一人がその男を撮ったフォトグラファーであること、という点において、「映画作家アントン・コービン」の作品であると同時に、久々に「写真家アントン・コービン」の気配を強く感じさせる作品だ。個人的にも念願だった彼との対面インタビューは、事前の予想とはまったく違ってやたらと「(笑)」が多い楽しい時間となったが、ポートレイト写真家論としても、とても興味深いものとなった。(宇野維正)

ジェームズ・ディーンは当時の若者の「声」を代弁していた

 

——まずは原題の「LIFE」について訊かせてください。このタイトルにしたのは、アメリカの「LIFE」誌に掲載されたジェームズ・ディーンの有名な一連のポートレイト、その時のフォトセッションが本作のクライマックスの一つとなっているのが直接的な理由だと思いますが、それだけが理由じゃないですよね?

アントン・コービン(以下、コービン):この作品で描きたかったのは、一人の人間の「人生」がどのようにして他の人間の「人生」に影響を与えるか、ということだった。それと、この作品ではジェームズ・ディーンの「死」を描いてはいないけれど、観客は本作で描かれた日々の直後に彼が交通事故で死ぬことを知っている。描かれていない「死」の存在を、作品を観ている最中にも感じずにはいられないと思うんだ。だから、そこで「死」の反対側にある「生」という言葉をタイトルにしたかった。

——日本における死後のジェームズ・ディーンは、チャールズ・チャップリンやマリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーと並ぶ、ある時代の「アメリカ」を象徴するベタなポップ・アイコンで、言ってしまえば消費され尽くされたイメージであり、あまりクールなものとして捉えられてこなかったという実感があります。あなたの生まれたオランダ、あるいはフォトグラファーとしての仕事の拠点となったイギリスでは、次世代からはどのような存在として映っていたのでしょうか?

コービン:オランダやイギリスでどういう存在だったかは人によると思うけれど、チャップリンやモンローが特定の作品、特定の映像と結びつけられて記憶されていたのとは違って、ジェームズ・ディーンは名前だけが一人歩きしているような存在だったように思う。名前はみんなが知っているけれど、実際の人物についてはあまり語られていない、というような。もしかしたら、日本ではちょっと違っていたのかもしれないけど、僕が彼の出演していた作品を初めてちゃんと観たのは名前を初めて知ってからずっと経ってから、完全に大人になってからだった。

——個人的に、ジェームズ・ディーンをクールな存在として捉え直したのは、80年代後半にザ・スミスが彼の写真をシングルのジャケットにした時でした。

コービン:「Bigmouth Strikes Again」(笑)。そうだね。でも、自分にとってはザ・スミスがトルーマン・カポーティやテレンス・スタンプなんかと並んで彼のイメージを採用したのは驚きではなかった。イギリスでは、当時そこまでジェームズ・ディーンのイメージは氾濫してなかったんだ。むしろ、今の方がそのイメージが盛んに消費されている気がするね。そもそも、1955年にジェームズ・ディーンが出てきた時は、みんな彼のことを若者たちの「声」を代弁する存在として受け止めたんじゃないかな。当時、彼のような反抗的で無軌道な存在はとても珍しかった。

——あぁ、カウンターカルチャーの始まりみたいな?

コービン:そう。1945年に戦争が終わって、そこから10年経っていたけど、当時はまだ若者の「声」を代弁するような存在がカルチャーの中になかった。そこに現れたのが、ジャズの新しい動きであり、その後のロックンロールであり、その空気を象徴していた役者がマーロン・ブランドとジェームズ・ディーンだったんじゃないかな。

——なるほど。ジェームズ・ディーンの受け止められ方の違いは、同時代にカウンターカルチャーのあった国と、それをポップカルチャーとして輸入した国の違いかもしれませんね。この作品にはジェームズ・ディーンの他にもう一人主人公がいて、それは彼の写真を撮ったフォトグラファーのデニス・ストックで、作品の中で彼は27歳。誰もがあなたがフォトグラファーであることと、作中でフォトグラファーの仕事を描いていることを結びつけると思うのですが、自分が27歳の頃を振り返って、何か思い出すことはありますか?

コービン:もう、かなり昔の話だね(笑)。そうだな、当時よく考えていたのは、被写体と信頼関係を結ぶことができると、他のフォトグラファーには入り込めないところまで入ることができて、そこで写真を撮ることができるということだった。まさに、この作品におけるデニスとジェームズのような関係を、自分も20代の頃にU2、デペッシュ・モード、トム・ウェイツ、マイケル・スタイプ(REM)たちと結ぶことができた。彼らとは本当に長い時間を過ごしてきたし、ある意味でファミリーの一員のような存在として彼らに受け入れてもらえた。信じられないような素晴らしい経験をたくさんしてきたよ。そうじゃない経験もあったけどね(笑)。

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