ドイツの若き名匠が『消えた声が、その名を呼ぶ』で描く、“隠れた歴史”への壮大なる旅路
村から村へ。そして国境を超え、海を越え。その動線はシンプルだが、決して終わりが見えない。そして主人公が思いを口にしない(できない)分、身体全身が極めて強靭な反響装置となって、言葉を超えた感情表現が私たちの心に突き刺さってくる。旅の途中で彼がチャップリンの『キッド』の屋外上映を見るシーンがあるが、彼の存在にもまた、サイレント映画の主人公のような位置付けを付与されているのかもしれない。こういった対比構造がじわじわと発揮されていくのもこの映画の魅力だ。
本作にはこれまでのファティ・アキンが紡いできた、ミニマルな表現から脱した凄みが溢れている。確かに作品の緻密さという点では過去の二作の方が優れていると(個人的には)思う。だが今回はむしろ殻をぶち破り、壮大なスケールの物語を描くという新たな可能性を提示し得たところに大きな意味がある。何しろすべてが型破りだ。撮影はドイツ、キューバ、カナダ、ヨルダン、マルタと5カ国にまたがって行われ、すべて35mmフィルムで撮影。製作年数はトータルで7年に及んだ。
そして今回は様々な世界的巨匠たちも尽力を惜しまなかったようだ。マーティン・スコセッシやロマン・ポランスキー、そしてアルメニア系のカナダ人であるアトム・エゴヤン(彼が監督した『アララトの聖母』もアルメニア人の虐殺に関する作品だった)などの助言がどれだけファティ・アキンを勇気づけたことか。とりわけスコセッシからは、彼がかつて『レイジング・ブル』や『ミーン・ストリート』で組んだ脚本家であるマルディク・マーティン(彼もまたアルメニア系としての出自を持つ)を紹介してもらい、あまりに詰め込み過ぎだったオリジナルの脚本を交通整理し、ぎゅっと濃縮していく過程で大きな貢献を果たしてくれたという。
かくも国際プロジェクトとして一本の映画を成し遂げたトルコ系ドイツ人監督、ファティ・アキン。彼の歩んだ映画作りの道のりもまた、本作の主人公ナザレットの旅路とオーバーラップするものだったことは想像に難くない。そんな過酷な産みの苦しみを経験したことで、ストーリーテラーとしてのファティ・アキンがひと回りもふた回りも大きな存在になったような、そんな印象も受ける。
客席にいながらにして、壮大な旅路へといざなわれ、なおかつ猛烈な感情の嵐にさらされ、もしかすると劇場を出る頃には2時間前に比べて自分が10歳くらい年を取ったように思えるかもしれない。隠れた歴史を知る上でも興味深く、またこの旅路を自分の人生に重ねて見つめると何か底知れぬ力が湧いてくるのを覚える人もいるはず。とにもかくにも映画の持つパワーに圧倒される重厚作であること請け合いだ。
■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter
■公開情報
『消えた声が、その名を呼ぶ』
12月26日(土)角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか、全国順次ロードショー
監督・脚本:ファティ・アキン
共同脚本:マルディク・マーティン
出演:タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、マクラム・J・フーリ
原題:THE CUT
2014年/ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・カナダ・ポーランド・トルコ/シネマスコープ/138分
提供:ビターズ・エンド、ハピネット、サードストリート
配給:ビターズ・エンド
(c)Gordon Muhle/ bombero international
公式サイト:www.bitters.co.jp/kietakoe