『マジック・マイク XXL』が提示する、これからの時代の“マッチョ”像

 超マッチョな肉体とあどけない表情が魅力のハンサム・ガイ、チャニング・テイタムを始めとして、セクシーな男達が惜しげもなく裸体をさらす、圧巻のパフォーマンスで話題になった『マジック・マイク』。その最高のマッチョ・ガイズ達が、再び女性達の熱いまなざしをスクリーンに釘付けにするべく帰還した。それが、前作よりもより「デカい」サイズを表す「XXL」を名乗り、さらにギリギリにセクシーな表現で魅了する、『マジック・マイク XXL』である。

 しかし、本作の魅力はそのようなセクシー描写だけでは終わらない。男性ストリッパー達の旅を通して描かれる、現在のアメリカが直面する新しい男女の関係、真の「マッチョ」とは何かを突きつける革新性など、ストリップという行為を掘り下げた、本作の意外と深いテーマを、前作『マジック・マイク』も振り返りながら、深く迫っていきたい。

アメリカの「男性ストリップ」事情

 

 本編について考える前提として、まず、アメリカにおける「男性ストリップ 」はどのようなものなのかを説明していきたい。現在のアメリカの、プロフェッショナルなスタイルの男性ストリップ・ショーが始まったのは、1970年代だといわれる。普段は女性のストリップ・ショーが行われるストリップ小屋が、月に一度などのペースで女性客限定の日をもうけ、女性ストリッパー同様、男性が衣服を脱ぎセクシーにダンスするショーを披露し始めた。時代とともにショーは洗練され、大会が開かれるなど、安っぽい、汚い、恐いというイメージは少しずつ払拭されてきたが、「アメリカの善良な市民」によって、ショー自体やストリッパー、女性客などが軽蔑の対象にされてきたことは確かだ。90年代においても、アメリカの過激なTVアニメ「ザ・シンプソンズ 」で、主人公一家の少年バートの担任教師が、「お宅の息子さんは…このままだと場末のストリップ劇場で働くしかありません」と親に告げるというギャグに使われるなど、男性ストリッパーが最底辺の職業というイメージがあったことが分かる。

 「男性ストリップ」の是非については、アメリカの進歩的な女性の立場から、大きく二つの考えに分かれると言われている。ひとつは、「女性が性的な商品として消費されている社会状況は許されないため、男性を性的な商品として扱うことも厳しく制限されるべき」という考え方だ。もうひとつは、「女性が性的な商品として扱われているならば、男性の側も女性が商品として消費して良いはずだ」という考え方であり、後者の考えを持つ女性達のなかには、女性向けの性風俗産業やポルノ業界に積極的に参加している人も多い。この考え方に限るならば、男性ストリップを題材とする前作『マジック・マイク』は、進歩的な映画だったといえるだろうし、ある意味で多くの女性観客達の既成概念を破る役割を果たしたといえるだろう。また、この映画のヒットによって暗い業界イメージが飛躍的に向上し、ラスベガスで大々的な公演も行われるようになるほど、「男性ストリップ」 は、女性が堂々と楽しめるショーとして進化してきているのだ。

前作『マジック・マイク』が描いた男性ストリッパーへの共感

 

 前作のヒットの秘訣は、主演のチャニング・テイタムが、モデルとして成功し映画業界に入るまで、実際に男性ストリッパーとして働いていたという経験を活かし、肉体とパフォーマンスの両面で、『フル・モンティ』など、これまでの少ない男性ストリップ描写の映画にはなかったクォリティの表現を達成したことが大きい。そしてマシュー・マコノヒーの舞台でのカリスマ的な熱演は、何度見ても思わず笑ってしまう楽しさを作品に与えていた。

 チャニングが演じる主人公、通称マジック・マイクは、大工として働きながら、夜は、街でトップのストリッパーとして稼ぎ、気ままに不特定の女性達と遊ぶ生活を送っていたが、頭の中ではいつも「こんな生活はいつまでも続かない。俺は40代のストリッパーにはなりたくない」と考えている。そんなときに彼が出会った、しっかりした知性的な女性、ブルックは、現状に不満を持ち、自分の世界を変え人生を落ち着けようとしていたマイクにとって、理想的な相手だった。マイクは、マシュー・マコノヒー演じる、自身もストリップ・ダンサーとして活躍するカリスマ的な経営者ダラスの元を去り、彼女と生きることを決めるのだった。

 この、『サタデー・ナイト・フィーバー』を下敷きにしたという、「いつかは乱痴気騒ぎから卒業しなければならない」悲しみを負った、苦さと希望をともなった青春映画は、男性ストリッパーの人間としてのリアルな心情を描くことで、人間としての共感を与えることに成功したといえるだろう。そして、その続編である本作、『マジック・マイク XXL』は、それとは全く違うアプローチで、男性ストリッパーの世界を捉えなおしている。

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