信長の「首」は、果たしてどこへ消えたのか? 今村翔吾が満を持して「本能寺の変」を描く大作『未だ本能寺にあり』

今村翔吾が作家生活10周年にして挑んだのは、あまりにも有名な「本能寺の変」だった。 織田信長の信厚き家臣であった明智光秀は、なぜ土壇場で主君を裏切り、信長が滞在していた本能寺を襲撃するに至ったのか。その決定的な「理由」は、依然としてわからない。だからこそ、今日に至るまで多くの人々が、その「理由」を推察して、さまざまな創作物を生み出し続けているのだろう。しかしながら、本作『未だ本能寺にあり』(幻冬舎)のメインテーマは、そこではない。本作が真正面から挑んでみせるのは、「本能寺の変」に関するもうひとつの大きな「謎」――信長の遺体の「消失」である。襲撃の最中、劣勢を悟った織田方が自ら火を放つことによって、本能寺は焼け落ちた。だが、明智方のその後の懸命な捜索にも関わらず、信長の遺体はついに発見されなかったのだ。この歴史的な事実が、本作の起点となる。信長の「首」は、果たしてどこへ消えたのか?
物語は、本能寺の変から17日後、羽柴家の若き家臣・駒井八右衛門が秀吉から「密命」を受ける場面より、本格的に幕を開ける。一度見聞きしたことは絶対に忘れない記憶力と鋭い洞察力を持つ八右衛門は、秀吉の小姓・石田三成が日頃から目を掛けていた人物だ。若輩ながらも、非凡な能力を持つ彼に秀吉が託した密命は、「上様(信長)の行方を探ること」だった。 無論、生存の可能性は低いだろう。しかし秀吉の胸には、往時に信長が語った、ある「意味深な言葉」が引っ掛かっているのだった。この事態は、どこまでが信長の策謀であり、残された自分は、主君の意を受けて、これから何をすべきなのか。いわゆる「中国大返し」の果てに、謀反人・光秀を討ち取り、家臣団の中でも抜きん出た存在となった秀吉は、今まさに、誰よりもその「答え」を求めていたのだ。
かくして八右衛門は、護衛役として同行する秀吉の小姓・糟屋助右衛門と共に、「本能寺の変」を生き延びた人物たちの証言を集めていく。最初に訪ねたのは、秀吉の監視下にある明智方の武将・安田作兵衛だ。襲撃した側である彼は、本能寺で何を見たのか。続いて八右衛門が話を聞いたのは、襲撃の最中に本能寺を脱出した少女・夏音だ。信長の女房衆の一員として本能寺入りしていた彼女は、そこで誰のどんな言葉を耳にしたのだろうか。2人の証言は、現場の混乱と緊迫を生々しく伝えるものであり、それはやがて八右衛門の思考を次の段階へと押し進めてゆくことになるのだった。そう、彼らの証言から、本能寺に「抜け穴」があったという噂が、浮かび上がるのだ。さらに調査の結果、本能寺の近隣にあるキリシタンの寺院・南蛮寺に、信長の小姓が出入りしていた事実も判明する。キリシタンたちの繋がりが、この事態と何か関係しているのだろうか。そして、八右衛門の思考は、本能寺に居合わせながら、その後消息不明となっている、特徴的な容姿を持った男――イエズス会の宣教師の従者として来日し、その後、信長の側近として仕えるようなったアフリカ出身の武士・弥助の行方を追うことになるのだった。
あらかじめ秀吉があたりをつけていた4人を糸口に、八右衛門が話を聞くことになった合計8人の証言は、ときに矛盾していたり、肝心なところが抜け落ちていたり――あるいは明らかに何かを隠していたりするものの、それらは徐々に積み重なり、やがてひとつの詳細な「像」を形作ってゆく。あのとき本能寺では、誰がどういう動きをしていたのか。そこに何か不審な点は、なかったのか。八右衛門の中で(そして本書を読む人々の中で)その解像度は、次第に上がってゆく。そう、その在り様は、若き探偵が関係者の証言を手がかりに「密室トリック」を解き明かしていく、本格ミステリ小説のようだ。果たして、その「首謀者」は、誰なのか。そして、その人物の目的は、何だったのか。 八右衛門は、さまざまな人々との問答の果てに、やがてひとつの「結論」へと辿り着くのだった。
ちなみに、信長の遺体どころか骨のひとつも見つからなかったことは歴史的な事実だが、その衣冠墓・供養塔は全国に21箇所ほど存在するという。今村翔吾が本作で緻密に編み上げた物語は、やがてそのうちのひとつの場所へと収束してゆくのだった。史実をもとにした「そうであったかもしれない物語」が、現在と地続きで繋がる「場所」や「もの」と接続してゆく瞬間の興奮――それはまさに、歴史小説ならではの醍醐味と言えるだろう。過去の出来事が現在と響き合うとき、読者は歴史の確かな「手触り」と、過去の人々の「生」を感じることができるのだ。
ところで「作家生活10周年記念作品」と銘打たれた本作には、これまで今村作品を追ってきた読者ならではの「楽しみ」も、随所に用意されている。八右衛門の護衛役・糟屋助右衛門武則は、今村の連作短編集『八本目の槍』(新潮社)で描かれた「賤ヶ岳の七本槍」のひとりだ(「腰抜け助右衛門」)。「弭槍(はずやり)」と呼ばれる特殊な武器の達人であった彼は、なぜ戦線に立つことを拒むようになったのか(そしてなぜ本作で、八右衛門の護衛役を命じられることになったのか)。信長の女房衆・夏音の証言にも登場する信長の小姓・狩野又九郎は、松永久秀の知られざる生涯を描いた『じんかん』(講談社)で、重要な役割を果たしていた人物だ。信長の伝聞役の小姓として、謀反人・久秀のもとを何度も訪れていた彼は、信長・久秀の双方から、どんな話を聞き何を感じていたのだろうか。そして本作において彼は、本能寺でどんな最期を遂げたのか。
さらに言うのであれば、本作の主人公・駒井八右衛門重勝は、のちに関白・秀次の右筆を務め、一級の歴史史料として今も残る『駒井日記』を書き記した実在の人物だ。ひとつの「物語」として見事に完結しながらも、その登場人物たちにはそれぞれの「過去」があり、生き残った者には、それぞれの「未来」がある。実はそれこそが、本作で今村が最も読者に訴え掛けたかったテーマなのではないだろうか。「本能寺の変」という歴史的な出来事に関わった人々の知られざる「生」を鮮やかに描き出すこと。それこそが、一連の作品を通じて今村が常に描こうとしてきたことであり、そこが彼の描く歴史小説の非凡な「面白さ」と「ダイナミズム」の理由なのだろう。『未だ本能寺にあり』は、そのことを改めて実感させてくれるような一冊だ。






















