【追悼】岸惠子:アウトサイダーとして生きた昭和の異世界転移者
女優・作家の岸惠子が、8月7日に老衰のため逝去した。93歳だった。戦後史を代表するスターのひとりである彼女はどのような姿勢で人生を駆け抜けたのか、著作を読んで振り返りたい。
防空壕から飛び出して、日本からも飛び出す
「パリ・東京間の飛行機の中、その無国籍地帯こそが、私の故郷のように感じられる」——岸はいまから3年前、『孤独のレッスン』(集英社インターナショナル)のなかでこう語っていた。
現代のSNSにおいても、何かと外国の話を引き合いに「××国では~」「〇〇国では~」といった話をする者は、ときおり“海外出羽守”などと呼ばれてバカにされる。けれども、40年以上にわたってフランスで生活し、ジャーナリストとして数多くの国を訪れた岸は、海外出羽守とはならず、さりとて日本国と日本人への鋭い視線も失わなかった。みずから、どこにも属さないアウトサイダーの生き方を貫いたといえる。
『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店)ほかの著作で、岸は自分の原風景として、国際都市の横浜に生まれ育ち、外国人の子供とも普通に遊んでいた経験を記している。彼女の生き方に大きな影響を与えたのは、第二次世界大戦末期、1945年5月の横浜大空襲だった。若い兵士から防空壕に退避するように言われたが、暗い穴の中で死ぬのはいやだったので周囲の大人を振り切って壕から逃げ出し、結果的に助かる。当時12歳の彼女は「今日で子供はやめた」と思ったという。
戦後に18歳で女優デビューすると、1953年には主演作の『君の名は』が、後年のアニメ映画に劣らず大ヒット。もっとも、好奇心も行動力も旺盛な岸は、同作で演じたようなメロドラマ女優のイメージが定着するのを嫌った。その後、日仏合作映画の『忘れえぬ慕情』への出演をきっかけに、フランスの映画監督イヴ・シャンピと恋に落ちる。シャンピは第二次世界大戦末期、医学生からドイツ軍に抵抗するレジスタンスの闘士に転じ、抵抗運動の撮影係から映画界に転じた異色の経歴の持ち主だ。
岸はシャンピとの結婚を機に24歳でフランスに渡るが、当時としてはまさに異世界転移だった。どれぐらい異世界だったかといえば、まず当時の日本では、外貨の流出を防ぐため民間人の海外渡航は制限されていた、海外旅行の完全自由化は1964年のことだ。そして、フランスの人々は、日本人は肌が黒くないことに本気で驚いたり、日本を島国ではなく中国大陸の一部と思っていたり、非白人というだけで植民地出身者(ベトナムやカンボジアなどは旧フランス領だった)と思い込む者がごろごろいたという。
フランスに移って以降の岸は日本との間を往復して活動するが、そのなかで交流のあった人物は幅広い。フランスをはじめ海外の映画関係者や文化人では、アラン・ドロン、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトー、サルトル、ボーヴォワール、オードリー・ヘプバーン、ユル・ブリナー、日本では、小津安二郎、木下惠介、力道山、王貞治、長嶋茂雄、現在の上皇后である美智子妃……その他、じつに豪華な顔ぶれだ。
時間も空間も超えた転移者の視線
ここではあえて、岸の女優として華々しい活躍は略する。シャンピとの離婚と死別を経たのち、1983年に『巴里の空はあかね雲』(新潮社)を刊行して以降の彼女は、エッセイスト、ジャーナリストとして健筆を振るった。その文章の端々からは、感情に正直でありつつ、同時に公平であろうとするバランス感覚が読み取れる。
たとえば、文芸大賞エッセイ賞を受賞した『巴里の空はあかね雲』に収録された「東と西」という文章では、日本人は何かトラブルがあれば簡単に相手に謝るのが穏当な振る舞いとするが、偶発的な事態でも謝り、そのくせ後から相手への蔭口めいた愚痴が横行すると記す。これに対し、フランス人は簡単に謝らないし、謝っても「悪かったわ、でも私わざとしたンじゃないのよ」と言うが、これを「私がいちばん嫌いなフランス語」だと述べる。フランス人を理解しようとしつつも自分の感情的な反発をごまかさない。
はたまた、日本エッセイストクラブ賞を受賞した『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社)には、ポーランドが生んだ音楽家ショパンが、ロシア支配下の祖国を逃れてフランスで生涯を終えながらも、死後は自分の心臓をくり抜いて故郷に送らせた話が出てくる。ポーランド取材に同行した記者は気味悪がったが、岸は、自分と同じく遠い異国の地で生きたショパンの行動を「そうした異様さを私は魅力として感じる」と記した。
岸の『30年の物語』(講談社)に付された解説で、作家・ミュージシャンの町田康は、彼女の文章は、遠く離れた場所の間を往還するだけでなく、時間も、さらに思想や宗教、夢から現実、生から死をも軽やかに往還していると論じた。
実際に、日本からフランスという異世界転移を経験した岸は、そこからさらに、革命によってイスラム原理主義国家となった1980年代のイラン、旧ソ連崩壊直後のバルト三国、アメリカとの戦争から20年を経ても戦禍の傷跡が残るベトナム、元夫のシャンピが参加した大戦下のレジスタンス活動、フランスにおけるユダヤ人の立場を大きく変えた19世紀末のドレフェス事件などなど、空間も時間も超えた別の世界について数多くの文章を書き残した。世界各地をめぐった岸の旅と思索では、たびたび一人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピがツッコミ役の相方になっている。
地理ではなく時間に軸を置いて岸の著作を読むと、高度経済成長期の日本も、現在から見れば異世界だ。自伝によれば、シャンピとの結婚式で、夫はフランスの各界のセレブを呼んだので、パリの日本大使にも声をかけると、大スターの彼女でも大使からは「芸能人ごとき」とまるで相手にされなかったという。まだお役人や政治家には日本の映画やアニメが世界に誇る輸出品であり文化交流の手段という認識などなく、芸能人といえば、いやしい水商売従事者のような存在と見なされていた時代だった。
ここではない異世界は、いつでも、どこにも存在し、見方を変えればわたしたちの方が異人であるかもしれない……。岸の著作の数々は、21世紀の日本に生きるわたしたちに、それを教えてくれる。