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あの後藤隊長が70歳で寿司を握る? 『パトレイバー』脚本家・伊藤和典が贈る大人の会話劇が面白い
6月26日のAmazon売れ筋ランキング「本」部門で31位にランクインしていたのが、『『機動警察パトレイバー』 寿司屋の後藤』(文藝春秋)である。『機動警察パトレイバー』シリーズで特車二課第二小隊の隊長だった後藤の、アニメから30年後の姿を描いた小説だ。
脚本・伊藤和典が描く正統派スピンオフ
タイトルの「寿司屋の後藤」とは一体何事か、と驚いたファンも多いのではないだろうか。読んでみれば意外も意外、本の冒頭から本当にあの後藤隊長が、警察官を引退した後に寿司屋を営業しているのである。地物の魚で寿司を握り、サバを酢締めにし、常連客に酒やつまみを出して商売をしているのだ。そういう意味では、まさに直球ストレートなタイトルと言える。著者は『パトレイバー』シリーズの多くの作品で脚本を担当していた伊藤和典氏。正真正銘のオフィシャルスピンオフだ。
ちょっとややこしい話なのだが、先日新作アニメ『機動警察パトレイバー EZY』も劇場で公開された『パトレイバー』シリーズは、単一の世界を描いた作品ではない。「アーリーデイズ」として知られる初期OVA、劇場版2作、TVアニメ、コミック、「NEW OVA」とも表記される後期OVA、実写版などがそれぞれバラバラにリンクしており、大雑把に書くと「初期OVA→劇場版第一作→劇場版第二作→実写版」の流れと、「TVアニメ→後期OVA→EZY』の流れ、そして独立して存在しているコミック版という三つの時間軸がある。それらが微妙にリンクしたり異なる設定を採用したりしながら、パラレルなマルチバースを構成しているのが『パトレイバー』シリーズなのだ。
その辺りの違いをほじくって楽しむのも『パトレイバー』ファンの楽しみなのだが、本作『寿司屋の後藤』は「初期OVA→劇場版第一作→劇場版第二作→実写版」の流れの延長上にある作品だ。つまり第二小隊は劇場版一作目の「方舟」での戦闘を行なったのちに初期メンバーが抜け、散り散りになった彼らは劇場版二作目での柘植行人が仕掛けた東京での「戦争」も経験。そしてその後30年が経過した世界が『寿司屋の後藤』の舞台となっている。あの後藤隊長も70歳ほどになり、元から抜けていた脂っ気が完全に抜け切って、今や頭も完全に白髪。東京を去り、熱海の路地裏でひっそりと寿司屋をやっている。
目立たぬ場所の一風変わった寿司屋ながら居心地は悪くないらしく、何人かの常連客もいる。そんな後藤の寿司屋に、さまざまな客が訪れる。さまざまな事情を抱えて熱海までやってきた男や女、そしてファンとしては期待せざるを得ない懐かしい顔ぶれまで、さまざまな人々と後藤との関わりを描いた全14話の短編集が『寿司屋の後藤』なのだ。
事件は起きない、だが面白い! 名脚本家が魅せる極上の会話劇
舞台は全話ほぼ狭い寿司屋の店内。劇的な事件は何も起きず、後藤も時折客の会話に加わりつつ、基本的には料理をしたり酒を出したりしている。つまり、この小説は基本的には後藤と客たちとの会話劇だ。「面白くなるのか……?」と思うところだが、そこは歴代シリーズを手掛けてきた名脚本家・伊藤和典の腕である。ただの寿司屋での会話劇なのにこれがめっぽう面白く、スルスルと読めてしまう。会話の内容やテンポ感が「酒を飲みながら常連客同士で喋っている」という雰囲気そのままで、まるで居酒屋でちょっと気になる他人の会話に聞き耳を立てているような気分で読める。
後藤の店に通っている常連客たちは言ってしまえば「新キャラ」なのだが、『パトレイバー』世界のキャラクターとしても酒場の常連客にいそうな人物としても違和感なく溶け込んでおり、ファンが長年親しんできた後藤のあの喋りのテンポともきっちり噛み合っている。また、新規キャラクターの設定や物語の舞台となるロケーションに熱海という土地がかなり密接に関わっているのも、長く熱海に住んでいた伊藤氏の知識や思い入れがあればこそだろう。寿司の素材となる魚に関するうんちくも自然に挟まれており、食通っぽい嫌味さを感じさせないのも見事だ。
伊藤氏らしい点で言えば、歴代の『パトレイバー』シリーズで見られたようなパロディ要素が、今回も散りばめられている点も挙げられる。寿司屋が舞台の小説なのに、オカルトや猫、特撮に怪獣といった要素が埋め込まれており、マニアの洒落と酔狂の匂いがちゃんとあるのが嬉しい。そもそも『パトレイバー』自体がマニアの酔狂から始まったようなシリーズであり、ヘッドギアのメンバーだった伊藤氏が70歳を回ってもそのスピリットを忘れていないことは、頼もしい限りである。
では、そもそも後藤隊長はいかにして「寿司屋の後藤」になったのか、そして30年を経た第二小隊の面々はこの小説に登場するのか、30年の間に彼らに何があったのか、そして南雲さんはどうしているのか……といった点については、読んでからのお楽しみとしたいところ。なんだかんだで「若者たちの群像劇」だった『パトレイバー』で、ここまで人生の苦味も旨味も感じさせる物語を紡ぐことができるようになったのか……という驚きがあるはずだ。30年という時間が流れたからこそ可能になった、大人のスピンオフ小説である。
■書誌情報
『機動警察パトレイバー』 寿司屋の後藤
著者:伊藤和典(著)、ゆうきまさみ(イラスト)
価格:1,980円
発売日:2026年6月25日
出版社:文藝春秋