1966年初夏のビートルズ来日時、彼らは東京ヒルトンホテルでどんなふうに過ごしていたのか? 元スタッフが証言
1966年初夏のビートルズ来日時に、彼らと接したさまざまな立場の人々のインタビューをまとめた書籍『ビートルズ来日学 1』(リットーミュージック)が、2026年5月20日に発売された。
登場するのは、4人が日本に向かう日航機にあえて同乗した会社員から、武道館公演をTV放送した日本テレビのディレクター、移動に使われたキャデラックの運転手、滞在した東京ヒルトンホテルのスタッフ、さらにはビートルズが購入した古美術店スタッフなど。膨大な知識に裏打ちされた評論活動が「ビートルズ大学」として浸透している音楽評論家・宮永正隆が、4人の素の姿を浮き彫りにし、ビートルズが日本にいた5日間の細部を次々と明らかにしている。
リアルサウンド ブックでは、『ビートルズ来日学 1』から東京ヒルトンホテルのスタッフだった吉井康人氏のインタビューを一部抜粋してお届けする。
東京ヒルトンホテル ハウスマン
いっぱいサインをもらっておこうと、何度も部屋に行った
ーーまず当時の立場をお聞かせください。
吉井 部屋の掃除の部署でした。今はみんな外注ですけど、当時は僕ら正社員がやってたんです。男はハウスマン、女性はメイドっていう名前でした。メイドはベッド・メイキングとかバスルームの掃除をして、ハウスマンがリネン類とか浴衣とかを業務用エレベーターの方に持ってってカウントしたり掃除機をかけたりするんです。
吉井氏はまず、当時の通行証を見せてくださった。
吉井 これがないと10階には上がって来られなかったの。従業員同士はお互い知ってても警備の人はわかんないからね。だからこれを胸のポケットに入れてました。
ーーでは、サインをもらったいきさつを。
吉井 メイドさんの一人に赤羽ちゃんって娘がいて、彼女と一緒に、みんなに内緒でサインもらいに回りました。赤羽ちゃんは眼のキョロっとしたかわいい娘で、20歳くらいだったんじゃないかな。彼女は当時英会話を習ってたんですよ。機械で習うLL(ランゲージ・ラボラトリー)っていう教室に。だから僕が「一緒に回ってくんない?」って頼んだの。
ーー二人ともビートルズが滞在した10階担当だったんですね。
吉井 そうそう。10階のリーダーは、光安さんっていう女性でした。メイドさんは何人かいたけど男は各フロアに二人だけでした。
ーー掃除の時間とかじゃなく、普通にビートルズが部屋でくつろいでいるときに行ったわけですか。
吉井 あのとき10階はほとんどの部屋が空いてたもん。ほとんど仕事がなかったからね。内緒でサインもらいに行ったのは昼休みかもしんない。だって僕ら、終わる時間になったら詰所でみんなでお茶飲んで揃って帰ってたから。
ーーそのとき入った部屋は我々が今話しているプレジデンシャル・スイートですか。
吉井 うん、ここです。
ーー赤羽ちゃんはLL教室で習った腕を活かして何て言ったんでしょうね。
吉井 ノックして「入っていいですか?」「サインしてもらえる?」とか言ったんだろうね。感じいい人たちで、気さくにしてくれたんだよね。だってこんなにいくつもサインをしてもらったんだから。
ーーこの部屋のどのあたりでしてもらったとか憶えてらっしゃいますか。
吉井 うーん、真ん中あたりの床でしゃがんでやってくれたり。
ーー床でしゃがんで? 空中だと書きにくいからですか。
吉井 床で、本とかを台にして書いてくれた人もいたし、テーブルの上で書いた人もいたんだと思うんだけど。なにしろ4人一緒にいるときにもらったんじゃないから。僕も「四つ揃えたい」って夢中で一人一人探してサインしてもらったの。でも赤羽ちゃんは憶えていないと思う。彼女は自分でほしいと思ったわけじゃなくて、僕のために一緒に回ってくれただけだから。
ーーえっ、彼女はサインをもらってないんですか。
吉井 もらってない。簡単に英語で頼んだだけよ。僕だけがピンナップを折りたたんだものとか雑誌とか、紙袋に入れて持ち歩いてたの。ホテルの従業員がサインもらうなんて厳禁でしたから。よく誰にも見つからないでやったよね。
3点はいずれも『ミュージック・ライフ』66年7月号の巻頭ピンナップである。それを剥がした後の『ミュージック・ライフ』本体も吉井氏は持参くださった。開くと、メンバー一人ずつのページにも直筆サインが書かれていた。
吉井 ポールだけはこのときいなかったんだねえ。
ーーということは、やっぱり別の日にもサインをもらいに行ったんですね。
吉井 そうなんでしょうね。同じ日だったら全部に4人のサインがあるはずですもんね。きっと「いる間にいっぱいもらっとこう」って何度も行ったんだと思う。どうせ彼らも暇を持て余して退屈なんだからっていう感じで。
ーー実際、それを感じられましたか?
吉井 だって、部屋の中をフラフラしている印象があるもの。誰かが出て行ったり、誰かが入って来たり。
ーーそれぞれ「このページにしてくれ」って言ったんですか?
吉井 うん。この人がいるときはこの人のページにしてもらおうって差し出したんじゃないかなあ。
ーーじゃあ、顔の見分けはついたんですね。
吉井 ついたんだろうね。でもビートルズに関して別にどうこう思ってたわけじゃないけど。ただ世間で騒いでたから「あっ、これは」って思ってサインもらったんでしょうね、きっと。
ーーでもよく「これは」って思いましたよね。
吉井 ねえ。当時はこの(ホテルの)中に親しい人がいっぱいいたわけだけど、赤羽ちゃんもこのことはきっと誰にも言わなかったんだろうね。だって彼女は社内結婚したんだから、サインのこと広まってもいいはずなのに。それが全然噂にもなんなければ(笑)。みんなあんまり興味なかったんだろうね。
ーー4人の印象はどうでしたか。
吉井 ジョージは物静かな真面目そうな人っていう印象があるの。ポールは何か陽気な感じ? もういつもニコニコご機嫌。一番あちこち動いてたし。リンゴは何か「みゆき族」みたいにひょこひょこって上下に弾むように歩いてたのが僕の印象。でもジョン・レノンって人は全然印象がないの。きっと静かに気配を殺してたのかなあ。
リンゴのタオルがあった部屋
先程は、吉井氏所蔵のビートルズのサインの数々をご紹介した。それらはカラー・ピンナップや『ミュージック・ライフ』にしてもらったものだったが、今回は「長方形の紙に4人のサインが書かれたもの」をご紹介しよう。
吉井 添えてある記者会見の写真は、ビートルズがチェックアウトした後の部屋に残ってた写真で、こうして額装したのは後になってからなんだけどね。
先にご紹介したサイン類を含め、吉井氏はTVの「開運!なんでも鑑定団」で鑑定してもらったことがある(吉井氏の知り合いが代理出演)。その際に「全部本物、ただしこの紙に書かれたサインは3人が本物で、ポールはマネージャーの代筆」と言われたという。
ここでビートルズのサイン鑑定の権威、トラックスジャパン・加藤亮平氏にも見ていただこう。鑑定結果はやはり「ジョン・ジョージ・リンゴのサインは本物。ポールのサインだけはロード・マネージャーのニール・アスピノールの代筆」ということだった。言われてみればポールのサインだけはどこか鋭角的な感じである。来日時にもらった「3人+ニール」のサイン、これはこれで味がある品ではあるが。
さて次に吉井氏が見せてくださったものは、こんな品だった。
吉井 これはリンゴのタオル。東京ヒルトンのランドリー・バッグに当時から入れっぱなし。なんでリンゴのだっていえるかっていうと、リンゴの部屋に残ってたから絶対そう(笑)。DNAとか検査すればリンゴのだってわかるんだと思うけど。来日の映像見てると、武道館から車に乗るときタオルを1枚ずつ支給されてるでしょう。だからドーランか汗かわかんないけど、拭いたところが茶色くなってるの。
確かに武道館を出るとき、みなタオルを首に巻いて車中で汗を拭っている。当然そのタオルを巻いたままホテルの部屋に帰って来るわけだ。東京ヒルトン時代のランドリー・バッグごと、そのタオルが時空を超えて自分の眼の前にあることに不思議な感慨がある。
このインタヴューをしている場所は、ビートルズの泊まったプレジデンシャル・スイート(ホテル従業員間の通称は「プレ」)の中である。吉井氏と私は、タオルの部屋がどのあたりだったか検証するため、廊下に出た。
吉井 リンゴの部屋は、すぐ向かいのこのあたりでした。向かいはとにかくもう全部空いてたから。
ーーでも向かいに並んでいる部屋はどれも普通のこぢんまりとした部屋ですよね。
吉井 ええ。そうだったと思います。ジョージの部屋もリンゴの近くだった記憶はあるんです。当時ははっきり憶えてたの。だから、これは「リンゴの部屋」にあったタオルだってわかったんです。ただ僕ね、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがどこに寝てたかは、全然印象にないの。
ビートルズのメンバーが普通の個室も使っていたとは。これは画期的な談話である。
「ビートルズの泊まった部屋」として有名な「プレ」は、主寝室と副寝室それぞれ二人ずつ計4名眠ることができる部屋である。だから当然のように「4人はプレで寝ていた」とイメージしていたのだが、言われてみれば確かに10階は貸切状態なのだから空き部屋はたっぷりあった。そういう空き部屋で一人ずつのんびり眠った可能性はいくらでもある。さらにいえば「ジョンとポールはプレの主寝室と副寝室に一人ずつ寝た」という仮説に立てば、吉井氏がジョンとポールの個室が印象にないのも説明がつく。
吉井氏と一緒に、長い廊下を反対方向まで歩く。ここで東京ヒルトンホテル(取材時の名称はキャピトル東急ホテル)10階の見取り図をご覧いただきたい。
吉井 今向かってる部屋のことは、あの本(拙著『ビートルズ大学』)にも出てたよね。エプスタインがあそこに泊まってたのは憶えてる。一番偉い人だった。いい男だったよね。ちょっとこう、おでこのでかい人でしょう? もっとふっくらした人かと思ったけどそうでもないんですね。
我々が話しているのは、インペリアル・スイート(通称「インぺ」)のことである。長年「エプスタインが泊まった部屋」とされていたためほとんど無視されてきた部屋だが、2005年にホテルの隅々まで公式取材させていただいた際、「ビートルズはインぺとプレの両方で過ごしていた」という証拠が見つかり拙著で発表した。それを吉井氏は読んでくださっていたのだ。
ーープレだけでなくインぺも掃除に入られたんですか。
吉井 それが僕、まったく憶えてないの。全然印象にない。あと、向かいのこのあたりの部屋にはずーっと長期で住んでた女の人がいたの。「はせ甚」ってお肉屋さんの社長さんで、東急の五島社長の知り合いだったみたい。
「久保田理真子」さんのことである(『ビートルズ来日学 1』参照)。
吉井 かわいい高校生ぐらいの若い男の子が出入りしてて。朝なんかその子が寝坊して出て来て「どこの子かなあ」と思ってたんだけど、考えたら息子さんなんだね。でも掃除に入った記憶はないの。
ーー不思議ですねえ。いらしたとしたら掃除は毎日入るはずですよね。
吉井 もしかすると女のスタッフだけでやったのかもしれない。普通の、あまり広くない部屋で、僕らハウスマンが掃除機なんかかけられるような部屋じゃなかったから。ベッドの上にドーンと私物とか本とかいっぱい置かれてたから。
さて吉井氏と私はインペ前からメイン・エレベーターまで戻った。上に伸びる残る一辺の廊下を歩く。この廊下の一番奥の右側に業務用ドアがあり、ビートルズが使用したとされているプール・エレベーターなどがある。10階に入るときの関所がこのドアであり、左右の部屋はずらりと日本側関係者の詰所となっていた旨が文献には残っている。
吉井 僕の印象では、そこまでずらっと関係者が詰めてたっていう感じじゃなかったけどね。なんかプール・エレベーター寄りの部屋が二つくらい使われてた程度で、この廊下のほとんどの部屋が空いてた気がする。だから僕ら、とにかく暇だったの(笑)。業務用ドアの向かいの部屋は、ホテルの総支配人一家が住んでました。初代の(オラフ・)ボンデさんじゃなくて、ビートルズの頃はもう2代目の(アンソニー・)クレッグさんだったと思う。
総支配人の部屋は後年、客室に改築されて「ロイヤル・スイート」という名の三番目のスイートルームになっていた。この部屋をホテル従業員が呼ぶときは、さすがに普通に「ロイヤル」である。
※続きは書籍『ビートルズ来日学 1』(リットーミュージック)にて!
■書誌情報
『ビートルズ来日学 1』
著者:宮永正隆
価格:3,520円
発売日:2026年5月20日
出版社:リットーミュージック