『「子供を殺してください」という親たち』誕生の背景は? 漫画家・鈴木マサカズ、仕事場訪問インタビュー【前編】
ひきこもりを続ける子供の暴力的な言動に悩む親たちや、親の過剰な期待に苦しめられる子供たちを描き、非行少年の表面的には分からない心情に迫る漫画も手がける漫画家が鈴木マサカズだ。
自身で2作品の執筆を続けながら、原作をネームにして作画に繋げる構成の仕事も行うという働きぶりで、社会が抱えるさまざまな問題と向き合い続けている。
5月からは介護の闇を暴く漫画の構成も手がける働きぶりの原動力は何なのか? 仕事場を訪ねて話を聞いた。
くらげバンチで『「子供を殺してください」という親たち』を読む
くらげバンチで『教育虐待 ―子供を壊す「教育熱心」な親たち』を読む
漫画家を志したのは幼稚園の頃から
――本日はよろしくお願いします。漫画家の方の仕事場というと、書棚に本や画集が並んでいて机の上も資料や画材でいっぱいになっているイメージがあったのですが、鈴木先生の仕事場は全然違ってスッキリしていて驚きました。
鈴木マサカズ(以下、鈴木):紙世代なので以前は本も何千冊と持ってましたが、今は9割9分デジタルになりました。モニターにネームを表示したりLINEを表示したり資料を表示したりして見ながら描いています。
――作画もワコム製の液晶タブレットですね。サイズがそれほど大きくないのが気になります。
鈴木:コンパクトなものが好きなんです。アップル製品が好きなので大きなタブレットだと机の上の雰囲気が”ワコム”って感じになってしまうので、これで良いんです。ちなみにネーム作業は外でやることが多くて、外出の際に持ち歩く「外セット」というのを作っています。MacBook Airとあとは薄いWacom Movink 13(=ペンタブレット)かな。
――iPadで作画する漫画家の方もいますが鈴木先生は違うんですね。
鈴木:前はiPad Proでやってたんですけど、CLIP STUDIO(=ペイントソフト)のiPad版にどうしてもなじめなくて、そんなときに発売されたのがMovink 13で、これとMacBook Airがあれば出先でもMac版のクリスタで仕事ができるということで、いまのスタイルになりました。iPad ProはiPad Proで好きなのですが。
――まず鈴木先生が漫画家になられたきっかけから伺っていきます。漫画家を志したのはいつですか。
鈴木:もう幼稚園の頃からです。幼稚園のアルバムで漫画や本を作る人になりたいって書いてるんですよね。決定的だったのはやっぱり藤子不二雄(A)先生の『まんが道』です。図書館で「漫画家入門」のような本を探している時に見つけて読んでいました。『まんが道』は中学1年の時にNHKでドラマになったんです。それを見て「上京」という言葉をインプットされて、当時広島に住んでいたんですが、自分はいつか上京するんだという思いを持ちました。
――実際に漫画を描き始めたのは?
鈴木:子供の頃からドラえもんのパロディとか描いてましたね。「少年ジャンプ」の愛読者で新人の読み切りとかも全部チェックしていて、自分もジャンプ作家になるんだって心底から疑ってませんでした。でも、漫画ってそうは簡単に描けないんですよ。荒木飛呂彦先生だったと思うんですが、ジャンプで漫画家を目指す人は、漫画を描くことばかりではなく、経験をした方が良いと言っておられて、それに感銘を受けていろいろな経験をしようと友だちと遊んだり、映画を観たりといった漫画以外のことに興味を向けていました。
――漫画をひたすら描き続けた訳ではなかったのですね。
鈴木:絵を描くのが好きな人って息を吸うように絵を描くんですよね、いつだって気がついたら落書きをしているみたいな。自分はそういうタイプではまったくなかったんです。絵を描きたくて漫画家を目指したのではないのかもしれません。幼稚園のアルバムに書いたように何かを作りたかったんでしょうね。そういう意味では編集者でも良かったのかもしれません。これは、今やっているネーム原作のような仕事にも繋がります。良い絵を描いてもらえるなら自分の絵でなくても全然構わないという感じですね。
――漫画家デビューは大学在学中の1996年で、99年には「月刊コミックビーム」で連載デビューもしました。
鈴木:デビューは「ビッグコミックスピリッツ増刊 21」で、その後はピリッツ本誌で短期集中連載まではしたのですが、自分としては他の雑誌も経験しておきたいと思って、それで「ビーム」が大好きだったので持ち込みをお願いしようと思って電話をしました。そこで「はい、もしもし」と返事をしてくれたのが奥村編集長でした。
――名物編集長の奥村勝彦さんですね。
鈴木:ひと声で奥村さんだって思いました。これはもう運命なんですけど、その日は編集部に奥村さんしかいなかったようで、それで自分の原稿を見てくれることになって見せたら、よしこれで連載行こうって。もう漫画みたいな話ですよね。それからめちゃめちゃお世話になりまして、いまでも感謝しています。奥村さんとのタッグでヒットできなかった、恩返しできなかったことが心残りです。
古谷実先生とすぎむらしんいち先生から学んだこと
――連載デビューの『サルぽんち』はギャグ漫画で、続く『無頼侍』は時代劇。どちらも今の社会性を帯びたドキュメンタリー的な作風とは違っています。いつ頃から社会を描くことに興味を持ったのですか。
鈴木:自分は古谷実先生とすぎむらしんいち先生が師匠で、古谷先生のところでは『行け!稲中卓球部』が終わった後の『僕といっしょ』という作品で1年間アシスタントをしたんです。『稲中』はいわゆるギャグ漫画だったんですけど、『僕といっしょ』は社会性とかストーリー性が出てきた作品で、そこに影響を受けたことがひとつあります。すぎむら先生はオリジナルと原作付きの両方を描かれるんですけど、原作付きの方もオリジナル漫画のように違和感なく自然に巧くて、自分も原作付きをやった方がためになるかもと思って、「週刊モーニング」の編集の人にお願いしたんです。
――それで描かれたのが労働基準監督署を舞台にした『ダンダリン一〇一』ですね。
鈴木:編集者にこういう企画があるからと言われて、いわゆるお仕事漫画だったので絶対に良い経験になると思って広島まで原作者の方(田島隆)にひとりで会いに行ったんです。まだ挨拶レベルということで編集者から連載のお願いはしないでと言われたんですが、原作者の方と呑んでいるうちに言ってしまって、先方も分かったと言ってくれて連載までこぎつけました。原作を構成して圧縮しなければいけないところもあって苦しかったんですが、とても勉強になりました。膨大な量の原作を限られたページ数で構成しないといけませんし、担当氏も原作者の方もクセ者(笑)でしたから、もちろん自分も青臭かったわけですが、それはもう本当に大変で、いい勉強にもなりました。思惑どおりではありました。
――原作の意図を汲みながら漫画にするということも含めて今に繋がっていますね。
鈴木:本当にそうですね。当初から思い描いていたように数年後にドラマにもなってとても嬉しかったです。ドラマ化されると周りのリアクションも全然違ってくるんです。ドラマ化ひとつでここまで反響が違うのなら、やはり漫画は売れないともったいないと、その歳でようやく意識が変わりました(笑)。
――社会問題を提起するような内容で反響もあったと思います。
鈴木:よく言ってくれたとかよくやってくれたといった声もあって、そういうのは嬉しかったですしモチベーションになりました。
――社会を描くことが性分に合っていたのかもしれませんね。
鈴木:昔の話なんですが、ちょっと行き詰まってる時に、編集の人から鈴木さんなんか好きなものないの?って聞かれたんです。その時すごい困っちゃって。うーんって考えて「人間観察ですかね」って言ったら苦笑いされました。曖昧すぎるって。でも、今思うとその人間観察が今描いている漫画に出ている気がします。人間観察って言われてもそれだけでは企画にならない訳です。そこにネタを合体すれば良いって。『銀座からまる百貨店 お客様相談室』という作品もそうでした。
――その辺りから本格的に社会的な漫画を描き始めた感じですか。
鈴木:その頃から電子書籍が流行り出しリアル系の犯罪ものといった漫画漫画が電子で売れ始めたんです。自分も嫌いじゃなかったですし、ベテランになりかかる時期でここで跳ねておかないとさすがに将来厳しいぞって思いまして、『ダンダリン』がドラマにもなったことだしそちら系のネタが良いんじゃないか、自分の好みにも合うし流れにも沿っているとやりだしました。実はその4、5年前くらいから実話系の雑誌で、単発の実録ものの漫画も描いてたんです。そうした雑誌がまたコンビニで売れるということは、いわゆる普通の人が興味があるということを感じていました。ただ、描いていてちょっと罪悪感もあったんですよね。実話誌で、現実にあった未解決事件などを題材にして漫画にする訳ですよ。原作があり、この事件は、実はこれこれこういうことだったんじゃないかとか推理するような内容を数ページで。関係者がこの漫画を読んだらどう思うだろうという思いは、どこか拭いきれませんでした。
『「子供を殺してください」という親たち』誕生の背景
――好奇心を煽るような感じが今の考察系動画に近いですね。
鈴木:芸能人なんか好き勝手に漫画にされていて、それで罪悪感を抱きながらもまだ若かったので、こんなものかといった感じでやっていました。電子のブームが来た時に、もうちょっと違った流れで実録ものがやれないかと考えて、『マトリズム』という漫画を描こうとしました。麻薬取締官を主人公にしているんですが、特別な人ではなく麻薬に手を染めてしまう普通の人を描いていこうと考えていたところに新潮社からメールが来て、『「子供を殺してください」という親たち』という本があってそれを漫画にしないかと言われたんです。
――どう思いました?
鈴木:タイトルを見た瞬間に凄そうだと思いましたね。Kindleで電子書籍が買える時代なのでその場で買って、面白すぎてその日のうちに読破しちゃいました。それで、自分がぼんやりと考えていた自分が描きたい漫画はこういうものだと思いました。でもこれを描けるのか、これを描いて良いのかとも思いましたが、やはり描きたかったので『マトリズム』の週刊連載が始まるところを頼み込んでスケジュールを調整してもらって、2本を同時にやることにしました。
――鈴木さんにメールを出したのは新潮社の編集者の岩坂朋昭さんですね。どうして鈴木さんに?
岩坂:『からまる』の止め絵に無表情の中の怖さみたいなのがあったんです。それを読んで『「子供を殺してください」という親たち』はこの人にしか描けないと思ってオファーしました。空気感が怖いんです
よく目力がすごいとか目が怖いということを言われるんですね。実は美大にいた時に唯一褒められたのが自画像の目だったんです。映画の『シャイニング』みたいにちょっとあごを引いた真正面の顔だったんですが、何かが出かかっている目だと言われました。漫画を描いている時もそういうのが出ていたのかもしれませんね。
――何が出ていたんでしょう?
鈴木:バカだし経験もないし絵もド下手だったけど、もの凄い負けず嫌いで野心もあってそれが出ていたのかもしれません。今も例えばひきこもりの人の目を描く時、いろいろな思いを込めて描いてるつもりなんです。その人の喜びや悲しみ、怒りといったものをすべて。だから、単に死んだような目を描いてるつもりはありません。その人の奥底にある怒り、悲しみを込めて描いてるつもりなんです。読む人にそれが伝わるといいなと思っています。
――『「子供」』は、深川剛さんが続けて来た、ひきこもりを続ける子供がいる家庭に行って親も含めて話し合い、説得して治療に向かわせる活動を綴ったノンフィクションです。響くものがありましたか。
鈴木:家族や知り合いが鬱になったといったことがちょこちょこと起こる業界なので、統合失調症という言葉も含めていろいろと意識はしていて、本を読んだ時にピースがはまったような、答えがここにあるような感じがしました。今まで生きてきた中のいろいろな出来事はこういうことなんだという感じ。自分も一歩間違えたらそちら側にいたんだろうという確信もあったし、親でもあったので子供を殺して欲しいと思ってしまう感覚もある意味分かってしまう。それを漫画にして欲しいという。嬉しさしかありませんでした。
――家族の問題や人の心の闇に入り込むところがあって漫画にしづらい題材だとは思わなかったのでしょうか。
鈴木:企画として通るのか、コンプライアンス的にダメだと言われるんじゃないかといった不安はありましたが、編集者から依頼があった以上は企画として通るといった確信はありました。ただ、描く上で当たり前ながら描き手の力がいるとは思いました。それでも、やはり自分が描きたいのは美少年でも美少女でもなく普通の人なんです。自分とは違う別次元の人を描くイメージはなく、あくまで自分と紙一重の「普通の人」として描きたいと思って引き受けました。
――原作のノンフィクションは1冊ですが鈴木先生の漫画は18巻まで来ていて7月には19巻が出ます。どのように続けてこられたのですか。
鈴木:押川さんの方に、今までの経験を元にした膨大な資料があって、それを元にしたプロットが届く形です。ひとつの事例に対して膨大な写真資料と映像資料と調査資料を2ヶ月間ぐらいで作ってファイルにしているそうで、そのファイルから押川さんの事務所の中でプロットを書いていただいて、写真資料も全部つけていただいたものを借りる形で描いています。
※後編に続く