教科書では学べない、ユダヤ人のイメージと実像のギャップとは? イスラエル問題への理解も深まる『ユダヤ人の歴史』

 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中公新書)が、中東情勢の緊迫による関心の高まりもあってだろう、刊行から1年以上経った今も増刷を重ねている。本書は古代のユダヤ教の始まりや現代のホロコースト、イスラエル建国といった授業で習うような出来事だけでなく、取り上げられることの少ない中世から近代のユダヤ人の歴史も網羅。自分たちの国を失い世界各地で暮らしてきた彼らの、多様な姿を浮かび上がらせる。

 そもそもユダヤ人を一つに括ることが難しいのは、歴史を辿る中で自然と理解できる。ローマ帝国との第一次ユダヤ戦争が、73年にユダヤ軍残党の集団自決により終結。ユダヤ王国が終焉し、ユダヤ人たちは五大陸を放浪していくことになる。意外にも思えるが、居住地は7世紀から13世紀までイスラーム圏が9割を占める。1900年の時点ではユダヤ人口の約半数がロシア帝国で暮らし、20世紀に入ると北米やパレスチナ/イスラエルへの大移動も起きる。その中で、ユダヤ人の二大系統とされるスペイン系のスファラディームとドイツ系のアシュケナジームは、それぞれ使用言語や慣習が異なり、またユダヤ人の間での格差や分断も存在した。

 著者曰く、世界史やユダヤ教の予備知識なしでも読めるように書き、高校の世界史探求の教科書にできるだけ準拠しているという本書。そこではユダヤ人につきまとうイメージや偏見と実像のギャップが、わかりやすく論理的に説明されている。

 たとえば「ユダヤ人=お金にがめつい」は歴史上で、本当に当てはまっていたのか? 疑問を解く鍵は、中世の識字率にある。当時の社会で多数派を占める農民は教育を重視せず、キリスト教やイスラームの文化では読み書きを重視していなかった。一方で、律法の学習が重要なユダヤ教を信仰するユダヤ人は、教育熱心で識字率も高かった。故にがめついからではなく、商売において必要な記録や計算の能力で有利だったからこそ、商人として活躍することができたのだ。著者はそんなユダヤ人の社会的立ち位置を、「中間マイノリティ」と定義する。彼らは利害関係にある権力者に保護されつつ、土地の管理や徴税の請負、商取引などで得た儲けを税金として収める。その様が「権力者の手先」「農民の搾取者」と捉えられ、社会が不安定になると人々の恨みを直接ぶつけられてしまう状況に身を置いていた。

 元よりユダヤ人は他の国の人々と同様、さまざまな職業に就いてきてもいる。15世紀末までにイベリア半島を追われたスファラディームは、移住先のオスマン帝国で経済強化の担い手として印刷や医療に関わった者や役人になった者もいる。19世紀から20世紀にかけてのロシア帝国でユダヤ人は、農奴解放と工業化の影響から農民相手の商業や手工業といった伝統的な職を失い、工場労働に従事する貧困層が増大していた。

 人だけではない。ユダヤ教も時代や環境によって変化していく。各地でユダヤ人は共同体を形成しつつ、「国の法は法なり」の考えのもと、居場所となる異教国家の法に従う。一方で日常レベルでは、律法学者のような役割を持つ「ラビ」の指導のもと、安息日や食物規定といったユダヤ教の法に従って暮らしてきた。近世に入ると、新たな潮流が生まれる。オランダの哲学者バルーフ・デ・スピノザ(1632-77年)は、律法や選民思想の普遍性を批判する合理主義の立場をとり、伝統的なユダヤ教の体制と対立する。18世紀半ばにはユダヤ教の神秘主義を大衆化し、学習よりも祈りを重視するハシディズムが生まれ、東欧一帯で数十万人の信奉者を集めるまでになる。1760年代から70年代にかけて、ベルリンを中心に生まれたハスカラー(ユダヤ啓蒙主義)。その創始者とされるモーゼス・メンデルスゾーン(1729-86年)は、西欧においてユダヤ人の自治権が解体されていく中で、ユダヤ教に閉じこもるのでも近代国家の価値観に同化するのでもなく、「バイリンガル」としてどちらも両立させる在り方を提示した。

 本書で明らかとなるユダヤ人・ユダヤ教の多様さに対して、ユダヤ人迫害の歴史における加害者側の意識は、ほとんど変化が見られない。経済面での妬みだけでなく、近代になると移民嫌悪や民族問題といった要素も加わるが、結局は主語が大きく解像度の低い「ユダヤ人は××だ」を根拠に暴力が振るわれる。その繰り返しの背景には、関係した政府や国際機関による事件の検証・補償の不十分さもあることを、著者は指摘する。

 ユダヤ人の民族的拠点を作ることを目指すシオニストがパレスチナに移住し、1948年に建国したイスラエルは、先住のアラブ人を強引に排除し、周辺国に強硬な姿勢をとる。その根底にある「ユダヤ人のことはユダヤ人自身で守る以外にない」という精神。そして現在の停戦こそしたものの終わりの見えない、ガザ地区での戦闘とイランへの攻撃は、著者の指摘の正しさをリアルタイムで証明してしまっている。

 大国による力での解決に希望は持ちにくい。それよりも日本を含め国際社会がこの問題に関心を持ち続け、禍根を残さないための当事者との対話やケアを行うことこそ必要なのだろうと、本書を読むと思えてくる。「人類は愚かだ」と諦めてしまうのは、まだ早いはずだ。

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