リベラルや左派にも“陰謀論”が増えてきた? 綿野恵太が語る政治とバイアス
ひと月ほど前、Xで陰謀論とある書店の関係が話題になった。「池袋ジュンク堂では、陰謀論は「陰謀論」という棚に置かれている」というポストがバズったのである。反応を見てみると、どうやら「啓蒙的で素晴らしい」から「怪しい本を暴露して並べててウケる」まで温度差はあるものの、いずれにせよこの棚づくりを肯定的に捉える向きが多いようだ。しかし、あえてひねくれた見方をすれば、「陰謀論とその他ってはっきり分けられるもんなの?」「ぶっちゃけ評論とか批評もいろいろなこじつけでものを言ってる点では陰謀論と同じじゃね?」とも言えるのではないか。
そこで、政治と認知バイアスについて論じた『みんな政治でバカになる』(晶文社)の著者であり、インタビューの受け答えやXの投稿でたびたび「これはぼくの陰謀論なんですけど……」と前置きをつけている文筆家の綿野恵太氏に陰謀論について聞いた。
まず、今回バズった書店の陰謀論棚については率直にどう思うのだろうか。
「「アカデミックな知をきちんと身につければ陰謀論を防げるはずだ」というリベラルっぽい期待がこのポストをバズらせたのではないかという気がします。いや、これもぼくの陰謀論かもしれませんが……でも、その期待は間違っていると思う。
秦正樹さんの『陰謀論』(中公新書)などの陰謀論研究では、政治に興味がないひとよりも、政治的なイデオロギーを持った勉強熱心なひとのほうが陰謀論にハマりやすいと言われています。それに、陰謀論といえば右派がハマるものだとイメージがありますが、いまは左右関係なくそういう言説が出てきている。たとえば、一部の左派が言う「統一教会が日本を支配している」という話は、一部の右派が言う「日本のメディアは中国や韓国に支配されている」と同じくらい陰謀論です」
リベラルや左派にも陰謀論が増えてきたのはなぜなのだろうか。
「近年の選挙の結果が大きいのではないでしょうか。とくに出版や新聞、大学業界はリベラルのひとが多く、そこで「リベラルの考えは正しいので人びとはこちらに賛同するはず」と思い込むエコーチェンバーをつくってしまうところがある。ただ、実際の選挙になると彼らの思いに反して保守が圧勝しリベラルが敗北、というパターンがここ10数年続いてきました。陰謀論というのは、「正しい社会はこうあるべき」と強く思っているひとが、そうでない現実を突きつけられたときに事態を無理やり解釈しようとしてハマるものです。
陰謀論は認知バイアスとも密接に結びついています。「第三者効果」というバイアスがあって、有害だと思われる情報は自分よりも他人に大きな影響を与えると考える心理的な傾向があります。つまり、自分は陰謀論には騙されないので大丈夫だけど、他人は騙されやすいと考えてしまうんですね。もし書店の陰謀論棚を諸手をあげて褒めるひとがいるとしたら、そのバイアスにはまってしまっているかもしれません」
自分は陰謀論にはハマらないはずだ、というバイアス――。綿野氏がよく口にする「これはぼくの陰謀論なんですけど……」は、そんな人間本性を知るからこその自戒の意味が込められているのだろうか。
「いや、あれはたんに個人的な邪推を言うのに便利だから使っているだけです(笑)。
とはいえ、なにかとなにかのあいだに因果関係を見出すことは陰謀論の始まりではある。その意味で、ぼくが親しんできた「批評」の世界も陰謀論と近いところがあります。批評は、一見関係のないもの同士を結びつけるところがありますから」
日常を生きるわれわれも、なにかを論じる批評家も、つねに陰謀論と隣り合わせのところにいる。最後に、どうすれば陰謀論にハマらずにいられるのかを聞いた。
「「考えるな、現実を見ろ」。これしかないと思います。もちろん、それが一番むずかしいわけですが。
陰謀論は「結論ありき」なんですよ。まず結論がある。その結論に辿り着くために材料を集めて考えちゃう。だから、不恰好な積み木が出来上がっても、結論があっていれば、それでいいとなってしまう。
結論ありきのスタンスはポピュリズムにも共通します。「安倍政治を許さない」や「脱原発」と最後に一言言ってくれれば、どんな人であれ味方だと思い込んできた。でも、フタを開けてみると、けっこうアヤシイ人も紛れ込んでいたわけです。
そして、ここ10年間、リベラルな勢力は退潮している。選挙で惨敗して現実を目の当たりにすると、「こんなはずはない!」とアヤシイ言説に飛びついちゃう。つい先日もチームみらい陰謀論もありましたね。その下地はできていたわけです。
しかも、ポピュリズムは白黒思考です。敵か味方か、とすぐ考えてしまう。自分たちを苦しめる邪悪な敵の集団がいるという発想につながりやすい。
でも、世の中の多くは白黒つけられないグレーゾーンが広がっているはずです。自民党と統一教会が癒着していたことと、統一教会が日本を支配していることは全然違う。いま問題となっているエプスタイン文書にしてもそうです。
現実には微細なグラデーションがあり、白黒で塗り潰してはいけない。多くの問題は「程度の問題」だと考えるべきです。もちろん、自分だけが現実を知っている、というのも第三者効果の危険性が高い。
いくら明察だと思っても、そこに盲点があること。自分の認知が崩壊する現実がやってくることを歓迎すること。その姿勢が大事なんじゃないでしょうか。批評はそういう驚きを言語化したものです」
右派の陰謀論からもリベラルの陰謀論からも距離をとり、現実に目を向けつづけられるタフな人間でいたい。そうあれるように頑張ろう。いや、「頑張る」とむしろ陰謀論にハマってしまうのか?