藤野知明が映画『どうすればよかったか?』をあえて書籍化した理由「この問いはずっと続いていくだろう」
2024年の年末、ある「家族」を追ったドキュメンタリー映画が公開された。映画の名は『どうすればよかったか?』。ドキュメンタリー映画監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって記録した作品だ。映画は大きな反響を呼び、やがて藤野は映画の書籍化へと取り組むこととなった。
こうして出版された『どうすればよかったか?』(文藝春秋)は、統合失調症を軸とした家族の歴史を同様に追いながらも、映画の公開後のエピソードを含め、さまざまな「映像では伝えられなかったこと」も語られた、映画とは異なった光を放つ一冊だ。本の裏側について、藤野に話を聞いた。(若林良)
映画ではなく本として語りたかったこと
――ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は大きな反響を呼びました。本書はそのノンフィクション版になりますが、本という形でまとめることになった経緯を教えてください。
藤野知明(以下、藤野):出版の機会を得たので、映画の理解に役立つものにしたいと考えました。僕が家庭内における物音や会話の録音をはじめたのは1992年で、ビデオを回しはじめたのは2001年です。姉に統合失調症の最初の症状が出たのは1983年ですので、それぞれ9年、18年の「遅れ」が生まれていたわけですね。
映画では、1983年以前に撮影した写真を使ったりはしていますが、姉の発症前の家庭の雰囲気は、なかなか見えにくいところもあったと思います。実際、観客の方からの「もともと機能不全家族だったから、お姉さんは統合失調症になったんじゃないか」という感想をネットで目にしました。映像に残された家庭の姿は、険悪なムードになっているものが多いので、そのように解釈されるのも無理のないことではあります。ただ、僕の実感からすると、幼い頃の家庭の雰囲気は楽しいものでした。家の中で口論が起きるようになったのは姉の体調に変化が起きてからです。ですので、家庭の雰囲気について、映画では時間の制限があって省いた部分を、もう少し詳しく説明しようと考えました。
そしてもうひとつの理由は、家庭の説明もふくめ、当時自分が感じたり考えたりしたことを伝えたいと思いました。ドキュメンタリー映画の場合、映像記録を伝えることで現象をそのまま提示できますが、本の場合は文字で起きたことの意味を伝える必要があります。ある意味、映像では避けて通ってきた部分について、文章では改めてきちんと向き合う必要がありました。
精神疾患への時代的な認識や偏見
――お姉さんは、幼少期に藤野さんにサンタを信じさせようと頑張っていたり、目玉焼きを作る際に黄身を抜いて代わりににんじんを入れるなど、文章の節々からチャーミングさが伝わってきました。今振り返って、お姉さんはどんな方で、どんな影響を受けましたか。
藤野:「楽しい人」だったという印象がまず浮かびます。たとえば、幼少期の漫画のエピソードですね。『あおい目のこねこ』という童話が当時家にあったのですが、姉は本の余白の部分に、童話に出てくる犬についての漫画を描き込んでいて、それがとても面白かったんです。姉は油絵を学んでいたので、いわゆる美術然とした絵も描いていたのですが、『マーガレット』や『りぼん』の愛読者でもあったので、漫画も得意でした。僕にもいろんな漫画を見せてくれましたし、『あおい目のこねこ』は今でも大切に保存しています。そんな人でしたから、あまりシリアスにならず、楽しさを意識するような生き方は、姉から学んだように思います。
――本書を読んでいると、現代の倫理観との違いも感じました。たとえば、はじめてお姉さんが病院に搬送された際、(のちにこの発言は実際はなく、父の嘘だったことがわかりますが)医師から「精神病院に入院すると心の傷になるから」と言われたことや、藤野さんが大学時代、教員に「姉さんが“精神”(障がい)なら、お前もか?」と言われたことが語られます。当時の精神疾患への認識や偏見が、お姉さんの閉じ込めに作用したところもあるでしょうか。
藤野:自分の生きる時代からの影響は、誰でも受けるでしょう。僕も最近になって知ったことですが、当時はライシャワー事件(注:1964年、駐日アメリカ特命全権大使のライシャワーが、統合失調症の患者にナイフで刺されて重傷を負った事件)などの影響で、統合失調症(当時の呼称は精神分裂病)の当事者を病院に閉じ込めるべきだという論調が主流だったようです。メディアも彼らの脅威をいたずらにあおるような報道を重ねました。ですから、身内に精神疾患の患者が出た際には、ひた隠しにしようとする人もあとを絶たなかったと思います。
加えて、両親は医師だったため、当時の精神科病院の状況を少なからず認識していたでしょう。最近、当時を知るご家族から聞いて驚いたのですが、昭和期にはくも膜下出血を発症し、その後、後遺症が残った人が精神科病院に入れられたとか、病院内でスタッフの数が足りず、患者同士でケアをしていたなどという話があります。そのようなことを認識していれば、姉を患者として精神科病院に入院させることには大きな抵抗があったことは理解できます。実際、映画の公開後には、1980年代の精神科病院の状況を知っている精神科医の方から、「ご両親の行動(姉を精神科病院に受診させず、自宅に軟禁し続けたこと)は正しかった」と言われたこともありました。
現時点の「どうすればよかったか?」への答え
――書籍化を経ても藤野さんは「どうすればよかったか?」と迷っているそうですね。この問いに対して、映画を完成させた時と考えは変わりましたか。
藤野:書籍にするうえでは「どうすればよかったか?」という問いに、自分なりにはっきりと答える責任があると感じていました。映画のタイトルは、編集中に感じていたことをそのまま言葉にしたのですが、本では何かしらの答えを提示しなければならないと思いました。
現時点で僕が思う「どうすればよかったか?」を説明します。姉が正式に統合失調症と診断されたのは、2008年です。そして診断後に入院した姉は、処方された向精神薬がよく効き、少なくともそれまでの状態よりは明らかに良くなりました。調べたところ、この薬が日本で認可されたのは1996年でした。ですから、もし12年早く姉が精神科を受診していれば、この薬を試すことができたかもしれません。これがまず、大きな分岐点であったと思います。
また、さらにさかのぼれば、僕が大学4年生だった1992年も、ひとつの分岐点だったと思います。当時、僕自身が精神的に参っていたこともあり、大学の相談室で、カウンセラーに自分の心の状態や、家庭の状況について話をしたんです。そうしたら、姉だけでなく家族みなが治療に携わる「家族療法」をするのがいいのではないかと提案してくれて、僕もそれがいいと思いました。しかし、両親に伝えても、父はそのカウンセラーの方の論文を探し出して、その内容に納得がいかないと言ってカウンセリングには来ず、母もカウンセリングには来たものの、提案に否定的な態度を示しただけでした。もし、この時になんとか両親の心の奥の声を聴くことができて家族療法をはじめていたら、姉の状態は改善されていたかもしれませんし、4年後に認可された新薬にもそのままたどり着けていたかもしれません。ここで僕を含めた家族が行動することが、恐らくは問題解決への最短経路でした。
ただ、こうして一応の答えを出した今でも、「どうすればよかったか?」という問いが終わったものとは思いません。この問いは、これからもずっと続いていくように思います。
ドキュメンタリーから学んだこと
――これまでのドキュメンタリーの経験は、今回、『どうすればよかったか?』という映画や本を作る中でどのように作用しましたか。
藤野:遠回りな言い方をすると、もし姉の発症がなかったら、僕はドキュメンタリーを作っていなかったと思います。というのは、人に話を聞いてもらうことや、人の話を聞くことの重要性を、姉の発症をきっかけに学んできたことが大きかったからです。
元々、僕は自分が100%で、他人の気持ちになって考えることができない人でした。 それが家のことで困ってしまい、初めて困るということを知りました。先生や職場の上司に相談したことがありましたが、うまくいきませんでした。ただ、飲み屋の店の人や、たまたま知り合ったロックミュージシャンの人が話を聞いてくれたことがあり、それで心が軽くなった感じはありました。向こうからすれば、ただうんうんとうなずいていただけかもしれませんが、僕にとっては、自分の存在を受け入れてくれたような感触があって、大きな救いになったんです。
その後、ドキュメンタリーの仕事をするようになるのですが、いわゆるマイノリティの方たちの話を聞く機会が増え、そこでも認識の変化はありました。話をしてみてわかることですが、多くの方たちには、昔の誰にも相談できず孤立していた自分と同じものを感じました。話をしてくれていても、根底には「どうせわかってはくれないだろう」という思いがあると感じました。
ただ、それは無理もないことではあったでしょう。たとえば僕は「アイヌ遺骨返還」をめぐるドキュメンタリーを制作したことがありますが、そこに原因の一端を見出せると思います。アイヌの方たちは、かつて人類学者たちが研究目的でアイヌの方々の先祖の墓地を掘り返し、勝手に持ち帰った遺骨や副葬品の返還を求めて声を上げ続けてきました。しかし、その訴えは何十年にわたって黙殺され、問題の一部はアイヌの方々の行動によって解決していますが、大部分は残されたままです。そうした黙殺の態度が、彼らの心を閉ざしてきたことが映画を作る中で伝わってきましたし、ドキュメンタリーのキャリアの中で、人の話に耳を傾けることを強く意識するようになりました。
――藤野さん自身が人に話を聞いてもらったことが、人の話を聞くことや、ドキュメンタリーの制作につながっていったということですね。
藤野:そうですね。さらに言えば、人の話を聞くことは「自分のため」でもありました。僕はもともと情愛が乏しい人間だという自覚があり、それが自分の欠点だとも認識していました。ただ、そのような人間が誰かの苦しみを自分なりに理解するためには、人の話を聞くことは避けて通れないことで、いわば僕は、ドキュメンタリーを作るという目的と同時に、自分の人間性を取り戻すという実践を、インタビューを通して重ねてきました。
映画『どうすればよかったか?』は90代を迎えた父へのインタビューで終わります。父にインタビューするにあたっては、これまでドキュメンタリーを作る中で学んだ、人の話を聞く上で意識すべきことを反映させています。ですから、家族から学んだ、自分の話を聞いてもらうことや人の話を聞くことの大切さが、めぐりめぐって家族に対して還元されたと言えるのかもしれません。書籍においては、映画を見ての観客の反応から学んだことや、これまでの僕の作品と今回の映画との共通点などについても語っています。関心があるなら、映画と合わせて読んでいただければ嬉しいです。
■書誌情報
『どうすればよかったか?』
著者:藤野知明
価格:1,650円
発売日:2026年1月29日
出版社:文藝春秋