「ファンタジーこそドロドロで生臭いものが書ける」 町田そのこが『ハヤディール戀記』で描く残酷で美しい禁断の恋

 町田そのこによる『ハヤディール戀記(れんき)』(PHP文芸文庫)は、10年以上温めてきた原点であり、同時に作家人生の節目に刻まれる新境地でもある。

 『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)で2021年本屋大賞を受賞、来春には『コンビニ兄弟』(新潮文庫)がドラマ化するなど、幅広い作風で読者を魅了してきた。そんな町田が本作で描いたのは「大好きな設定を詰め込んだ」という王道ファンタジー。

 ハヤディール王国で起こった、神に選ばれた巫女の誘拐と、王位継承者の毒殺。王国を覆う不穏な影のなかで、騎士団長・レルファンは許されぬ恋と知りながら巫女・エスタを愛し、彼女を救うために奔走する。彼が選んだその道の先に待ち受ける結末とは──。

 原稿用紙にして1200枚を超す、初の大長編。改めて、この物語が“作家・町田そのこ”にとってどんな作品であるのかを聞いた。

作家活動のそばにいてくれた、大好きなもうひとつの世界

町田そのこ『ハヤディール戀記(上)攫われた神妃』(PHP文芸文庫)

ーー『ハヤディール戀記』は、初の王道ファンタジー。これまでとはまた違った印象の作品になりましたが、読者のみなさんからの反響はいかがでしたか?

町田そのこ(以下、町田):ありがたいことに、「面白かった」というコメントをたくさんいただいて、ホッとしています。これまでの作品の傾向的にも私の読者の方は、大人の女性が多くて。もしかしたら、ファンタジーは届きにくいのではないかと、正直ドキドキしていたんです。

ーー世界観こそファンタジーではありますが、読み進めていくと物語を貫くのは巫女・エスタの誘拐を巡るミステリーという感覚でした。

町田:そうですね。ファンタジーを普段読まれない方も、楽しんでもらいたいな、という思いがありました。この作品が、誰かのファンタジージャンルへの入口になったら最高にうれしいなと思っています。

ーー本作は、デビュー前から書き始められ、およそ10年かけて完成されたものだとお聞きしました。

町田:もともと作品として発表するためのものではなく、私自身のために「趣味」として書き始めたものでした。この10年の間にプロとしてデビューさせていただき、商業用の小説を書き続けるなかでも、やはりこの世界観は捨てきれず。隙間時間を見つけてはコツコツと書き進めていたんです。こんなことを言ってはなんですが、この世界に飛び込むのは息抜きに近いものがあって。それくらい、誰の目も気にせずに私の好きな設定やグッとくるやりとりのようなものを、全部ぶち込んだと言いますか(笑)。

ーー小説を書く息抜きに、小説を書かれていたと!?

町田:はい(笑)。誰にも見せるつもりがないからこそ、思うままに書ける楽しさがあるんですよね。気づけば、かなりの文量になっていました。自分のためだけに書いていたとはいえ、完成が近づいてくると、やっぱり誰かに読んでもらいたいと思ってしまうものなんですね。一昨年くらいにふと読み返したとき、「なかなかおもしろいじゃん」と思って、SNSにポストしたんです。その投稿について編集担当者さんに話をしたところ、ありがたいことに「書籍化を目指しましょう」という話をいただけました。

ーーこの「大好きな世界観」を形成したとも言える、過去に触れてきたファンタジー作品は?

町田:児童書にはじまり、小説や漫画など、子どものころからさまざまなファンタジー作品を貪るように読んでいました。「もし自分がお姫様だったら」なんて想像をしているような小中学生でしたね。なかでも、人生でこれほどまでに夢中になった本はない、と思えるほど読み込んだのが『デルフィニア戦記』です。本編が全18巻あって、昼食代を切り詰めてでも、一冊ずつ大事に買い集めていました。

 特定の作品を強く意識して取り入れたつもりはないのですが、そうしたファンタジーの数々が、知らず知らずのうちに自分のなかに溶け込んでいる部分はあると思います。だからこそ、私と同じ物語を読んで育ってきた方であれば、読み進めるなかで「これこれ!」と感じるようなツボを突くやりとりが見つかるかもしれません。一方で、若い世代の方々にとっては、むしろ新鮮に映るのではないかという期待もあって、その反応も楽しみにしているところです。

ファンタジーこそドロドロとしていて、生臭いものが書ける

町田そのこ『ハヤディール戀記(下)神々の食前酒(アペリティフ)』(PHP文芸文庫)

ーー書籍化に向けて、10年前の文章を手直しされるということもあったのでしょうか?

町田:もちろんありました。そもそも人に見せるつもりがなかったものですから、「もう見てられない!」と思うような文章もたくさんあって。先ほどもお伝えしたように、自分の好きな設定を詰め込んでいるぶん、好きだからこそ盛り盛りになってしまい、わけがわからなくなっているところもありましたね(笑)。

 そのあたりをスムーズに読み進められるように、削ったり整理していく作業がちょっとつらくて……。私自身がこの作品のオタクになっているというか、どのキャラクターにも思い入れがありすぎて。「このキャラクターをもっと輝かせてあげて!」という自分の中の声との戦いでもありました。

ーーだからこそ、登場人物一人ひとりが生き生きとしているのですね。物語の始まりは、巫女・エスタと騎士団長・レルファンによる、許されざる恋でした。いわゆる“禁断の恋”というモチーフは、やはり先生にとって「お好きな設定」だったのでしょうか。

町田:それはそれは楽しかったです! ここまで許されない恋って、現代社会ではもはや存在しないと思っていて。たとえ距離が離れても電話があるし、ビデオ通話で顔も見える。「会えなくて寂しい」という枯渇が、なかなかないじゃないですか。現代では成立しにくくなっているからこそ、ファンタジーならいくらでも障壁を作ることができる。そう思ったら、楽しくて楽しくて。本人たちはすごく苦しんでいるので、申し訳ないんですけどね。

ーー好きを詰め込んだ物語で、特にお気に入りのキャラクターやシーンはありますか?

町田:本当に全部大好きなので、決めるのが難しいんですけど……しいて言うなら、王妃のルイーダですね。高慢で我儘な感じを書くのがすごく楽しかったです。シーンとしては、冒頭の酒場でお酒を酌み交わしているところも書いていてワクワクしました。私の中で、ファンタジーって酒場から始まるものじゃないかという妙な偏見があって。

ーー「ファンタジーは酒場から始まる」とは、名言ですね。個人的に「ファンタジー」という言葉からは、美しさや無垢さのようなものがイメージされていたので。

町田:むしろ私のなかではファンタジーこそ本来ドロドロとしていて、生臭いものが書けると思っているんです。残虐なシーンも、むしろファンタジーだからこそ直視できるところもあるじゃないですか。本作でも、レルファンがエスタを拐った犯人に繋がるであろう男たちを尋問するシーンがあるんですけど、最初はもっと冷酷な描写だったんです。でも、それを読んだ担当編集さんが「レ、レルファン?」と、レルファンのあまりの厳しい言動に動揺してしまって(笑)。これは読者の方も同じように感じてしまうかもしれないなと、もう少し残虐性を抑えた描写になりました。とはいえ本音としては、最愛の女性の命がかかっていたら、どんなにふだん明るい人であったとしても、暗い闇が心を支配する瞬間があると思うんですよね。

ーー残酷という点では、子どもの犠牲と母である女性たちの苦しみが描かれていて、胸が痛みました。母と子への視線は、町田先生の作品を一貫しているなと思ったのですが。

町田:本当に私はそこに対してずっと腹が立っているんだと思います。女性が理不尽な目にあったり、弱い子どもが被害に遭ったり、ということに対して。作家になった10年前からずっと怒ってる。書いても書いても、ずっと昇華できないでいるのは、筆力の甘さを痛感するところでもありますが……。もっと深みを書かなくてはいけないのに、私は表面を撫でているだけではないかと悔しくなることも多々あります。だから、どんな作品を書いていても、そこは絶対に目を逸らしちゃいけないところなんだと思っていて。今後も、また書いていく物語の根幹になるんじゃないでしょうか。

ーー逆に思い通りに世界を描くことができるファンタジーでも、ここは難しかったというところはありますか?

町田:犯人をどう追い詰めるのかという展開の部分は、苦悩しましたね。たぶん、私が書き続けたいという思いが強すぎたのかもしれません。「ああ、なかなか捕まらないね。もう少し書かないとね」って(笑)。でも、エスタの誘拐が物語の中心にあったので、事件の解決と物語の結実は避けられないなと、観念して。ここで一旦締めくくろうという気持ちに落ち着きました。あの終わり方は、いまの私が書いているからできたんじゃないかなと思っています。

 エンディングについては、いろいろな可能性を模索しながら書いていたんです。もっとふんわりと美しくまとめたものや、いまの形とは真逆な展開も想像してみたんですけれど、この終わり方が一番、登場人物たちにとっては“ある意味”ハッピーエンドなのかもしれないなと。名もなき女性の恋、戦いがたしかにあったこと。運命に翻弄されても、やられっぱなしではなく、自分なりに一矢報いて、それを胸に人生を閉じたこと。そんな恋の始まりから終わりまでを描いたつもりです。そんなふうに読んでくださった方が思いを馳せるラストになっていたらうれしいです。

実は、いまも趣味で書いているファンタジーが8万文字ほど……

ーー表紙の装画がとても美しくて印象的ですが、そこにもこだわりがあったのでしょうか?

町田:六七質さんのイラスト、最高ですよね。もともとずっと憧れていた方で、いつか私も描いてもらいたいなって思っていたら、今回担当編集さんから「お願いすることになりましたが、いかがですか?」って言われて。思わず「やったー! 大好きです!」とお返事しました。そんなうれしいご縁も含めて、本当に大好きが詰まった作品です。実は、ギリギリになって、「上下巻の2冊を並べたときに対になるようにできませんか」と、わがままをお伝えしたら、すぐに対応してくださって。本当に「神!」と思いました。

ーーこの蝶が……物語を読んだあとに見るとグッと来るものがありますね。個人的には、文庫じゃない形でもほしいなと思うくらいで。六七質さんにも他のキャラクターたちも描いていただきたいですし、相関図とかもぜひ作ってほしいですね。

町田:うわー、私も見たいです(笑)。書籍化に向けて、いろいろと削った各キャラクターの話もあるので。書き下ろし番外編をつけた“完全版”とかどうですかね!? 

ーー創作意欲が止まらないですね。

町田:それくらいファンタジーが本当に好きなんです。どうしたら小説家として作品を発表できるだろうかと模索しながら、いろいろな小説を書いてきましたが、もし、ファンタジーでデビューすることができていたら、きっとファンタジー作家になっていたんだろうなって思うくらい。私の創作の源にあると思っています。

ーー2025年は、幅広い作風の作品を発表されていて、どんどん書きたいものが湧き出てくるイメージですが。

町田:いやいや、いつも行き詰まっていますよ。2025年は「チャレンジの年」と決めて、あえて新しいジャンルの作風に挑戦してきました。もちろん、それは簡単なことではなくて。好きな作品を読み漁ったり、映画やドラマを観たり、美術館に行ったりして必死にインプットして、作品と向き合う日々でした。

 ときには、ノートパソコンの前でボーッとして終わってしまった、なんていう日もありますし。そんなときこそ自分の「好き」を呼び起こしてくれるのが、趣味で書いている小説で。実は、いまも趣味で書き続けている別の小説もあって。それもファンタジーなんですけど。たぶん8万文字くらいにはなっているんじゃないかな。

ーーえ!? さらに、別の小説を書かれているんですか?

町田:それも、いまのところまだ誰にも見せるつもりはないんですが。だから、本当にファンタジーって楽しい場所なんですよ。自分が創造主になれるので。その世界の法律も、文化も、神様だって全部イチから作れる。その設定を考えていく作業がすごくワクワクするんです。

ーー次の作品とまた並行して、好きな世界が紡がれていくんですね。

町田:そうですね。2026年は、作家デビュー10年という大きな節目の年になります。改めて、原点に戻ってみたいという気持ちもあって、2025年の締めくくりにこの作品を発表しました。この10年で積み上げたものがあるからこそ、今年は私らしい作品が書けたらいいなと思っています。いま趣味で書いてる方のファンタジーは、現代社会から異世界に迷い込む女の子の話なんですけど。しばらくはコツコツと書いてみんなが忘れたころに出せたらいいなと思っています。また、これが『ハヤディール戀記』と同じくらい長くなりそうで。もし「書籍化を」という話になったら、「また削らなくちゃ?」なんて、いまから覚悟しています(笑)。

■書誌情報
『ハヤディール戀記(上)攫われた神妃』
著者:町田そのこ
価格:1,056円
発売日:2025年12月23日
出版社:PHP研究所
レーベル:PHP文芸文庫

『ハヤディール戀記(下)神々の食前酒(アペリティフ)』
著者:町田そのこ
価格:1,056円
発売日:2025年12月23日
出版社:PHP研究所
レーベル:PHP文芸文庫

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