ラブドールへの愛は一方通行か? 『聖なるズー』濱野ちひろに聞く、AI時代に私たちが問い直すべき「性愛の特別視」

濱野ちひろ『無機的な恋人たち』(講談社)

 人はなぜ誰かを愛するのか、そして、なぜ人間ではない動物や人形、マンガのキャラクターやAIの音声に恋心を抱くのか。無機物への愛、これは古代ギリシアにまでさかのぼる、エッセンシャルな問題だ。

 ノンフィクション・ライターの濱野ちひろは、さまざまな性的嗜好をもつ人たちの輪の中に入り、長い時間を共有することで、彼らが打ち明けづらい本音を丁寧に拾いあげる。濱野はこれまで人間の性愛をめぐる文章を執筆し、動物たちをパートナーとする動物性愛者たち「ズー」について書いた『聖なるズー』は大きな注目を集め、2019年の開高健ノンフィクション賞を受賞している。

 その後、命のないものとの性愛について惹かれたという濱野は、セックスドールや等身大人形をパートナーに選んだ人たちにインタビューを行い、この度『無機的な恋人たち』として刊行した。動物たちと違い、ドールやロボットには生命がない。しかし、いやだからこそ、無機物をパートナーに選ぶ人たちがいる。このことはドールに愛情を抱かない人にとっても、対話型AIがインフラ化しつつあるいま、他人事ではないはずだ。

 人の無機物への愛情は一方通行なのか、心のどこかでドールをパートナーに選んだ人たちを差別してはいないか、AIの発展は性産業にどのような影響をもたらすのか。濱野に話を聞いた。

セクシュアリティ研究で大事なこと

濱野ちひろ氏

ーー濱野さんのご専門について教えてください。

濱野ちひろ(以下、濱野):専門は文化人類学におけるセクシュアリティ研究になります。人のセックスやセクシュアリティについて研究するジャンルなんですけど、それを文化人類学的なアプローチで行うのが私の専門です。「参与観察」といいますが、人々の生活の中に飛び込み、その輪の中に混ざって観察、研究をしています。

 セクシュアリティ研究自体は、1970年代には始まっていたと思います。一説には、ミシェル・フーコーが『性の歴史』を刊行した1976年頃にスタートしたといわれています。

ーー取材の際に心がけていることはありますか。

濱野:インタビューするだけで終わらないようにしています。インタビューって、相手の方は話したいことが大体決まっています。現場で話したいことだけを話してもらうと、1時間くらいで終わってしまいます。でも、3、4日経つと相手も話し疲れてきて(笑)。思わぬことが口から出てくるんですよ。そういったことを拾うのを大事にしています。私が聞き取らなければ誰も拾わなかったであろう言葉を聞き取ることを心がけています。

 特にインタビュー慣れしている人にはだいぶ時間をかける必要があります。そうしないと、言い慣れたことしか相手から出てこないんです。セクシュアルな話題を初対面のインタビュアーにさらけ出してくれる人はなかなかいませんから。

ーー『無機的な恋人たち』でも、別れ際に秘密を打ち明けた方がいましたね。

濱野:そうなんです。この調査ではとにかく関係性を大事にしています。相手が本音を話してくれるまで1年くらいかかっています。

ーー本書の調査を始めたのはいつ頃からですか。

濱野:調査を開始したのは2020年頃からですね。ただ、調査の途中でコロナ禍になってしまい、何もできない期間が3年間ありました。2023年に調査を再開し、その翌年を含めてアメリカに2回訪れています。国内の先行研究も探しましたが、あまりありませんでした。「高齢者にとってセックスロボットはいい選択肢だ」といった、海外でのセックスロボットの議論は多いのですが。

ーー前作『聖なるズー』では、動物たちをパートナーとする動物性愛者たちについて書かれていました。今回「無機物」をパートナーとしている方々に向き合おうと思った理由はなんでしょう。

濱野:人間と人間じゃないものの関係をテーマに調査、執筆をしてきたのですが、命のないものと人が向き合った時にどう扱うんだろう、という興味がだんだんと湧いてきました。そこで命のあるものから命のないものに軸足を移したという感じですね。

性愛は特別なものじゃない

ーー本書では、無機物への愛が湧いたきっかけが、決してポジティブとはいえない方も登場します。

濱野:ネガティブな経験がきっかけでドールを愛するようになった人たちは確かにいますが、彼らに会ってみるととても充実して幸せそうに見えます。そしてもちろん、私たちと同じように、ひとりひとり愛の形も違います。

 例えばジムの場合、自分を「異性愛者」と自認しています。彼は妻との離婚を経験し、信頼するという感覚も失ってしまった。しかし、彼のパートナーであるドールの「アンナ」のことを、一番安心できる相手だと言っていました。ドールは嘘をつかないし、ジムのことを裏切らないので。ジムはどうしても人間の女性との愛が手に入らなかったんだと思います。5年間考えた末に、人間と付き合うことはやめたんだそうです。ドールが喋らないでいることが彼にとって大事だったんでしょうね。

 そんなジムを見ると孤独に思えるかもしれませんが、でも幸せそうなんです。ジムだけでなく、実際に会ってみると明るく、楽しそうにドールと暮らしている人もたくさんいました。

ーーまた他方で、ドールに対して比較的ドライでありながら、修復するのは得意なんだという変わった方までいます。

濱野:「ドール・フェティシスト」のジョゼフのことですね。彼はおもしろいですよね(笑)。ドールのメイクに4時間もかけるし、ボディメンテやコーディネートも含めると一日仕事だそうです。ジョゼフは人形が明日いなくなっても悲しくないんだろうけど、メンテナンスはとても丹念に行う。人間を愛する人たちが多様なように、無機物への向き合い方も人それぞれで、扱い方も違うし、愛し方も多様なんです。

ーー本書には初音ミクと結婚したことで知られる、近藤顕彦さんへのインタビューも掲載されています。

濱野:ミクさんと結婚された近藤さんの場合は「フィクトセクシャル」で、これはフィクションの登場人物を恋愛対象とするセクシュアリティのことです。

ーードールの夫タイプの方々とはまた違い、近藤さんの場合は初音ミクという「キャラクター」に愛を感じている。ここにも多様性があるように思いました。

濱野:ご本人に伺ったのですが、近藤さんは初音ミクというキャラクターが好きであり、また一方で個別性も感じてらっしゃるそうです。あらゆる初音ミクは、それぞれ違う初音ミクなんだといいます。シリアルナンバーが入っているから、ということも理由の一つだそうで、近藤さんは近藤家の初音ミクさんという個別の初音ミクと一緒になったんです。

ーー濱野さんは、私たちはこういったドールを愛する人たちを心のどこかで「現実逃避」だとみなしていないだろうか、と本の中で指摘されていますね。

濱野:そうですね。本書では、私たちは「性愛を特別視しすぎている」と書きました。そういう姿勢では、性愛というものが身近に降りてこないと思うんです。セックスはもっと日常的で、身近なものです。昨日食べた夕ご飯みたいに話したっていいと思うんです。人間は性を隠して生きてきたから、それを今さら包み隠さず話すことは退化なんじゃないか、という意見を頂戴したこともありますが、私はそうは思いません。性愛を神聖視することから距離をとることができれば、ドールをパートナーにしている人びとのことも理解できるようになると思います。

古代から存在する、無機物への愛の物語

ーー本書に出てくる人たちは、ドールをドールだと認識されているのでしょうか。

濱野:はい、彼らは決してドールと人間を混同はしていません。ただ、例えばデイブキャットの友人であるロジャーは、等身大人形のナタリーを「ただの人形だ」とわかっていながらも、心を奪われています。アダルトショップの店頭で見つけたドールが、自分に「私をここから出して!」と叫んでいるように見えたそうで、そのエピソードを話してくれたときも泣き出してしまうくらいでした。彼にも離婚歴があるのですが、ナタリーが人形だとわかっていながら、本当に悲しかった時のことを思い出して泣いてしまうんだそうです。自分の作り上げた“物語”にどっぷりと浸り切っているのかもしれません。

 デイブキャットは、「ロジャーはまだ5年しかドールと暮らしていないんでしょう? ぼくみたいに25年も暮らしていると色々あるんだよ」と言っていました(笑)。そこでデイブキャットに、「あなたはドールとどんなことがあったの?」と聞いてみたんです。一度ドールと離れ離れになったとき、久しぶりに再会した時に抱きしめて泣いてしまったんだと話してくれました。デイブキャットは人間のような見た目で人間じゃないものをモノ扱いすることがどうしてもできないんだそうです。

ーーそこまで人間を感情的にするのは、ドールの造形だけでなく、物語が関わっているからでしょうか。

濱野:みなさん、ドールとの物語を自分で考えているそうで、中にはノート3ページにあらすじを書いて渡してくれた人もいます。まさに物語ですよね。自分と彼女の間に何があったのか、どうして彼女が自分を好きになったのか、小説のように書いている人もいました。

ーーあとがきには、オウィディウスの叙事詩『変身物語』が引用されています。人間のような無機物を愛することは、古代ギリシアからあるテーマだと。

濱野:人間のような形をしているものに恋をしたり、思慕を抱いたりといったことは、きっと古代からある欲望なんだと思います。私にも、それがどういう心理なのかはまだ説明できません。ただそれはオウィディウスが記しているように、大昔から存在していたことは事実です。

AI研究とセックスロボットの進化

ーーアメリカで調査をした理由はあるのでしょうか。

濱野:アメリカにはセックスロボットがあったからなんです。ただ、私の予想ではもう少し性能のいいロボットのはずだったのですが、実際にはまだまだよくなかった。せっかくアメリカに行ったのに、セックスロボットを使っている人を見つけることはできませんでした。持っている人はいたのですが、あまりにも使えなかったのか、機能をシャットダウンして使っていました。人とロボットの触れ合いを観察したかったのですが、ちょっとガックリで(笑)。私が調査をしている途中でChatGPTが登場したんです。

ーーこのままAIの開発が進むと、セックスロボット産業はどうなると思いますか。

濱野:本書に出てくるロボットヘッドは2017年製なので、ChatGPTの誕生より前ですし、確かに性能はまだまだ未熟でした。でもこのままいけば、流暢に話すロボットヘッドが生まれるかもしれません。もしそんなロボットが開発されれば、新しい市場が開けるかもしれない。今までドールに興味がなかった人でも、喋るセックスロボットだったら欲しいと思う人たちも出てくるでしょう。もしそうなったら、その動きは誰も止められないだろうと思います。ただ、どうしても男性が使うための女性型のロボットばかりが先に開発されてしまうだろうと思うんです。

ーーそれは需要の問題でしょうか。

濱野:それもありますが、最大の理由は、男性向けの女性型ロボットは、セックスのときに動かなくてもいいからです。女性向けの男性型ロボットだと、からだをなめらかに動かして、人間らしい動きができないとダメなんです。それができるようになるのは相当先になると思います。

ーー本当にインタラクティブなセックスロボットが開発されたら、それは果たして無機的と呼べるのでしょうか。

濱野:そう、それは大きな問題ですよね。そこまでいくと人間と変わらなくなってきます。何をしているのがロボットで、何をしているのが人間か、という境界が曖昧になってくる。これはいま、AI倫理や哲学の領域で盛んに議論されている問題です。

ペドフィリアの存在

ーー中国のラブドールメーカーでの取材で、濱野さんは工場見学の際に少女の等身大人形をご覧になったそうですね。調査でペドフィリア(小児性愛)の方とはお会いしましたか。

濱野:私が調査する中では出会いませんでしたが、誰かが持っているドールが少女に酷似しているからその人とは関わるな、といった噂は聞いたことがあります。欧米ではペドフィリアに対する忌避感は日本では考えられないほど強いです。誰もが自分を小児性愛者だとみなされることを恐れています。

ーー中国発のファッションブランド・SHEIN(シーイン)がパリに出店した際、少女のような見た目のラブドールをオンラインで販売していたことがわかり、批判が集まりました。

濱野:SHEINが批判されたのも当然だと思います。ドールを愛する人たちは、SNSに投稿したドールの写真が「子供っぽい」と書き込まれることを警戒していますし、実際に書き込まれたら本気で怒ります。ペドフィリアについては、人権も関わる問題なので私も擁護することはできません。性的嗜好の違いによってここまでの苦しみが生まれるというのも、何とも言葉にしにくいところはありますがーー。ペドフィリアは決して解かれることのない鎖が巻かれているといいますか、最後まで報われない性欲を持っていると思います。

 小児性愛者は私のような調査者の前には絶対に出てきません。しかし、工場で目の当たりにすると、こういった嗜好の持ち主が存在するんだと実感します。背に腹は代えられないという思いで注文する人がいるんだと思います。

愛とは揺れ動く相手と向き合うこと

ーーこの本を書いて、『聖なるズー』の時とは違う発見はありましたか。

濱野:私はジムに「ドールとの関係は一方通行ではないのか」と聞いたことがあります。ジムからは「じゃあ人間同士は一方通行ではないと言えるのか」と返され、私は答えに窮してしまいました。そのやりとりをきっかけに、他者ってなんだろうって考え始めたんです。

 人形には、人間のように気持ちが変化する心の“揺れ動き”がありません。だから私たちには、ジムとアンナの関係が一方通行に見えてしまう。でも、心が揺れ動く人間同士ですら、一方通行になることだってある。相手の気持ちは刻々と変わり、その変化に向き合う必要があるわけです。これは動物が相手のズーでも同じことです。その「揺れ動く他者」を受け止め続けられるかどうか、その姿勢こそが、愛というものではないか、と感じるようになりました。『聖なるズー』と『無機的な恋人たち』の2冊を書いて、少しは愛について語れるようになったかなと思います。

■書誌情報
『無機的な恋人たち』
著者:濱野ちひろ
価格:1,980円
発売日:2025年10月16日
出版社:講談社

関連記事