Charが語る日本のロック史とギターへの飽くなき向上心『評伝 竹中尚人 Charと呼ばれて』インタビュー
『評伝 竹中尚人 Charと呼ばれて』(リットーミュージック 細川真平・著)は、Charの愛称で知られるギタリスト竹中尚人の生い立ちからギタリストとして生きてきた70年を掘り下げたものだ。個人史であると同時に、彼が出会った多くの人たち、また彼が触れてきた世界と日本のロックの歴史を重ねていく立体的な構成になっている。全640ページにも及ぶボリュームは読み応えがあるが、軽妙なCharの語り口もあり引き込まれずにいられない。読み終えたらギターという楽器とミュージシャンCharに一層の親しみを覚えること必須である。
■評伝を出版した理由
--大変情報量が多くて読み応えがありました。ご両親のことやご兄弟のことから始まり、ギターと出会って成長して行く10代の濃厚なストーリーに改めて驚かされます。またソロ・デビューからジョニー・ルイス&チャー、ピンク・クラウドを経て音楽活動の足固めをし、インディペンデントのEDOYAレコードの設立などミュージック・ビジネスを堅実に進めてこられてきたことも具体的に書かれていますね。こうした自伝的なものを、この機会に出版されたのは何か強い思いをお持ちだったからと思いますが。
Char:これまでもいろんな節目でね、いろんな方々から「本を出しましょう」という提案をもらってたんだけど、なんか「今じゃないんじゃないか?」みたいな気持ちがあってイマイチ企画に乗れない。還暦の時に出すって話もあったけど、なんか普通じゃんね? 本を書くなら自分で書きたいと思ったりね。で、長い付き合いのギター・マガジンさんから話があって、いろんな意味で70歳という節目を迎えようとしている時期で、いいんじゃない? と。最初はそんな具体的な話じゃなかったけど、2年ぐらいかけて話をしてったら具体的になりすぎて長くなって、分厚くなった。本当は4、5章で終わるはずだった。ここまできたら、古希の時の日本武道館まで行って、慌てて出すことはないなと。どうせ俺の本出しても儲からないし(笑)。
■「ギターは進化していない」
--本書は全8章ですから倍近くになっていますが、Charさん個人のことに留まらず時代背景やロックの変遷など情報量が多くて勉強になります。
Char:自分でそのつもりはなかったけど話が進んで行くにつれて、日本独自のロックの歴史というか、それに伴う社会的な背景、そう言ったものが出てくるよね。要するに、エレキギターができた頃に俺は生まれてるから。エレキギターあっての新しい音楽というか、大きな歴史の転換期だった。電気を使ってギターを鳴らすっていう発明で、世界中が変わった。エレキギターがもたらした意味は、瞬間的な爆発力。歴史、もっと大きくいえば文化の、それまでは民族とかで伝承してたのが一つになって行く。そういう進化を最初から見ちゃってる世代だから。それがいまもなぜ続いているのかわからないけど、ギターって進化していないんだよ。他のものはどんどんデジタル化されてる。だから今は誰でもコンピューターで音楽作れる。でもこれ(ギター)だけは変わってない。廃れてない。それは、俺に限らず今までやってきたギタリストの人たちが、これによって素晴らしいメロディ、詩曲を作り続けてきたから。別にエレキじゃなくてもよかったんだろうけど、でもローリング・ストーンズだってビートルズだって、そこに飛びついた。“これで徒党を組もうぜ”って。
--バンドというものが重要になっていったんですね。Charさんがお兄様の影響でエレキギターに惹かれて行くくだりは時代を感じますし、Charさんがギタリストとして10代から経験を積んで行くあたりの時代背景も大変興味深いです。ですがギターそのものへのこだわりは、あまりお持ちじゃないようですね。
Char:俺は最初はグレコだからね。兄貴のお古のギターで、高価なギブソンやフェンダーは絶対買えないと思ってた。銀座のヤマハへ行って山野楽器、十字屋まわって新橋方面に帰る。あとはデパートの楽器売り場を見に行って。そういうもんだった。もちろんブランドは知ってたよ。いつかルイ・ヴィトン着てみたいみたいなもんでさ。楽器の情報も今みたいになかったし。それよりレコード聴いてギターをコピーする方が。それに時間を費やすんだ。だから未だにギターのパーツの名前もよくわからない(笑)。
--高いギターが買えない時代に、ご自分で改造とかもしなかったんですか。
Char:しない。ギター弾くのは好きだったけど。ウチは父とか兄は機械に強いんで。俺は苦手で分解すると元に戻せない(笑)。戻したつもりでネジが余ってたりする。だから兄貴も俺にはそういうものを触らせないんだよ。俺もあんまり興味がないし。なぜエレキギターは大きい音がするか、よくわかってない(笑)。知らない方がいいんだよ。むしろ集中できる気がする。でも、ギタリストが集まって、あのアンプがなんだとかピックアップがなんだとか、このネジはオリジナルだとか、みんな知ってて話してる、俺以外は(笑)。だからみんなが話してても俺は蚊帳の外で(野村)よっちゃんとかが「Charちゃん、わからないから」って(笑)。
--失礼を承知で言わせていただけば、弘法筆を選ばずじゃないですけどCharさんギター選ばずというか。
Char:チョイスがないからね。兄貴のお古だし、そこにあるものを弾くしかない。その後にイベントとか出されても、そこにあるアンプとか使えってなるし。持って行ったギターの弦が切れちゃって、弦の替えを持ってなかったから他のバンドのヤツに借りて。弘法さんがなぜそうなったかわかんないけど、同じような理由なんじゃないの、ひょっとしたら。小学校の時に、もちろん学校にギターなんか持っていけないじゃん。下敷きに輪ゴム張って湾曲させて、それを“ビーンビンビンビン”てベンチャーズやって(笑)。
--すごいですね。Charさん無人島に行っても、あるものでギター作って弾いてそうですね(笑)
Char:狩猟のために弓かなんか作って、結果弾いてるっていう(笑)それで動物が寄ってきて仲良くなる、みたいな。いい話になっちゃうな(笑)。
■母親の教えは「自分以上に凄い人と付き合うこと」
--動物とつなげるわけじゃないですけど、Charさんはいつも一緒にやれる人を探し出して一緒に進んで行くという、コミュニケーション能力の高さも本書から伝わってきます。
Char:母親から、自分以上にもっと凄い人と付き合いなさいっていつも言われてたから。代わりにやってくれる人以上にもっと凄いことやる人たちと付き合いなさいって、いつも言われてたからね。切磋琢磨できる人間と付き合わないと、自分のスキルというか何かの技術も人間性も上がっていかない。それは母が女で最初の女医だったから大変だったんじゃないかな。女なんかって。そのプレッシャーの中で勉強してたから。自分より優れている人を蹴落とすより認める。それは自分とバンドやる人たちも同じで。自分がなんでこの人と一緒にやるのかと言われたら、そこだよね。
--小学校で一緒にバンドを組んだみなさんから、スモーキー・メディスン、ジョニー・ルイス&チャー、ピンク・クラウド、サイケデリックスと、たくさんのバンドを組んでこられましたけど、特に影響が大きかった方を挙げるとしたら?
Char:佐藤準くんだね。自分も子供の頃からピアノやってて高校までやってたんだけど、準に出会って俺は“狭き門でやる必要ないな”と思った。アイツは「展覧会の絵」を冗談みたいに弾いてたから。俺は3ページ目で四苦八苦してたのに(笑)。餅は餅屋、才能持ってる人、できる奴がやるべき。才能持ってる人たちとバンド組むってことだよね。準が俺にピアノをやめさせた(笑)。こいつとは一生できるって、こいつに弾いてもらいたいって。でもあいつはジャズやっててロックに全然興味なかったから、どうやって引き込もうかと。“黒縁メガネやめない?”とか“髪伸ばさない?”とか(笑)。
俺は自分のやりたいことがありすぎて、言い方悪いけどついてこれない人が面倒臭かった。だから中学の時、ツェッペリンが出てきてドラムのやつがジョン・ボーナムみたいに叩けないってやめた時も、そうだよなって。俺は子供ながらに完コピしたつもりになってたから、バンドでできないというフラストレーションが大きかった。だから年上とやるようになって行ったんだよね。
■決定的にやられたジミヘンの存在
--60年代後半の話だと思いますが、まだロックに対して世間の逆風が吹いている時代ですよね。その中でロックを続けようと思ったのは、何か大きな目標とかお持ちだったんでしょうか。
Char:子供の時はそんなもの気にしなかったし、とにかくギターを触ってることレコードを聴いてることに夢中だった。親もその頃は兄貴の真似してるぐらいにしか見てない。俺もそうだったし。中学ぐらいになっていろんな情報が入ってきて、ロンドンに行きたい! イギリスに行きたい!って気持ちが破裂寸前ぐらいまで膨らんで。もちろんアメリカもね。中3の時に見た映画「Woodstock(ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間)」、あれが一番でかい。有名な人から無名の人、当たり前だけど最後にジミヘン! 決定的にやられたね。なんと言われようと俺はここにいてはいけない! あの渦の中で挑戦したい!って。
--世界中も若者が同じように思ったんでしょうね。それが目標になったんですね。
Char:振り返って日本の状況を見ると、野音で夏は先輩たちがやってたり、秋は学園祭とかあるけど、あとは冬眠みたいな(笑)。ロックって言っても親を説得する材料がありそうでないっていうかね。グループ・サウンズもワッとでてワッと消えてしまったし。そのうちフォークが、あれは日本の環境とか土壌に合ったのかな、あっという間に根付いて行く。でも俺のひと世代上ぐらいの人たちは、みんなバンドやりたかったんだと思う。俺はいっぱいフォークのレコーディングやバックもやってるからさ。みんなエレキ・コンプレックス持ってる。本にも出てくるけど、NSPのベースの日高くん、彼は最後までエレキベースで残ったのはそれじゃないかな。レコーディングで、こういう曲(いわゆるフォーク調のEm/Am~的なフレーズを弾く)なのにディープ・パープルとかユーライア・ヒープみたいなギター弾いてくれって(笑)。話戻るけど、ギターはいろんな若者に希望を与えて。もう一生こういう楽器は出てこない。
--Charさんより上の世代だとベンチャーズが象徴するサーフ・ロック/エレキ・ブームが日本でもありましたからね。その影響は大きかったんだと思います。でもCharさんはそこには触れてないんですね。
Char:そうだね。石ヤン(石田長生)とのBAHOではやったけどね、BAHOは二人だからなんでもパロってやれるし、身軽だからホテルの部屋でその日の曲を決めてリハしてライブに行くとかもできたし。そういう即興性はバンドじゃできない。でも石ヤンは細かくて、全部譜面に書いてた。俺が書くと“電車の路線図”って(笑)。俺も真面目にやれば書けるんだけど、俺は1枚の紙に全部収めようとすると路線図になっちゃう。石ヤンの方がジャズとか詳しいし真面目だから2ページとかにちゃんと書く。“この曲を3年後に久々にやろうってなった時のために俺は書いておく。絶対Char忘れてるから”って。実際そうだから(笑)。
--残念ながら石田さんは2015年に亡くなられ、ジョニー、ルイス&チャー/ピンク・クラウドを組んでいたジョニー吉長さんが2012年、ルイズルイス加部さんが2020年に亡くなられました。長く活動を共にされてきたメンバーの方々を失ったことはCharさんにとって大変な痛みだと思います。また、スモーキー・メディスンは藤井章司さんが亡くなられていますが、他の皆さんとサポートメンバーを加えて復活しましたね。結成当時は大いに注目されながらも短命に終わりましたが、その経緯も本書で明らかになりますね。再結成はノスタルジックな気持ちではなく今やりたいことがおありなのかとも思いますが。
Char:純粋だったわけ、何事に対しても。今でもそこは変わらない。だからみんな現役でやってるんじゃない? そうじゃないと再結成って同窓会みたいでつまらないから。旧姓で名札つけるみたいな。今やりたいことは別にないけど、当時レコード・リリースしなかったから伝説のバンドになったわけで、イコール・アマチュアなんだよ。比較のしようがないというか。そういう意味じゃすごく肩の力が入らない。今度アマチュア・コンテストに出ようかな(笑)。俺のソロで数曲レコーディングしたのがあるけどね。俺たちの上の世代は様式美というか誰がクラプトンの「クロスロード」一番うまいかみたいな。そうじゃなくて、女の子がいるからジャニス・ジョプリン目指そうじゃなくて、俺たちにしかできないことを目指そうって。
■女子に見向きもせず付き合った、クラプトンという存在
--でもCharさんにとってのギター・ヒーローはエリック・クラプトンだったりジェフ・ベックだったりするんですよね。
Char:クラプトンはすごい憧れてた。俺は歌う人が好きで、クラプトンはマイク・スタンドが立っててギター持ってる写真があって。それでいてワン・フレーズで誰だかわかるギター。ツェッペリンもそう。でもディープ・パープルやろうと思ったことはないんだな。様式美だからかな? でもクラプトンはいきなりネルシャツになって歪まないギター弾くようになってガッカリした。マーシャルのアンプでギブソンでギャーン! てやってよ! なんでフェンダー弾いてるんだよって(笑)。だって中学3年間、女子とも付き合わないで俺が時間使ったのはクラプトンだったんだから。
--そういうCharさんの美学がソロとなって結実していったんでしょうか。
Char:いや、俺はバンド好きだよ、だからウッドストック見て海外に対する妄想が膨らんで、高校卒業したら小銭貯めて海外に行こうと思っていた中で、フェイセズに入った山内テツが大きい。それでより向こうに行こうと思ったし。その山内テツが関わったSEE-SAWレーベルから出さないかって話がきた。それはロック少年にとってはすごい吉報というか。バンド作るんだったら、佐藤準とはやりたいけど向こうに行くしかないなっていうんで、あのアルバム『Char』ができた。
■「芸能界を変えてやる」という真意
--その時期のご苦労も語られていますが、当時のCharさんからは「俺が芸能界を変えてやる!」ぐらいの勢いを感じていました。
Char:結果ね。あおい輝彦さんのバックやったり、若い時からそっちの世界を見てるわけで。スタジオ・ミュージシャンやってると業界の仕組みもわかる。そういう中でデビューするわけだから、無茶できる場所とできない場所がわかる。ただ、TVだから曲を1分とか2分にしろと言われて、要は“ギターソロを削れば、歌手なんだから”って。でも絶対そこは削れない。イントロもギターだし。そういうところじゃないかな。それが唯一俺ができたことだから。一番自分が自分であることはギターをかき鳴らすことで、俺なんかが歌手と言っちゃいけないと思ってたから。でもいろんな意味で、あれがあったから今の俺があるし。ライブには女子ファンしかいないから見えなかったけど本でも布袋くんがおっしゃってるように、“TVでCharさん見てギタリストになりたいと思った”って。下の世代が影響されてついてきてた。逆にチャボみたいな先輩は“こいつはいつか有名になる”って言ってくれたり。かまやつひろしさんや岡井大二もそうだけど、そういう風に引っ張り上げてくれる人もいる。
■「もっとギターがうまくなりたい」
--それは時代が進むほど顕著になっていますね。先日は70歳祝い「-Char Nippon Budokan Live 2025- Purple Phase Jam」を日本武道館で行われて、本に登場する方々のみならずCharさんと関わりを持たれた30人以上のアーティストが登場されました。竹中家3世代の共演もあったりして、時代を超えたライブでした。これからもギターを弾き続けていかれると思いますが、次の目標などあれば伺いたいんですが。
Char:ギターという楽器は、ずっと興味を持ち続けさせてくれてる。自分の意思もあるけど、こいつには絶対勝てねえと思ったジェフ・ベックがいてくれたことがでかいね。クラプトンと比較することはできないけど、アルバム毎に新しいことやるじゃん。もちろんプロデューサー次第だからあまりうまく表現できてないこともあるけど、ライブに行くと本当にすごい。つい前へ行って見てしまうよ(笑)。そういう先人、クラプトンもジミー・ペイジも、他にも俺がコピーしてきた人たちがいたからこそ、俺は俺で、今だにうまくなりたいと思ってる。うまくなりたいというのは、誰が聴いても“Charだ!”と思うような個性。そうなりたいね。