『トリツカレ男』Aぇ!group・佐野晶哉が演じたジュゼッペの心情とは? いしいしんじの原作小説を解説

 11月7日公開の『トリツカレ男』は、いしいしんじの小説を『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』のアニメを手がけるシンエイ動画がアニメ映画化したものだ。原作を読んでいる人が観ると、言葉が絵になって動き出したように感じられ、映画を観た人が原作を読むと、言葉を追いながらシーンがくっきりと浮かんでくる。それくらい、互いに高め合うような作品になっている。

 トリツカレ男とは何者か。ジュゼッペというその男は、気になったことがあるとそれにどっぷりとハマってしまうらしく、ラジオで聴いたからといってオペラにのめり込み、レストランで働きながら歌ってお客さんから迷惑がられ、バッタの跳ねる姿を見たからといいて三段跳びを始め、レストランの店内を跳んだり跳ねたりしてお客さんから評判になる。

 遂には陸上競技の地方予選に出て優勝して、全国大会に出るまでになってしまうからすごすぎる。そのまま陸上の名選手になったかというと、どうやら探偵の仕事ににとりつかれてしまったようで、陸上の大会には行かず誰かを尾行をしたり何かを調べたりするようになり、各地の探偵たちとも知り合いになって難しい事件を幾つも解決してしまう。

 ほかにも語学にとりつかれて15カ国語をマスターしたり、昆虫採集で珍しい昆虫を発見したりといった具合。アニメ映画では冒頭から、そうしたジュゼッペのとりつかれぶりがアニメ映画では冒頭から繰り出される。周囲に構わずやりたいことだけをやるジュゼッペに、イラッとする人も出そうなとりつかれぶりだ。

『トリツカレ男』(新潮文庫)

 それは、キャラクターが動いたり喋ったりする映像だからかもしれない。小説の『トリツカレ男』(新潮文庫)の場合は、ほかにも潮干狩りだと腹筋に背筋運動といった実に様々なものにとりつかれてきたことが、いしいしんじならではの軽妙な筆致でトントンと綴られていくせいで、すごい生き方をしている男だと笑って読んでいける。アニメ映画と小説の両方を試して、メディアの違いがもたらす印象の差を、実感してみるのも面白いかもしれない。

 また、観る人をイラつかせるくらいにジュゼッペがとりつかれまくった結果が、後で大きな意味を持つと分かってくるから、最初だけ観て席を立つのはもったいない。そのストーリーはと言えば、ハツカネズミの飼育にもとりつかれ、そのうち1匹のハツカネズミと会話できるところまで行ったジュゼッペが、シエロと名づけたそのハツカネズミと友だちのように暮らし始めてから起こる、ひとつの出会いによって動き出す。

 それは、ペチカという女性との出会い。公園で風船売りをしていたペチカをひと目見てとりつかれてしまったジュゼッペは、次の日に公園に現れなかったペチカを探して走り回り、動物園で風船を売っていることを知って近寄っていく。どうにか言葉をかわしたものの、一気に仲を深めることなんてできないジュゼッペは、シエロにペチカのことを調べさせ、彼女が借金で困っていることを知って、前にとりつかれていたあるものを使って解決してあげる。

 このあたりから、ジュゼッペが過去にとりつかれてきた色々なことが、ムダではなかったことが分かってくる。オペラもサングラス集めもそんな風に役立つのかと驚ける。そして探偵業。借金のことや母親の病気のことが解決しても、ペチカの顔からくすみが消えないと感じたジュゼッペは、探偵にとりつかれていた時のネットワークを使い、ペチカの迷いの原因になっているらしい過去に起こった出来事を調べ上げる。

 そこから繰り広げられるジュゼッペの行動に、どうしてそこまでするんだろうか、あるいはもっと他のやりかたはないんだろうかといった思いが浮かぶ。こうと決めたらのめり込んでいくジュゼッペの性格なのかもしれない。アニメ映画を観ていて少し引き気味になってしまうようなことを、曲げることなく貫き通していくジュゼッペに、ただただ感心させられる。

 小説でもそこは同じだが、ジュゼッペのある振る舞いに対するペチカの表情や声が、普通に自分と会っている時とはまったく違っていることに気付き、胸がぺたんこに潰れそうになるジュゼッペの心情を描いた描写に、いっそうの同情が浮かんでしまう。そうした心情を理解した上で、改めてアニメ映画を観ると、表情や仕草、そしてAぇ!groupの佐野晶哉が演じるジュゼッペの声にも、同じような複雑な心情を感じ取れるかもしれない。

 ほかにもペチカなら上白石萌歌、ジュゼッペがある方法で救うペチカの母親なら水樹奈々が演じた声が、小説で読んで感じた役の特徴を一気に際立たせる。そしてもうひとつ、ミュージカル仕立ての演出も、小説では不可能なアニメ映画ならではの楽しみとなって観る人の心を浮き立たせる。水樹が聞かせるユニークな歌声は、ほかのアニメ作品ではまず聞けないもの。必聴だ。

 アニメ映画はさらに、アニメーターの荒川眞嗣によるキャラクターデザインとビジュアルデザインが、いしいしんじの小説が持つ雰囲気をまさにこれだといった感じで映像にしている。ビジュアルの方では、ヨーロッパ風の街並みや建物や車などの美術が、いかにもトリツカレ男が飛び回っていそうな街だと思わせる。

 第38回東京国際映画祭のアニメ・シンポジウム「アニメーションだからできること」に登壇した『トリツカレ男』の髙橋渉監督は、「ヨーロッパだろうということでイギリス的にしようとなったんですが、それでは重厚すぎます。そこで荒川さんが、屋根はピンクでも青でも良い、カラフルな街にしようと言って、屋根の色はフランスで建物はイギリスみたいなヘンテコな街になりました」と、荒川の発案が取り入れられた背景美術であることを明かした。

アニメ映画『トリツカレ男』の髙橋渉監督

 そしてキャラクター。『クレヨンしんちゃん』のようなデフォルメ感があって、絵本や童話に描かれているようなスタイルにも見えるデザインを持ち込んで、原作自体が持っている大人の童話のようなポップでキュンとさせられる雰囲気を表してみせた。

 映画のパンフレットで荒川は、「僕のデザインは決して今の主流ではないですが、カルチャーって何周もするもの。そろそろマンガ的なデザインに回帰してもいい時期なのかもしれません」と書いている。人によってはシンエイ動画の前身のAプロダクションが、1972年から74年にかけて制作したTVアニメ『ど根性ガエル』の自在に動き回るキャラを思い出すかもしれない。

 そうしたアニメによって表現される自分の世界に刺激を受けたのか。パンフレットには原作者のいしいしんじ自身がショートストーリー「12歳のトリツカレ」を寄せて、同じような絵を何枚も何枚も描くことにジュゼッペをとりつかせている。それが何だったのかはパンフレットを買ってショートストーリーを読んだ人のお楽しみ。言えるのは、そのままジュゼッペが取り憑かれっぱなしになっていたら、ウォルト・ディズニーや宮﨑駿以上の巨匠が生まれていたかもしれないということだ。

 アニメ映画『トリツカレ男』は最高の小説と最高のスタッフと最高のキャストが、原作への敬意を最大限にはらってアニメ化したものだ。それだけにどちらも試す意味があり、価値がある。

■『トリツカレ男』 ©2001 いしいしんじ/新潮社 ©2025 映画「トリツカレ男」製作委員会

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