『山と溪谷』五十嵐雅人編集長インタビュー 老舗登山誌が目指す「読者第一」の進化論
1930年創刊の『山と溪谷』は、ヤマケイの愛称で知られ、長年にわたり登山文化を牽引してきた業界トップの老舗雑誌である。編集長の五十嵐雅人氏は、伝統と革新の狭間で「読者に本当に必要な情報を届けること」を重視している。ファッション誌から学んだ編集哲学、メディア横断の新しい構想、そして山の魅力を再発見するための視点とは――。雑誌黄金期を知る編集者が語る、“山のメディア”のこれから。
■雑誌で育った少年が編集者になるまで
ーーまず、五十嵐さんが編集者を志したきっかけを教えてください。
五十嵐:もともと雑誌っ子だったんです。中高生の頃から『ホットドッグ・プレス』や『POPEYE』、『宝島』などを夢中で読んでいて、「雑誌ってこんなに世界を広げてくれるんだ」と感動しました。カルチャー誌にも惹かれて、『太陽』や『SWITCH』、『スペクテイター』も好きでしたね。大学時代は完全に“雑誌かぶれ”で、「自分でもこんな雑誌を作ってみたい」と思ったのが出発点です。
ーー特に影響を受けた雑誌はありますか。
五十嵐:やっぱり『POPEYE』ですね。編集者になっていましたが、2012年のリニューアル号を見た時の衝撃はいまだに忘れられません。昔の“シティボーイ”精神が復活していて、チープシックで等身大なのに、めちゃくちゃかっこいい。編集者仲間と「これだよ、これ!」と盛り上がったのを覚えています。
■山岳誌への道と編集者としてのキャリア
ーー最初から編集者志望だったのですね。
五十嵐:はい。就職活動では新聞やテレビも受けましたが、やっぱり出版が第一志望でした。山と溪谷社に内定をいただき、大学では山岳部に所属をしていたので「山が好きだからこっちだ」と思って入社しました。新卒で配属されたのは『山と溪谷』の兄弟誌です。ビギナー向けの登山誌で、2年ほど担当しました。その後『山と溪谷』本誌に異動して3年ほど経験させてもらって、途中で『自転車人』という雑誌も経験しました。ピストブームの時期で、街に自転車雑誌が溢れていた頃です。
ーー五十嵐さんは退社された経験があるそうですね。
五十嵐:はい。一度外に出て、その後また戻ってきてからは、リニューアル時の『ワンダーフォーゲル』編集部へ戻りました。他にも『キャンプライフ』などキャンプ雑誌を手がけて、再び「ヤマケイ」へ。けっこう流転してますね(笑)。でも、この回り道が今の編集方針に生きています。外に出て客観的に自社の雑誌を見られたのは大きかったです。
■編集長就任と「読者第一主義」への転換
ーー編集長に就任されたのは?
五十嵐:2021年の4月です。『山と溪谷』の6月号から編集長になりました。実際に誌面デザインを大きく変えたのは9月号からですね。正直、最初はあまり乗り気ではなかったんですよ。会社の看板雑誌なので責任が重い。登山界や業界内からの反響も大きいし、ちょっと怖いなと。でも経営陣から「自分の思うようにやっていい」と言われて、その言葉に背中を押されました。家族にも相談したら「自分の信じる方向にやってみたら」と言われて、ようやく決心がつきました。
ーー就任時に考えた「変えるべきこと」は?
五十嵐:雑誌作りが編集部都合になっていたと思ったんです。昔は作れば売れる時代だったけど、いまは違う。僕は「読者第一で、ニーズに応える誌面にしたい」と伝えました。たとえば毎年12月は“雪山特集”が恒例でしたが、実際に雪山に行く読者は減っている。だったら低山や初心者向け特集をやったほうがいい。そう考えて方向転換しました。社内では「山岳誌として雪山を外すのか?」という意見もありましたが、そこを乗り越えて実行した結果、若い読者層からの反響が増えたんです。
■読者目線の編集哲学と誌面刷新の舞台裏
ーー誌面リニューアルの裏側には、どんなチームづくりがあったのでしょう。
五十嵐:デザイナーやライター、写真家との対話を大切にしました。雑誌は一人では作れません。特にリニューアル時は「どうすれば登山のリアルな空気感を伝えられるか」をみんなで考えました。たとえば山頂の写真を使うだけでなく、登山道の途中、息を切らせている瞬間も載せようとか。ページ構成を変えるときは、何度もゲラを読みながら読者視点でチェックしました。誌面が整っていく過程は、本当に“登山ルートを開拓するような作業”でしたね。
--編集部の意識も変わりましたか?
五十嵐:変わりました。昔は編集者の感覚で「これが面白いからやる」と決めていたけど、今は“読者が知りたいこと”を出発点にしています。僕がずっと言ってるのは「編集部都合をやめよう」。本づくりも登山も同じで、自己満足では続かないんです。
ーー誌面のデザインも刷新されました。
五十嵐:はい。ポパイを例に出しましたが、僕らはカルチャー誌ではなく登山情報誌です。だから“かっこいい”より“役に立つ”ことが大事。それと、60代以上の読者が多いので、文字は大きくしています。実用性を最優先にして、その上でどうデザイン的に見せるかを考えました。つまり“かっこよさ”より“信頼感”。そこが大切だと思っています。デザイナーと一緒にフォントや紙質まで吟味しましたね。
■山を発信する多層メディア構想と反響
ーーSNSや動画など、他メディアとの連携も進めているそうですね。
特集タイトルとイラストの配置など、読みたいと思わせる雑誌の楽しさを具現化する。
五十嵐:そうなんです。紙だけではもう届かない時代です。『山と溪谷』のウェブサイトやYouTubeチャンネルなど、いろんなメディアがバラバラに動いている現状を、一つの“メディア群”として統合したいと考えています。紙もウェブも動画もSNSも、全部合わせて“山と溪谷メディア”でありたい。編集部が発信すれば、どのプラットフォームでも届く、そんな形を目指しています。最近は若い層がSNSで山を知り、そこから本誌を買ってくれる流れも出てきました。書店員さんから「表紙が変わって若い読者が増えた」と言われたときは嬉しかったですね。
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ーー雑誌を作り続ける上で、今いちばん大事にしていることは?
五十嵐:“誠実さ”です。登山誌って命に関わる情報を扱うから、軽く扱えない。おしゃれさや話題性よりも、まず安全であること。登山者にとって本当に必要な情報を正しく届ける。それが『山と溪谷』の使命だと思っています。読者から「助かりました」と言われることが何より嬉しいです。
■編集長の原点にある山体験とこれからの展望
ーーご自身が印象に残っている登山体験はありますか?
五十嵐:初めて北アルプスに登ったときですね。上高地から槍ヶ岳へ向かう道で、天候が急変して恐怖を感じた瞬間がありました。でも、同時に「自然に生かされている」と実感しました。あの経験が“山を安全に楽しむ”という今の編集方針の原点かもしれません。登山は挑戦でありながら、謙虚さを教えてくれるものです。
ーーこれからの『山と溪谷』をどんな雑誌にしていきたいですか?
五十嵐:もっと開かれた雑誌にしたい。紙の読者は60代以上が中心ですが、若い人たちにも山の魅力を伝えていきたいですね。動画やSNSで興味を持った人が、次に雑誌を手に取る――そんな循環を作りたいです。10年後、どんな形になっているかは分からないけれど、“山と溪谷が発信すれば届く”という仕組みを作りたい。
ーー改めて、山登りの魅力とは?
五十嵐:いいこと尽くしですよ(笑)。簡単で、安くて、健康にもいい。特別な道具がなくても始められるし、上級者になればいくらでも深められる。日本は四季があって、登山環境に本当に恵まれています。リタイア後から始める方も多いですが、若いうちに始めておくと人生が変わると思います。
ーー10月におすすめの山は?
北アルプス(穂高連峰)にある日本有数の氷河地形「カール」とその周囲を囲む壮大な山々の紅葉が見られる。
(写真:photolibrary)
五十嵐:紅葉の涸沢(からさわ)ですね。登山口の上高地から涸沢までなら、体力があれば誰でも行けます。山小屋も多いし、秋の空気が最高。週末は混むので、平日休みを取って行けるならベストです。
──最近注目される登山トレンドや社会的課題への取り組みは?
五十嵐:軽量化や低山ブーム、アプリ普及など、新しい動きを誌面でも積極的に取り上げています。また、熊との遭遇が社会問題化していることもあり、一般論で片づけずにケーススタディとして伝える工夫をしています。
ーー“熊問題”についてどう考えていますか?
五十嵐:難しい問題です。北アルプスの薬師岳でも出没がありましたし、地域によって状況がまったく違う。だから一概に「こうすればいい」とは言えません。大事なのはケーススタディを重ねること。11月号では実際の熊被害の事例を特集していて、「この時はこう対応すればよかった」という知識を共有しています。遭難と同じで、いろんなケースを知ることで対応力がつくんです。登山者一人ひとりが学び、備えること。それを支えるのが僕らの仕事です。
ーーなるほど。
五十嵐:僕らの役割は、“山を安全に楽しむ知識”を広めること。単なる情報誌ではなく、登山者の安全と楽しみを両立させるための存在でありたいですね。雑誌という形を超えて、山と人をつなぐ“伴走者”のようなメディアでありたいです。