立花もも新刊レビュー 人間の業や心の問題とどう向き合うべきかを問う、いま読むべき注目作をピックアップ

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)

廣嶋玲子『異世界フルコース 召喚されたのは、チキンでした。』(KADOKAWA)

廣嶋玲子『異世界フルコース 召喚されたのは、チキンでした。』(KADOKAWA)

 誰もが夢見る「あったらいいな」を叶えてくれるのが、銭天堂シリーズでもおなじみ、廣嶋玲子さんである。ただしそれなりの対価は必要で、銭天堂シリーズに登場するふしぎな効力を発揮する駄菓子には、必ず副作用があり、使い方を間違えれば、奈落の底へと落ちていく。新作『異世界フルコース』も、同じ。異世界で、見たこともない食材を使って、味わったことのないグルメを堪能したいと思ったら、体を張って食材を検討し、ときに具合を悪くしながらも、試行錯誤をくりかえさなくてはいけない。その過程が、すこぶるおもしろいのである。

 主人公の啓介は、長年愛されてきた町の小さな洋食屋「どうでも堂」に生まれた少年。フランスで腕を磨いた祖父、老舗料亭で修業を積んだ父、中華料理が得意な母という最強トリオが、お客さんの食べたいものはジャンルを超えて提供するという、夢のようなお店である。ただし、ジャンクフードだけは厳禁で、おこづかいをためてこっそりフライドチキンを買って食べていたところ、異世界に召喚されてしまったというのが本作の始まり。

 ただし、異世界で求められていたのはチキンで、啓介ではなかった。しかも、元の世界に戻るには一年かかるという。さらに、その世界では鉄のようにかたいパンと、胃のなかでコンクリートのようにかたまる粥しか食べるものがない。かくして啓介は、異世界で初めての料理人として、腕をふるうことになるのだけれど……。

 「おいしい」を一度知ってしまったら、人は二度と、おいしくない料理を受け入れることができなくなる。もっともっと、とおいしさを求めて貪欲に我儘になっていく人の業、みたいなものが描かれているのも、楽しかった。はたして啓介が思いついた、最強の異世界フルコースとは? 読んで、ご堪能あれ。

畑野智美『宇宙の片すみで眠る方法』(ポプラ社)

畑野智美『宇宙の片すみで眠る方法』(ポプラ社)

 とにかく読んでいると枕が欲しくなる。著者が寝具売り場で働いた経験をもとに書かれただけあって、枕に関する知識が豊富なのだ。なぜ年配者はそば殻の枕を信じすぎているのか、枕はかたいほうがいいと思っているのか、有名アスリートがすすめるからといって自分の体にあうとは限らないマットレスをなぜ盲目的に「よいもの」として買ってしまおうとするのか……あああああ、と叫びだしたくなるほど目からうろこの情報が満載で、こんなにも枕に詳しくなれる小説はそうそうないので、それだけでも読む価値はあると思うが、それはさておき。

 主人公は、デパートの寝具売り場でパートとして働く依里いう名の女性。大学時代から8年付き合った婚約者の直樹を亡くしたばかりだということが、読んでいくにつれてわかる。大阪出張に出かけたはずの彼は、見知らぬ年上の女性と東北の温泉宿に泊まって、その帰りのバスで事故に遭ったのだということも。以来、上手に眠れなくなった依里は、寝具売り場でさまざまに悩みを抱える人たちに出会い、その多くが――とくに女性が――自分には合わないとわかっていても「そういうものだ」と我慢して、夫につきあい、家族のために尽くして、自分のことをあとまわしにしていることに気づく。

 直樹と一緒に亡くなった年上女性の、夫だった高橋という男性も同じだ。生前の妻が買ってくれた枕を、合わないとわかっていても捨てずに彼が持ち続けていたのは、大事だったからではなくて〈持ちつづけることで、あの日々を意味のあるものにしたかった〉から。その言葉に、心えぐられる読者も多いのではないか。

 愛情ではなく、執着。付き合いが長ければ長いほど、「これじゃなかった」と手放せなくなるのは、時間を無駄にしたと思いたくないから。それは、寝具もパートナーも同じである。仕事も、友達も、もしかしたら自分で選択したつもりになっている何もかもが、同じなんじゃないだろうか。

 知らないうちに誰かに選ばされて、これがいいのだと思い込んでしまっている。そんな自分に気づいた瞬間、方向転換すればいいのに、怖くてできない。でも、自分にぴったり合うものを見つけようと思うなら、一日でもはやいほうがいい。そんな、ぐるぐると同じ場所で足踏みしながら試行錯誤する人たちが、ほんの少し、一歩を踏み出そうと思える希望のような灯火がこの小説には宿っている。

前川ほまれ『在る。 SOGI支援医のカルテ』(KADOKAWA)

前川ほまれ『在る。 SOGI支援医のカルテ』(KADOKAWA)

 SOGIとは「性的指向(Sexual Orientation)」と「性自認(Gender Identity)」の頭文字をとった言葉で、好きになる性別と自認する心の性別に関する、包括的な概念。そのなかでマイノリティとされる人たちのこころとからだの健康をサポートする存在として、本作に登場するのがSOGI支援外来の精神科医・海野彩乃である。

 本作を読んでいると、すべてはグラデーションなのだということが、よくわかる。性的マイノリティだからといって、それだけをアイデンティティとして生きているわけではない。でも、性的マイノリティであるがゆえの傷つきと生きづらさは確かに存在していて、そのほかのさまざまな痛みと重なりあうことで、心が悲鳴をあげてしまうこともあるのだ、ということが丁寧に、繊細に、表現を尽くして描かれている。

 個人的に印象に残っているのは、第二章の「溶ける光」。アルコール依存症で入院している女性患者は、自身が性的マイノリティであることを家族にも打ち明けられていない。それでも、自分なりに折り合いをつけて、幸せを見出して生きてきたのに、あることがきっかけで、心が砕けてしまった。誰にも言えない、みんなと同じでないということが、その瞬間から耐えがたい痛みとして育ち、パニック症を患ってしまったのである。そんな彼女が、友人や同僚たちがお酒を飲みながらキラキラと笑う、その残像にあこがれて、お酒の中には光が溶けていると信じて、手を伸ばし、やめられなくなってしまった、その切実さに胸を衝かれた。

 昨日まで大丈夫だったことが、全然受け止められなくなって、どうしてだかわからないけど、自分が自分でいられなくなってしまう。心の病におかされる人も、性的マイノリティとしてくくられてしまう人も、みんな、私たちのすぐ隣にいて、いつだってその境界線は溶けてしまうくらい曖昧だ。だから私たちは、自分も、他の誰かも、ただそこに「在る」ということを認めて、寄り添いあう必要があるのだと、読みながら涙が出そうになった。

 胸を衝かれたエピソードはこの章に限らない。どうか、ひとりでも多くの人に読んでほしいと思う。

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