宮﨑駿・鈴木敏夫に影響を与える作家・石坂洋次郎は忘れ去られた存在なのか ジブリが受け継ぐ“遺伝子”
読売新聞記者を退社に追い込まれた後、幾つかのチャレンジを経て立ち上げた徳間書店を軌道に乗せ、『風の谷のナウシカ』が連載された「月刊アニメージュ」を創刊したり、日本SF大賞の創設にスポンサーとして携わったりした徳間氏。映画会社の大映も経営して『ガメラ』シリーズや『Shall we ダンス?』などを送り出した。『コクリコ坂から』でのサンダル履きで豪放磊落な徳丸理事長の描写は徳間氏そのまま。逗子開成学園の理事長を務めた点も重なっている。2000年に死去した徳間氏をそれと分かる姿で登場させたところに、ジブリスタッフの敬意が伺える。
『コクリコ坂から』の後のジブリは、堀辰雄の小説に戦闘機の零戦を設計した堀越二郎の半生を重ねた『風立ちぬ』(2013年)や、吉野源三郎の著作と同じタイトルの『君たちはどう生きるか』(2023年)を送り出したが、日活の青春映画を思わせる作品は出していない。『君たちはどう生きるか』も大筋はジョン・コナリーのファンタジー『失われたものたちの本』(創元推理文庫)の影響が強い。
■石坂洋次郎の逆襲は始まるのか
鈴木プロデューサーが本棚に置き、宮﨑駿監督もお気に入りの石坂作品そのものが、ジブリでアニメにされたこともない。そもそも現在、石坂作品自体がほとんど顧みられていない。「石坂洋次郎ほど時代とともに忘れられたと思わせる作家は少ない」と文芸評論家の三浦雅士が『石坂洋次郎の逆襲』(講談社)で指摘するように、存在感を失っている。
『青い山脈』『陽のあたる坂道』『あいつと私』以外にも『若い人』(1962年)が吉永や石原の出演で映画化され、吉永小と浜田光夫の「純愛コンビ」による『赤い蕾と白い花』(1962年)の原作も務めた人気ぶりは、今なら東野圭吾や伊坂幸太郎に匹敵する。それだけの作家の作品が、書店を回っても今はほとんど置かれていない。小学館の「P+D BOOKS」に入っている『青い山脈』と『若い人』くらいしか手に取れなくなっている。
あまりに流行に乗りすぎたため、時代から置いていかれたのか? そうではないことを、三浦は『石坂洋次郎の逆襲』で指摘している。「社会の基層を形成する母系制の魅力をさまざまな形で噴出させたところ」があり、「女の自由な生き方を声援しようとする熱気がみなぎっていた」と三浦。それは、『青い山脈』で旧態依然とした貞淑の観念に単身で挑む島崎の態度からも伺える。
1947年に発表された作品だからといって、戦後民主主義に迎合したものではない。戦前から軍部の横暴とそれに迎合する民衆を暗喩するような作品を書いてきた石坂の、「男女関係をめぐる自由主義的な思想、社会を女の視点から見るその思想」は、戦前戦中戦後を通して貫かれた。このため保守的な層から疎まれたが、革新層からは流行作家として黙殺されてしまい、作品性を認められないまま置き去りにされてしまった。
だが、鈴木プロデューサーが愛読書として挙げ、『コクリコ坂から』の中にテーマが盛り込まれることで、原題にもその遺伝子は繋がっていると言える。三浦はさらに、篠田節子や川上未映子といった当代の作家を挙げて共通性を指摘し、参照する意義を訴えている。ここでジブリが改めて石坂に題材を取った作品、それこそ『陽のあたる坂道』のアニメ映画化に挑んだら、どれだけの注目が石坂に集まるだろうか。期待して止まない。