ヒップホップとカット・アンド・ペーストは同じ時代に誕生したーーイノベーションとリバイバルについて
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。
第29回は、カット・アンド・ペーストの世紀について考える。
矛盾こそがヒップホップの魅力
テイ・トウワの話。テイ・トウワのもとに、ある日、Qティップから連絡が来た。「お前の曲、俺の新曲でサンプリングして使いたいんだけど、いいか?」って。テイ・トウワはもちろんOKした。この2人、80年代、まだお互いが無名だった頃からの仲で、テイ・トウワはQティップのことを「Qちゃん」って呼んでる。ついでにテイ・トウワも「じゃあ俺も、君の曲を使っていい?」って聞き返した。つまり彼がいるグループ、ア・トライブ・コールド・クエストの曲を使っていいってこと。そしたら、返事が来なかった。これはQティップがケチって話じゃなくて、トライブの曲って権利関係が厳しく管理されていて、個人の判断で「いいよ」って簡単に言えるものじゃないってこと。
ヒップホップには、ラップ、DJ、ダンス、グラフィティという「四大要素」があると長年言われてきた。だが最近では、Wikipediaに「起業精神」や「ファッション」などを含めた“九大要素”なるものまで登場している。いつの間にか、勝手に増えていた。
実際、「ファッション」や「起業精神」はヒップホップと切り離せない。DIY精神、スタジオがなくても、部屋で1人だって始められるのがヒップホップの魅力でもある。ただ、要素を増やしすぎると、かえって一つひとつの輪郭がぼやける。四大要素でもすでに多い。
ヒップホップの本質的な構成要素は、やはり「ライム(言葉)」と「トラック(音)」の2つに尽きる。しかもこの2つは、ある種の矛盾をはらんでいる。ラッパーには「自分のリアルな言葉」を語ることが求められ、DJには「他人の音をどれだけうまく切り貼りするか」のセンスが問われる。オリジナルとサンプリングの同居。その矛盾こそがヒップホップの魅力だ。
ラップ・ミュージックはどのように普及したのか?
さて、最近読んだ本の話『イノベーションの普及』。「アーリーアダプター」「レイトマジョリティー」といった言葉はこの本が元ネタだ。1962年に書かれている本だからかなり古い。エベレット・ロジャーズという人物の本で、読んでみると、実はコミュニケーションを巡る社会学の本だ。新しいアイデアやテクノロジーを受け入れる層は、教育レベルや社会的な地位が高いという身もふたもない話。もう少し、マーケティング的な内容と思いきやロジャーズのいう「普及学」は、ほとんど社会関係資本についての研究だった。ロジャーズはその研究を「普及学」と名付けている。
著者は、この本の内容を2000年代に書き直している。その中でラップ・ミュージックに触れていた。はじめは都市の先進的な少数派の中でのみ理解されていた手法が、当初は、大衆からは反感も買ったが、やがてスヌープ・ドッグやエミネムといった存在を通じて、大衆層にも普及していった。まさに普及学のプロセス通りだった。
本に書かれていないところに少し踏み込むと、ヒップホップはジャズやファンクといった見向きもされない半ば廃れたものを引っ張ってきたという文脈の方が大きかったと思う。リスペクトという言い方は、真に受けちゃいけなくて、奇妙なものを見出し、別の意味づけをしている。
たとえばカニエ・ウェストの『Through the Wire』ではチャカ・カーンのボーカルを早回しで使っている。チャカ・カーンはその使用に許可は出したが、後に「早回しされるとは知らなかった」と不快感を示している。「儲かったからいいけどね」みたいなことも言っているけど。サンプリングって、「こんな使い方するの?」という驚きの方が強い。