加藤シゲアキの苦悩と覚悟 今村翔吾&小川哲『ボクらの時代』で語ったアイドルと作家の両軸
NEWS・加藤シゲアキが、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した今村翔吾、『地図と拳』で第168回直木賞を受賞した小川哲と登場した3月30日放送『ボクらの時代』(フジテレビ系)が痛快だった。1984年生まれの今村、1986年生まれの小川、そして1987年生まれの加藤。同世代の人気作家3人は、それぞれ人や番組を介して知り合い交流を重ねてきたこともあり、その会話は実に軽妙。30分番組では収まりきらなかったのではと思わせるほどの盛り上がりを見せ、いくらでも話ができる間柄なのだろうと感じた。
「アイドル作家」で感じた”肩身の狭さ"
例えば、今村が「直木賞ほしいやろ!?」なんて、『オルタネート』『なれのはて』で惜しくも受賞を逃した加藤に正面から切り込む場面も。そうした遠慮のない会話ができるのも、加藤が主催した選考会の「待ち会」に駆けつけるほど気心知れた仲だからこそ。
また、加藤が小説家を目指した理由のひとつに「脳のカッコよさ」への憧れがあったという話になると、外見でも中身でも人を魅了できる人になりたいと考えていた加藤に「贅沢」と遠慮なくツッコミを入れられるのも同業仲間ならではだろう。そうした小気味よいやりとりのなかで、あらためて見えてきたのは作家・加藤シゲアキという面白味だった。
2012年に『ピンクとグレー』で小説家デビューを果たした加藤。新人賞を獲ったわけでもなく、著名なアイドルが小説を書いて本を出すという動きに「ケッ」と思う人がいたことも理解できる、という話題になった。そして他ならぬ加藤自身も裏口入学をしたような肩身の狭さを感じていたと吐露する。その一方で、それだけの注目を集める人が文芸界に入ってくるからこそ本を読む人が増える、という小川の視点にも「なるほど」と思った。
きっと加藤をきっかけに、小説を読む楽しさを知った人は少なくないはず。逆を言えば、加藤をきっかけにアイドルに対する印象が変わったという人もいたのではないだろうか。加藤が小説家として活動をしなければ、決して交わらなかった世界があった。それだけでも、他の人にはできないことを成し得ていると言える。
アイドルであり作家だからこそ生まれる苦悩
一方で、加藤によって小説家たちの世界もまた広がりを見せたように思う。加藤が「小説家」としてメディアに登場するとき、アイドルとして何かを語るとき以上に丸裸にされているように感じる。「なぜ小説を書き始めたのか」というきっかけも、きっとこれまで何十回、何百回と聞かれてきた。そのたびに、メンバーの脱退が続きNEWSの活動状況が苦しかったこと、そのなかで自分には何ができるのかともがいてきた心情を明かしてきた。
そして書き続ける中でも「アイドル作家」というコンプレックスと向き合う日々は続き、「賞を獲らなければ」というプレッシャーは今でもある。それはおそらく加藤が小説を書かなければ見ることはなかったアイドルのリアルであり、加藤がアイドルでなかったら見せなくても済んだ作家のリアル。その両面を出さざるを得ない、孤高の獣道を歩み続ける加藤には頭が下がるばかりだ。
そんな加藤が、小説家たちと対峙したとき、小説家たちもまた、ごまかしのきかない本音で語りたくなるような空気が流れていたように思う。番組では、加藤の口からアイドルとして活動していくには「賞味期限」が明確にあり、より長く活躍できるセカンドキャリアとして小説家を考えていたという言葉もあった。
書く前はなんとなく考えていた小説家としてのピークは60歳くらいだった。しかし、実際に小説家として活動していくうちに、脳のスペックこそ20代をピークに落ちていくような現実があることを知る。そして、若いときにしか書けない感性があることも語られた。