速水健朗のこれはニュースではない:映画『セプテンバー5』とテレビの衛星中継時代
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。
第22回は、映画『セプテンバー5』とテレビの衛星中継時代について。
衛星生中継用アナログ機材映画
『セプテンバー5』を見た。ひとことで表すなら「衛星生中継用アナログ機材映画」だ。1972年当時のテレビ中継機材が詳細に描かれており、そちらに目を奪われたせいで字幕は半分ほどしか頭に入らなかったかもしれない。
主人公は、アメリカの3大ネットワーク全盛期のABCでスポーツ中継を担当するディレクター。彼が中継するのは、1972年のミュンヘンオリンピック。主な舞台は、メディアセンター内のテレビ放送用副調整室(サブコントロールルーム)だ。
中継準備を進めるなか、突如、事件の一報が入る。オリンピック選手村にパレスチナのテロリストが侵入し、イスラエル選手団を人質に取ったという。スピルバーグの『ミュンヘン』の冒頭でも描かれていた事件。本作はその実際の出来事をもとに描いている。
主人公たちはあくまでスポーツ報道班。それでも、中継のための機材と技術を持つのは彼らしかいない。事件現場の地図を入手し、初めて選手村と放送センターが隣り合っていることに気づく。副調整室にこもっていた主人公が慌てて外へ出ると、目と鼻の先に、犯人が立てこもる選手村があった。スタジオ内のカメラをキャスターごと動かして外に運ぶ。この映像をそのまま送信すれば、事件の一部始終を生中継できる。
『クラッシュ』と『ファイト・クラブ』
J.G.バラードは、イギリス出身のSF作家で、テクノロジー3部作と呼ばれる作品群の中の1つに『クラッシュ』という小説を1973年に刊行している。主人公のジェイムズとヴォーン博士が出会うのは、自動車事故の再現ショーだ。ジェームズ・ディーンの自動車事故のシチュエーションを用意し、スタントマンを使って事故再現するというもの。自動車事故の愛好家たちが集っていた。2人は意気投合し、一緒にハイウェイをぐるぐると周回するようになる。警察無線を傍受し、事故の現場にいち早く駆けつけ、写真や映像に収めるのだ。
主人公のジェイムズはテレビ番組の制作者。ヴォーン博士は、技術解説の番組コメンテーター。しかしジェイムズは、ヴォーン博士が自らの妄想による幻影ではないかと疑念を抱く。この設定は、おそらくチャック・パラニュークの『ファイト・クラブ』に影響を与えている。
『ファイト・クラブ』では、主人公がタイラー・ダーデンという男と出会い、秘密組織を結成する。ダーデンはカリスマ的リーダーとして台頭するが、実は彼は主人公の別人格だった。この「二重人格」の構造は、ジェイムズがヴォーンに抱いていた想像をベースにしているのだろう。主人公が自動車事故の現場を訪ねる調査員というのも『クラッシュ』へのオマージュと考える根拠の1つ。。
J.G.バラードは『クラッシュ』を1963年のケネディ暗殺事件から着想したという。ケネディは、暗殺の瞬間、リンカーン・コンチネンタルの車上にいた。その一部始終は8ミリカメラに収められている。同日、日米を結ぶ衛星中継が始まった。その第一報は、大統領暗殺のニュースだった。
自動車、暗殺、事故映像、生中継。これらがバラードのテクノロジー観を書き換えた。人の死(暗殺・テロ・事故)が作品となり、生放送されるのは時間の問題だった。そんな逡巡の末、彼は『クラッシュ』を執筆する。小説のラストでは、ヴォーン博士が映画スター、エリザベス・テイラーを巻き込む大規模事故を画策する。彼はそれを演出し、自らも命を絶とうとする。それを見るために愛好家たちが集まってきた。野次馬と生中継は同じ性質のもの。
テレビ放送が欧米で始まったのは1930年代。しかし、リアルタイムで映像と音を届ける技術が本格的な影響力を持つのは、それから30年以上後のことだ。バラードの『クラッシュ』は、この時代の到来を予見した作品だった。