大学生協で最も読まれた本「アカデミック・ライティングの教科書」著者・阿部幸大「保守的な大学教員に敵視されても構わない」

業界批判の意図「“嫌われ役”を買って出よう」

――本書を読んでいると、阿部さんが矢面に立ちながら「人文学の業界全体のレベルを底上げしたい」という強い使命感を持っているように感じました。

阿部:その使命感めいたものはどちらと言えば、後からついてきたものですね。そもそも俺はメソッドを開発し、試して、上手くいったものを誰かに教えていく、ということが得意だし好きなんです。論文指導の会社をやっているくらいで。

――自分が向いていることであり、好きなことだった。

阿部:そして同時に、論文の書き方が体系的にカリキュラム化されていないことにも問題意識を持っていました。アカデミック・ライティングについて書かれた本は、大型書店なら本棚一つを占めるほど数多く出版されています。しかし、それらを読んでも「論文を書くヒント」ぐらいは得られても、「どうすればゼロから独力で完成させられるのか」を十分に説明できている本はありません。

―― なかったから、阿部さんが作ったと。

阿部: そうです。この本は「アメリカのアカデミック・ライティングの方法論を輸入したもの」と思われがちですが、ちょっと違うんですよね。たとえば第一章で述べた「アーギュメント(論文における主張)」という概念は、たしかにアメリカの学生なら誰でも知っているし、それが論文において重要であることは多くの本に書かれています。それを日本に導入しました。しかし、アーギュメントとはなんであり、それがどのような意味で論文の核となり、どうすれば作れるのか、それをアメリカの教育現場や教科書が、拙著のように教えているわけではありません。くわえて、本書では冒頭でそれを書いたことが重要です。

―― まず最初にアーギュメントについて説明していることが、大きなポイントだったんですね。

阿部: はい。論文におけるアーギュメントの重要性を第一章で説明している本と、分厚い本のどこかで「アーギュメントが重要だよ」とだけ触れられている本とでは、読者によるアーギュメント理解はまったく異なるものになる。結果的に、拙著は「アーギュメントの本」となりました。

――特に9、10章では、大学院生時代に阿部さんが直面した「人文学の論文には価値があるのか?」と自問したことで辿り着いた結論に至るまでの思考の軌跡が綴られています。矢面に立ちながら、業界では言いにくいであろうことも真正面から綴られている印象があります。

阿部:9、10章で述べている内容もさることながら、あまり指摘されないことなのですが、そもそもこの本ってアカデミック・ライティングの教科書でありながら、日本の人文学の現状を批判し、刷新しようとしている本でもあるんですよね。従来のカルチャーを破壊しようとしている。だから一部の人にはカチンとくる本で、陰ではそういう人に煙たがられていると思いますが、その「嫌われ役」を買って出ることに躊躇はありませんでした。

――それは阿部さんだからできることだったんですね。

阿部:そう思います。アカデミアというのは狭くて陰湿な業界なので(笑)、ふつうは「嫌われたらやっていけない」とみんなびびってしまうし、じっさいそういうところがあります。しかし、俺の研究のフィールドはアメリカなので日本の保守的な大学教員に敵視されてもとくに問題ない。そして停滞し続ける日本の人文学の状況を変えるには、この断絶を導入するしかない。その先陣を切ったという感じです。

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