【連載】柳澤田実 ポップカルチャーと「聖なる価値」 第二回:デヴィッド・リンチと21世紀のポップスターたち

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【新連載】柳澤田実 ポップカルチャーと「聖なる価値」 第一回:孤独なポップスターの音楽に聖性は宿る

  音楽や映画、アニメなどのポップカルチャーは今、どのような形でユーザーに受容されているのか。「推し活」という言葉の広が…

1.「カルト」をメジャーにしたD・リンチ

  2025年の1月7日に始まったカルフォルニア州ロサンゼルス郡の山火事は、稀に見る大規模なものだった。火は山の手の高級住宅街にも広範に広がり、五万人以上の住民が避難した。肺気腫を患っていた映画監督のデヴィッド・リンチも娘の家に避難した後、病状が悪化し帰らぬ人となってしまった。リンチの作品に度々出演していたローラ・ダーンは「あなたは、私たちが故郷と呼んだ愛するロサンゼルスの街が完全に崩壊する中、私たちのもとを去りました」と追悼した。他にも彼の逝去を今回の火災と共に偲ぶ記事が散見されたが、このような連想は、彼をLAという街と深く結びつけている人たちが少なくないことを示している。リンチはモンタナ州出身で、米国内を転々として育ったので、決してLA出身者ではない。それでも彼がLAと共に想起されるのは、その独自なシュールレアリスムの手法によって、明るい西海岸の光からは想像できないような虚実入り混じるLAの暗部を描き、私たちのLA像を変えた人物だからだろう。特に高い評価を得た「マルホランド・ドライブ」(2001年)は、アメリカン・ドリームが腐乱しているハリウッドという街を、私たちの記憶に刻み込んだ。

  この連載の一回目で私は、20世紀後半であれば「オルタナティブ」として扱われていたであろう孤独で内省的なアーティストたちが、今日のポップカルチャーでスターの座を占めているという現象について述べた。これと同じような動きはリンチに対する評価にも当てはまる。1970、80年代には「カルト映画」の括りで捉えられていた彼のダークな作風もまた、今やポップカルチャーの一部になった。(※1)「カルト映画」とは、熱狂的な崇拝者を生み出す、特異な趣味嗜好が表現された作品の総称だが、異形の赤ん坊に対する私的な恐怖とそこから広がる妄想的世界を描いたリンチの長編一作目の「イレイザーヘッド」(1981年)や覗き見趣味とSM的な暴力に満ちた四作目の「ブルー・ベルベット」(1986年)は、そうした種類の作品だとみなされていたのである。それが1990年代に「ワイルド・アット・ハート」(1990年)でカンヌ映画祭のパルムドールを受賞し、またドラマ「ツイン・ピークス」(1990~91年)が世界的にヒットしたことで、激しい暴力と独特のユーモアを兼ね備えた彼の作風は、いつの間にか大衆が消費し得るポップカルチャーの主流になったのだった。公開当初には暴力的過ぎる、退屈な駄作と批判され公開時にはメディアにブーイングされた「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」(1992年)でさえ、21世紀に入り傑作として再評価されている

(※1)ポピュラーカルチャーというよりはサブカルチャーの領域になるが、特にゲームへの影響は絶大だとされている

2.リンチ流のシュルレアリスムを継承するアーティストたち

  興味深いことに、2020年代を代表する「孤独なポップスター」として連載一回目に列挙したアーティストには、リンチから大きな影響を受けている者が少なくない。この事実は、孤独や内省、そして独特の聖性を特徴とする今日のポップスターたちを理解する上で、リンチがキーパーソンの一人であることに気づかせる。ミュージシャンでもあったリンチは、ノイズとディストーションに溢れた、観者を深く没入させるサウンド作りにおいて多くのミュージシャンと協働し、主に故アンジェロ・バダラメンティと無二の作品を遺した。現在も活躍するアーティストとしては、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーもコラボレーターとして大きな影響を受けたそうだ。リンチの影響力はこうした共同制作者たちを超え、すでに次世代のトップアーティストたちに継承され、新たな展開を見せている。

  例えばリンチの訃報に際して、彼が天使(「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」に登場)を仰ぎ見ている美しい写真をインスタグラムに投稿したThe Weeknd(アベル・テスファイ)は、MVや曲の中でリンチの作品を度々参照してきた。例えば「The Hills」では「ツイン・ピークス」のヒロイン、ローラ・パーマーの悲鳴を引用し、「Gasoline」のMVでは、リンチの長編三作目「ブルー・ベルベット」に登場する切り落とされた耳を参照している。またテスファイがプロデューサーと主演を務めたHBOドラマ「The Idol」には、家族の虐待を背景に心身ともに崩壊していく、ローラ・パーマーを想起させるヒロインが登場する。

   基本的にThe Weekndの曲やアルバムのコンセプトは、現実と妄想(ドラッグが結びついていることが多い)との境界が曖昧な世界観に基づくものが多く、アートワークもシュルレアリスティックで、これらがあえて謎解きのように提示されている点も非常にリンチ的だ。テスファイの長年に渡るリンチへの敬意は、1月31日に発売された彼の最新アルバム『Hurry Up Tomorrow』のタイトル曲にも結実している。この作品のクレジットにはリンチの名前があり、実際にどのような両者のやり取り、共同作業があったのかは現状わからないが、この生の終焉を歌うゴスペルソングに、テスファイは「イレイザー・ヘッド」の劇中歌「In Heaven」を引用している

  またLynchian(リンチ的な特徴を持つ、あるいはリンチの作品を模倣する作品や人物を指す言葉)であることを度々公言しているアーティストとしては、シンガーソングライターのラナ・デル・レイが挙げられる。彼女はリンチが映画で使った「ブルー・ヴェルベット」や「ウィキッド・ゲーム」をカバーしているが、そのダークで内省的な音楽世界やリンチ作品の登場人物を思わせる往年のハリウッド女優のような出立が醸し出すカリスマ性はリンチ自身にも認知されていた

  ラナとも親しいビリー・アイリッシュは、Z世代ということもあってか、リンチ映画の衝撃を同時代に受けたミレニアル世代のテスファイやラナのように、リンチへの直接的なレファレンスをすることはない。しかし、日常の中に不穏さが溢れ出てきているような、彼女の曲や映像のダークな質感は、リンチと同質の幻視者性を感じさせるものだ。スターとしての栄光の影にある苦悩を歌った「NDA」のビリー自身が監督したMVでは、夜の暗いLAの道路をよろけながら歩くビリーの周囲を車が疾走する場面が続くが、暗闇のなかのカーライト、その光に照らさせた土埃は、リンチの「ロスト・ハイウェイ」(1997年)を思い起こさせるものだった。またリンチのシュルレアリスムは、一見絵に描いたように幸福な日常がどこか異様で、時を経るにつれその異様さの理由が暴力や悪意となって現れてくる形を取ることが多いが、ビリーの最近のMV、特に表面的には心躍るラブソングのようでありながら実は盲目的な恋愛の有害性を歌っている「Birds of a Feather」のMVはまさにそのようなアプローチを取っていたと言えるだろう。

  ラナやビリーは、リンチの作品では主に被写体だった女性が、リンチが示したような世界を女性として生きることはどのようなことかを、当事者の視点から表現しているようにも見える。

  さらにリンチ流のシュルレアリスムを、21世紀にふさわしい非常に独自なやり方で進化させたという意味では、現状、ドナルド・グローヴァー(AKA.チャイルディッシュ・ガンビーノ)以上のアーティストはいない。安穏とした日常はよく見ると狂気に満ちていて、隠されていた暴力はふとした瞬間に露見するというリンチの超現実主義的アプローチが、マイノリティの経験する世界を描くことにこそ有効であることを、グローヴァーは正確に掴んでいた。この慧眼によって彼は、FXドラマ『アトランタ』(2016~2022年)をヒロ・ムライらと制作した。そしてその動機を「僕はただ、ラッパーたちと『ツイン・ピークス』のような作品を作りたかっただけ」と端的に表現したのである。

  ドラマ「アトランタ」では、ラッパー、ペーパーボーイとそのマネージャーや取り巻きである主人公たちが、ヒップホップ好きの大学生に大麻を勧められパーティーに参入すると、南軍旗とライフルを飾った白人至上主義者の学生サークルだったり、転売業者として金持ちの家にピアノを引き取りに行くと、幼年期に父親に虐待されたなぜか顔の真っ白な黒人ミュージシャンが住んでいたりする。

  どちらも異様な事態だが、前者はアトランタが南部にあることを考えればあり得ない話ではなく、後者については実在するマイケル・ジャクソンがまさに「幼年期に父親に虐待されたなぜか顔の真っ白な黒人ミュージシャン」だったことを考えると、非現実ではなくむしろ超(非常に)・現実的だと言える。グローヴァーは、平穏な日常を異化するシュルレアリスムというこの表現方法を、彼の別人格「チャイルディッシュ・ガンビーノ」による音楽プロジェクトも含め、「アトランタ」以降のドラマ作品「キラー・ビー(原題:Swarm)」や「Mr. & Mrs. Smith」でも一貫して追究し続けている。

3. リンチ、暴力、トランプ

  リンチと共鳴する上記のアーティストたち、そしてリンチ本人に共通するテーマを簡潔に言うならば、暴力と恐怖、そして愛である。彼らはニヒリストでは全くなく、優しい感情的な触れ合いを信じているヒューマニストである(リンチの作品の中でも、老いた兄に芝刈り機に乗って会いに行く「ストレイト・ストーリー」(1994年)に顕著だ)。と同時に、この世界は暴力と恐怖に満ちているという事実を誤魔化すことなく、(精神的、肉体的)暴力とそれに対して湧き起こる恐怖を入念に見つめるのが彼らの共通点だと言える。

  先述したように20世紀後半から21世紀へと移行するなかでリンチは単なる奇人ではなく巨匠になり、リンチ的なシュルレアリスムによる暴力や恐怖の表現は、一部マニアが愛好する対象ではなく一般化した。しかしこの変化と同時期に、一般大衆の暴力や加害性に対する意識も向上していた。とりわけアイデンティティ・ポリティクスと結びついた白人や男性の加害性への意識は、かつてなかったほど高まっているとさえ言えるだろう。映画業界では2017年に「#MeToo」ムーブメントが起き、性加害に対する告発が続いた。この流れの中で、たとえばThe Weekndの「The Idol」のセックスシーンは批判されラナは虐待を美化していると批判されビリーが『Vogue』誌で昔のハリウッド風のコルセット姿を見せた時にはセクシャライズを否定するスタイルを捨てたことを批判され、グローヴァーは黒人女性嫌悪だと繰り返し批判されてきた。こうした20代(ビリーは当時10代だったが)、30代のクリエイターとは比にならないほど激しい暴力描写を性暴力も含め追究してきたリンチに対し、人々の怒りの炎が燃え上がったのは、彼とドナルド・トランプが突如結びついた2018年のことだった。

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