小川糸、最新小説『小鳥とリムジン』に込めた想い「誰もが痛みや悲しみを背負ったまま生きて欲しくない」

誰かを想い成すことはすべて祈りがこめられている

――理夢人は弁当屋を営む一方、ときどき都会を離れて、山伏として山の中に籠りますよね。自分が自分であるためには、その両方の時間が必要なのだと。

小川:人は誰しも、自然治癒力をもって生まれると思うのですが、都市でせわしない日々を重ねていると、どうしてもその力が弱まってしまう。ともすると失われてしまうものだから、取り戻すために理夢人は山へいくのだと思います。実際、大地を自分の足で踏みしめて歩かなければ、気づくことのできない感覚というのがあるんですよね。五感を研ぎ澄ませて、自然を感じ取る。その経験から得られることのなかに、「本当のこと」は潜んでいるのではないのかなあ、と思ったりもします。

――私も、山伏の方と一緒に、出羽三山を登ったことがあるのですが、地下足袋で山道を歩くだけで、靴を履いてコンクリートの道をゆくのとはまるで違う体感を得ますよね。あんまり体を動かすのは得意ではないんですけれど、自分の体が、自分のものとして、帰ってきたような感覚を得て、驚いたのを覚えています。

小川:わかります。でも、だからといって生活のすべてを大自然のなかで過ごす、私と同じような生活を全員ができるわけでもないことはわかっていますし、だからこそ理夢人は、行ったり来たりを繰り返しているのでしょう。山籠もりによる不在は、常連客からは不評だけれど、自分を犠牲にして他人のために尽くしても、きっと長くは続かない。ともに生きるためにお互いに妥協点を見つけて、双方ハッピーになれるようなやり方を見つけるのが理想なのだろうな、と。無理をしたことって、いずれは自分に跳ね返ってきますしね。

――そのバランスをきちんとつかんでいるのが、理夢人の魅力だなと思いました。そんな彼のつくる料理だから、お客さんの身体だけでなく心も癒すし、小鳥の傷ついた心も安らいでいったのだろうなと。

小川:でもきっと、最初にコジマさんに出会っていなければ、理夢人との出会いもまるで違うものになっていただろうなと思うんです。不思議ですよね。人って、人生って、選択の積み重ねで成っているのだなあとつくづく感じます。誰かの何気ない一言でどん底に突き落とされることもあれば、ほんのささやか出逢いによって、人生を救われることもある。私たちの日々は、本当に微細な振動によって揺らされ、影響を受けているのだろうなあ、と。生まれ持った性質にもよるだろうし、何を選んで、決断し実行するかによっても、未来はまるで変わってくる。劇的な出来事ではなく、小さな積み重ねによって幸せの土台はつくられていくのではないかと思います。

――その土台を、自分でつくらねばならないということも、小川さんの小説では描かれている気がします。優しく寄り添うだけでなく、自立しなければならないという厳しさも教えてくれる。ひとりで立てなければ、誰かとともに生きることもできないのだということを、とくに本作では感じました。

小川:先ほど自然治癒力の話をしましたが、人の生命力というのは、後天的にも培われていくものだと思うんです。たとえば道の真ん中で転んでしまったとき、もうだめだとその場で寝そべったまま絶望するか、もう一度歩き出そうと上を向いて起き上がれるか、その判断は自分でくだすことができる。壁にぶつかったときに自分はどうするべきなのか、どんな強さを身につけたいのか、イメージトレーニングすることができるのも、物語の力かなと思います。読んでくださった方が小鳥に共感し、一緒に癒されていくだけでなく、生命力をたくましくしていってくれたらいいなあ、と。

――山伏として一番大事な行いは祈りだと理夢人は言っていました。自分の道は自分で歩くしかないからこそ、私たちは他者の幸せを祈る。そして物語にも、その祈りがこめられているんですね。

小川:祈るだけなんて、やってもやらなくても同じだと考える人も、いるでしょう。でも私は、無意味だとはどうしても思えないんですよね。私が小説を書くことも、理夢人がお弁当をつくることも、誰かを想って成すことんはすべて祈りがこめられていて、その効用が今すぐにはわからなくても、いずれどこかで誰かを救うかもしれないし、社会を変えていくことにつながるかもしれない。祈りがもたらすものは意外と大きくて、私たちにできることも、もっとたくさんあるんじゃないかなと思います。

――理夢人のお弁当は、本当においしそうでしたね……。

小川:ありがとうございます。この作品を書いて、改めてお弁当というのはギフトなんだなと思いました。誰かがつくってくれたお弁当の蓋をあけるときのわくわくは、何物にも代えがたいですよね。お店で売るような味でなくとも、特別なごちそうになる。私も、母の作ってくれたお弁当のことを、思い出しました。ふだんの食事は祖母がつくっていたけれど、お弁当だけは母の担当で。卵焼き一つとっても、祖母がつくる塩味の効いたものとは違う、甘みの引き立つもので……。作る人によってこんなにも変わるんだな、と思ったことも覚えています。

――理夢人の弁当屋さんが身近にあればいいけれど、それはやっぱり、本の中にしかないから。現実でもその救いを見つけられるように、一歩一歩、踏み出していきたいなと思います。

小川:繰り返しになりますが、本を読むということはイメージトレーニングに繋がっていて、自分とはちがう考え方や価値観に触れるだけで、得られるものがきっとあるはず。たとえ失敗しても、傷ついても、もう一度立ち上がってやり直せばいいのだという気持ちになってもらえたら、とても嬉しいです。経験することでしか、私たちは何かを得ることはできないのだから。だから、この物語を必要とする人のところに届いてほしいなあ、と切に祈っています。その方が何かを選び、決断する時の、小さなお守りになれたら嬉しいです。

書籍情報

『小鳥とリムジン』
発売日:2024年10月9日
頁数:304ページ
ISBN:978-4-591-18341-0
出版社:ポプラ社

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