映画化で再注目! エンタメから純文学まで『八犬伝』が与えた多大なる影響
『八犬伝』に関しては、犬士が正しい人に書かれすぎと指摘される半面、恨み深き玉梓、小悪党の網乾左母二郎、淫婦にして毒婦の船虫など、悪人の描写が活き活きしているとの評価もある。前述の通り、怪奇とチャンバラの名場面はもとから多いし、それらに加えて犬士に人間味を色づけするのが、アレンジの基本となっている。映像化では薬師丸ひろ子、真田広之出演の映画『里見八犬伝』(1983年)が、ファンタジー性、怪奇色の強い内容だった。特に、今では『千と千尋の神隠し』の湯婆婆の印象が強い夏木マリが、玉梓役で血の風呂に入り歓喜するシーンは強烈だ。映像化では、滝沢秀明主演のTBSドラマ『里見八犬伝』(2006年)を覚えている人もいるだろう。
小説での思い切った書き換えとしては、山田風太郎が映画原作となった『八犬伝』以前に発表した『忍法八犬伝』(1964年)を、まずあげておきたい。馬琴の『八犬伝』では、八犬士の功績により里見家の最初の3代で悪を打ち負かし正義が実現されたとされる。だが、通説では実在の里見家は4代目以降に親族間の争いが起き、対外的な戦にも負け、10代で滅んだとされる。馬琴はその史実を知っていたし、『八犬伝』では未来に崩れ去るのをわかったうえで理想の実現を書いたのだ。彼は、理想だけでなく苦い認識も持っていた。それに対し『忍法八犬伝』は、里見家末期の危機に対し、放蕩者揃いになっていた八犬士の子孫が、忠義ではなくお姫様への憧れで頑張るという、パロディ的な内容だ。山田の忍法帖シリーズらしく、奇想天外な忍法とエロティックな描写を盛りこんだ娯楽作である。
正義の英雄としての犬士を登場させない点では、桜庭一樹『伏 贋作・里見八犬伝』(2010年。『伏 鉄砲娘の捕物帳』として2012年にアニメ映画化)も興味深い。同作では人と犬の子孫で「伏」と呼ばれる異形の者が、狩られる対象になる。ここでも、ある種のひっくり返しが行われている。
また、若者たちが集まる青春小説の側面を拡大した例として「青春大河サイキックノベル」と銘打たれた橋本治『ハイスクール八犬伝』(1991年。8巻までで未完)がある。
『八犬伝』は、エンタメ系だけでなく純文学でも題材にされてきた。多和田葉子『犬婿入り』のように、人と動物が恋愛関係となる異類婚姻譚を題材にジェンダーや性にまつわるテーマを描く流れがある。『八犬伝』の伏姫と八房の関係をそのモチーフにした例として、津島佑子「伏姫」(『逢魔物語』1984年所収)、松浦理英子『犬身』(2007年)があげられる。
ほかにも、軍用犬を描いた古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』の構想段階の課題が「∞犬伝」だったと作者が明かし、細田守監督のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)で『八犬伝』にまつわる名を持つ人物が多く登場するのが知られている。そのように『八犬伝』との関係が明示されなくても、ボールの形の痣があるメンバーが野球チームに集結し死者が相次ぐ激闘をするマンガ『アストロ球団』(1976年)のように、『八犬伝』の枠組みを借りたらしき作品は多くある。
高山一実(元・乃木坂46)の小説『トラペジウム』(2018年)は、アイドル志望の少女が、東西南北の星に相当する仲間を集めグループを結成しようとする話だった。高山は『八犬伝』の発端となる安房(現在の南房総市)の出身であり、同作執筆以前の2013年に館山市(やはり昔の安房)で催された「南総里見まつり」で伏姫に扮していた。
また、今回の映画『八犬伝』では作者が主役だったわけだが、馬琴の生活についても芥川龍之介の短編「戯作三昧」(1917年)をはじめ、たびたび小説に書かれ、今年は朝井まかて『秘密の花園』が発表されている。2023年放送のNHK連続テレビ小説『らんまん』で、浜辺美波演じる主人公の妻が『八犬伝』マニアで馬琴を尊敬する設定だったのも記憶に新しい。『八犬伝』と馬琴が忘れられることは、まだないと思う。