立花もも 新刊レビュー 昭和最大の謎に迫る長編、“今どき”ではない謎解き……サスペンス・ミステリー4選
谷津矢車『二月二十六日のサクリファイス』(PHP出版)
昭和11年2月26日。陸軍の青年将校が約1500人の兵を動かし、首相官邸などを襲撃して帝都東京を占拠。大蔵大臣だった高橋是清をはじめ3人を死に至らしめたものの、未遂におわったクーデター、二・二六事件が本作の主題。昭和史最大の謎といわれるこの事件がなぜ起きたのか、事前ではなく事後のとりしらべによって明らかにしようとするものである。
が、蹶起(けっき)した青年将校とつながりが深いとされて投獄された、重要容疑者の大尉・山口一太郎は事件の物々しさに比べて、やけに軽い。山口の取り調べを担当することになった憲兵の林逸平に対しても、製図するための道具や白衣を差し入れせよ、そろわなければ取り調べに応じぬと強気の態度。山口の義父にそれなりの地位があるとはいえ、とらわれた人のとる態度ではない。戸惑いながらも調べを進め、関係者に話を聞くうち、根っから型破りで「こうあるべき」に準じる性格ではないということもわかってくるのだが、そうなると不思議なのが、群れるたちでもなさそうな彼がどうしてクーデターに関与したのかということである。そうして、山口の真意に迫るうちに逸平もまた、軍人としての己のありようを見つめ直すようになっていく……。
現代を生きる私たちにとっては、山口の主張のほうがむしろなじみやすく、軍部の体質は古臭く「だめ」なものに感じられる。けれどその時代を生きる人たちにとっては、理不尽であろうと合理性がなかろうと、それが正義だったのだ。いや、正義と信じるべきものであった。それを断罪するのは簡単だけど、こうした歴史モノを読むにつけ思う。自分がその時代に生きていたら、果たしてどんなふるまいをしていただろう、と。
二・二六事件の“真の犠牲(サクリファイス)”は誰だったのか。帯に書かれたその言葉の意味を考えるとともに、現代を生きる私たちが誰かを犠牲にしている可能性についても、想いを馳せる。
永嶋恵美『檜垣澤家の炎上』(新潮文庫)
こういう小説を読みたかった! と本を開いて数ページで快哉をあげた。いまどきの、いきなり謎がぶちかまされて、テンポよく展開していくミステリーとはちがう。明治維新後の横浜で知らないものはいない富豪・檜垣澤家の人々の関係性をつかむだけで時間がかかってしまうし、母亡きあと、妾の子として引き取られた幼いかな子がいったい、物語でどういう役割を果たすのかも、しばらくはわからない。ただ不穏な気配の漂う、かな子にとっては決して居心地のいいとはいえない屋敷のなかでの人間模様が淡々とつづられていくだけだ。でも、それがいい。そして実はその、丁寧で細やかな、一見物語とは関係のなさそうな描写のなかにも、ラストに繋がるヒントが隠されているということは、最後まで読めばわかるのだから。
檜垣澤家は、かな子の父親が当主だったが、生前から本妻に当たるスヱがとりしきっていた。スヱの長女・花の婿が当主だったけれど、火事で謎の死を遂げ、花の長女・郁乃の婿が当主となるが、そもそも男たちはお飾りで、権力を握るのは女たち。とはいえ、かな子に権力などあるはずもなく、使用人たちにも疎まれながら、自分の立場を悪くしないよう上手に立ち回ることが目下の使命であった。おかげで如才なくふるまうことに長けた、良くも悪くも腹に一物もつ少女に育ったかな子は、やがて自分も檜垣澤家で相応の地位を得たいと思うようになる。その野心を胸に、血なまぐさい事件にまきこまれながらも、何十手先も読むスヱとわたりあっていくかな子の成長が読みどころの一つ。
花の婿がなぜ死んだのか、殺されたのではないかと疑う元女中の登場によってきなくさくなる屋敷の事情。スヱの策謀によって引き合わされた生涯唯一の友とのシスターフッド。あれもこれもてんこもりで、読みどころをあげていったらキリがないのだけれど、個人的には謎多き書生・西原とかな子との関係にずっと萌えていた。二人の立場的にも性格的にも、そして物語のテイスト的にも、メロドラマに発展するとは思えない。むしろかな子はずっと彼を怪しみながら、腐れ縁を続けていくのだが、安易に恋にならないからこそ、ときめいた。
学生時代、夢中になって小説を読んだ喜びを、久しぶりに取り戻させてくれた一作である。