カツセマサヒコ“無自覚の加害性”に向き合った最新作「小説を書くことで少しでも気づいていけたら」
カツセマサヒコさんにとって三作目の長編小説となる『ブルーマリッジ』(新潮社)。付き合って6年、同棲して2年の恋人との結婚が決まったばかりの人事部社員・雨宮守。超過労働とパワハラ疑惑を受ける50代の営業部課長・土方剛。真逆の二人を対比しながら、重なり合う加害性を浮かび上がらせていく本作は、これまでの彼のイメージを一新する力作だ。“カツセマサヒコ=エモ”のイメージを覆したかったというカツセさんが、同作に込めた思いとは?(立花もも)
今この瞬間にも誰かを傷つけている可能性はある
――結婚がテーマではありますが、身近な存在への加害性を、会社で起きるパワハラ疑惑に絡めて描いていて、ものすごくおもしろかったです。差別はいけない、と言いながら、自身も無自覚に加害を重ねているかもしれないことの怖さもつきつけられて。
カツセマサヒコ(以下、カツセ):まさに僕自身、自分の加害性に気づかされることがこの数年で増えてきていました。フェミニズムやジェンダーにまつわる話を聞いたり、本を読んだりすると、何気ない言動がどういう形で人を傷つけるか、具体的に知ることになります。そのいくつかは身に覚えのあることで、たとえばライターとして働いていた頃には女性を搾取的に描いた下ネタ満載の記事を連載していたこともありましたし、近しい友人や家族にひどい言葉を投げてしまったこともありました。そうした過去をふとした瞬間に思い出しては、頭を抱えてしまうようなことが増えています。
――そういう時代だったから仕方ない、では済まされない罪悪感が生まれますよね。
カツセ:今さら謝りに行ったところで、それは自分が許されたいだけの傲慢な行為だから意味がないと思っています。過去には戻れない以上、加害の罪は一生背負っていくしかないし、背負いながら未来をどう生きていくべきか考えなきゃいけない。そう思っているのですが、インターネットでは強い言葉で誰かを責めている人がいて、それを見ると恐ろしくなってしまうんです。差別もハラスメントも絶対に許されることではないとわかっているけれど、現実に、一切の加害をせずに生きられる人間がいるとは思えません。それなのにどうしてあんなに堂々と、あらゆる差別に反対だと言い切れるのだろう。加害ある人間はどう向き合えばいいのだろうということを、僕なりに書いてみようと思ったのが今作の『ブルーマリッジ』です。
――カツセさんが気づきを得るきっかけは、本を読んだこと以外にありますか?
カツセ:ライター時代の上司が、10年くらい前にはもう、フェミニズムやジェンダーをテーマに仕事をしていた方で、それを横で見ていたというのは大きいと思います。当時は、そういう考え方もあるのか、くらいにしか思っていませんでしたが、やがて『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)がベストセラーになり、フェミニズムに触れる機会が自然と増えていって、知識や価値観がインストールされていったのだと思います。過去の加害にこれだけ気づけていなかったのだから、今この瞬間にも、誰かを傷つけている可能性はあると思ったら、それも怖い。書くことで自分の加害性と向き合うことができれば、という気持ちもありました。
若者の視点も取り入れることで生まれた対比構造
――20代の守だけでなく、50代の土方の視点でも描いたのはなぜだったのでしょう?
カツセ:実をいうと、最初は土方だけを主人公にするつもりだったんです。政治家をはじめ、年配の男性たちがあまりに公の場で差別的な発言を繰り返すので、その自覚のなさ、学ぼうとしない姿勢に辟易としているのですが、彼らもインプットさえきちんとできれば、気づいて変わっていけるのではないか、という希望を捨てきれずにいます。「おじさんになったら価値観が古びて、理解することもされることもなく死ぬだけ」なんて未来は、男性の僕にとっては絶望でしかないので。
――たしかに。
カツセ:人はどんなに老いても変われるし、価値観を覆していけるんだという希望を書くために、土方という中年男性をメインに考えていたんです。その時点では、もう一人の主人公である守は、ただ土方を精神的に刺しにくる人、というだけのイメージだったのですが、それだと読者も離れてしまうだろうと(笑)。これまでずっと、若い人に寄り添いながら作品を書いてきたのだから、その視点を忘れてはいけないと担当編集さんからも言われて、主人公を二人にする物語となりました。たしかに僕のファンだと公言してくださるのは、『明け方の若者たち』の主人公と同世代の方が圧倒的に多いんですよね。
――20代前半の、10代とはまた違うゆらぎのなかにいる人たちの繊細な感情を、掬いあげていますもんね。
カツセ:皮肉ですが、僕ほど“エモい”と言われ続けた作家はそうたくさんはいないんじゃないかと思うほど、読者からは「若者の青春劇を描く人」というイメージを強く持たれています。そのことに僕自身も飽き飽きしていて、早くそこから脱したい、新しい代表作をつくりたいと思っていたことも、土方主人公の物語につながっていました。
ただ、担当さんの言う通り、これまで僕の作品を好きだと言ってくれていた人たちを突き放すような形になるのは本意ではないと思いまして。『明け方の若者たち』から4年が経ち、会社でそれなりに責任のある仕事を任され、結婚したり親になったりしているであろう当時の読者にも寄り添える存在として、守を造形していきました。
――結果的に、対比構造がおもしろさを増した気がします。土方については、自分の非を認めないし、状況を理解しないしで、イライラさせられっぱなしでしたが……(笑)。
カツセ:僕としては土方がもっと早く自分の加害に気づいて、いいおじさんになっていく姿を描きたかったんですけど、いろんな人から「そんなわけがない」と散々言われて(笑)。勤続30年で培った成功体験があるから、考えが凝り固まってしまって、なかなか自分を変えられないんですよね。現実でも、おじさんってどうしてこんなにも譲らないんだろう、って不思議になることは多かったですけど、書きながらより痛感しました。
ただ、それでも土方は若いほうだと思うんですよ。バブルでおいしい思いをしたわけでもないのに、がむしゃらに働くことで社会をよりよいものにしようとしてきた、ある意味では功労者の一面もあり、その時代で良しとされていたことをまっすぐ頑張ってきた人なだけなので。
――価値観があまりに変化しすぎて、ついてこられないのも無理がないよな、と思うことは現実にもありますね。
カツセ:そうなんですよ。だから、彼自身の悪意を描くのではなく、社会構造がもたらしてしまったものについて書こうという意識は常に抱いていました。とはいえ、どんな球を投げてもスルーするから「いい加減、気づけよ!」って僕自身も土方にはもどかしく思ったりはしましたけど(笑)。
――昔の部下が、土方ががむしゃらに働かせてくれたおかげで、つらい時期も乗り越えることができた、と感謝している場面が、けっこう好きでした。それを普遍的に良しとするのではなく、時代や人が違えばそういう見方にもなり得るんだ、というのが伝わってきて。
カツセ:根っからの悪人ではないし、彼のやり方でもたらされたいいこともたくさんあったはず。土方がやり込められてスカッとしました、という感想が寄せられたとしたら、この小説は失敗なのだと思います。
――スカッとしたわけではないですが、離婚を突き付けた妻との関係の描き方は、ちゃんと土方が苦しむ形で描かれていて、「取り返しのつかないもの」もあるのだということが彼自身に響いていくのがよかったなあ、と思います。
カツセ:ラストの、リモコンにまつわるエピソードは僕も気に入っています。ダメ出しの多い担当さんでしたけど、あそこだけは褒められました(笑)。