波紋からスタンドへーーリサリサを主人公に据えた小説『ジョジョの奇妙な冒険 無限の王』に見る“黄金の精神”の継承

 「波紋」とは何か。「スタンド」とは何か。真藤順丈の『無限の王』を読めば、おぼろげながらその答えが見えてくるだろう。

 真藤順丈の『無限の王』は、荒木飛呂彦の人気コミック『ジョジョの奇妙な冒険』の公式ノベライズ作品である。主人公は、「リサリサ」ことエリザベス・ジョースター。そう、稀代の“波紋使い”にして、原作第2部の主人公、ジョセフ・ジョースターの師であり母である人物だ。

※以下、ネタバレ注意。

 時は1973年。グアテマラの古都・アンティグアで、“奇妙な”連続殺人事件が起きていた。いずれの死体にも銃創とおぼしき外傷が数十カ所残されていたのだが、殺害現場のどこからも――むろん被害者の体内も含めてだ――弾頭が発見されることはなかった。つまり、犯人は「見えない銃弾」で殺人を繰り返しているということになる。

 事件を問題視したスピードワゴン財団は、現地に調査員を派遣。同財団の顧問になっていたリサリサもまた、少し遅れてグアテマラの地に潜入する。そして、彼女は知ることになるのだ。波紋とは異なる「新たな力」が、闇の世界で台頭しつつあるということを。

「波紋」と「スタンド」

 「新たな力」とはもちろん、後に「スタンド」と呼ばれるようになる超能力のことだが、ここで簡単に2つの力について説明しておこう。

 まず、波紋とは、東洋の仙道に伝わる特別な呼吸を使い、太陽の光と同じ波動を持つエネルギーを生み出す技のことである(この技を血の滲むような鍛錬で習得した人間は、吸血鬼や「柱の男」のようなスーパーナチュラルな存在とも互角に戦えるようになる)。

 一方、スタンドとは、修行ではなく、運命によって導かれるものであり、能力者ひとりひとりが異なる力を発現させることになる。ただし、その力がどのような種類のものになるかは、発現するまで能力者自身にもわからない(「スタンド」の名のとおり、多くの場合、人型の幽体[註1]が能力者の傍に“立つ”ようにして現われ、それが超自然的な現象を巻き起こす)。

[註1]人型ではなく、動物や植物、道具や乗り物などの幽体が現れる場合もある。

 なお、原作の『ジョジョの奇妙な冒険』は、現在第9部が進行中であるが、波紋によるバトルが主に描かれているのは、初期の第1部と第2部のみである(それ以降の物語はスタンドによるバトルが中心となるが、例外的に、第3部の終盤で、ジョセフ・ジョースターが波紋とスタンドの“合わせ技”を使う場面がある)。

 では、波紋は新しい世代の“ジョジョ”たち――具体的にいえば、第3部以降のスタンド能力を持った“ジョジョ”たち――にとっては、ただの“時代遅れの技”ということになるのだろうか。

 実際、波紋はスタンドには通用しない、ということになっているようだ。たとえば、第3部の最終決戦で、ジョースター家の宿敵・DIOは、「百年前はちと手を焼いた『波紋』だが 『世界(ザ・ワールド)』[註2]の前では全く無力のものよ」といっている。

[註2]DIOのスタンド。

「波紋からスタンドへ」という転換期の物語

 ちなみに前述のように、ジョセフ・ジョースターは波紋とスタンドの“合わせ技”を使うことができるのだが、実は原作では、その種のキャラクター――すなわち、「波紋使いにしてスタンド使い」は、(いまのところは)彼だけである。

 しかし、『無限の王』では、さらに別の波紋使いが2人――その人物たちの名はここでは伏せておくが――スタンド能力を発現させることになる。

 このある種の大胆な“改変”については、賛否両論あるだろう。それくらい、原作において、「波紋もスタンドも使えるただひとりの人物」というジョセフの立ち位置は特別なものだからだ。だが、当然、同作が公式ノベライズ作品である以上、原作者の荒木はこの“改変”を認めているのだろうから、一読者である私がとやかくいうことではないのかもしれない。

 いずれにせよ、「波紋からスタンドへ」という時代の転換期を描いた『無限の王』では、2人の波紋使いがスタンド能力を発現させることになる。ただしその2人は、新しく手に入れた力を過信することなく、最後まで“波紋使いの誇り”を失うことはない。実戦でも、ここぞという場面では波紋を使い続ける。そこが面白いと私は思う。

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