「化政文化」の内実を立体的に描き出そうとする野心作 永井紗耶子の直木賞受賞後第一作『きらん風月』評

 その際に重要となってくるのは、個々の「作品」の解説や解釈ではなく、それらを生み出した時代の「情況」であり、そこで生きる表現者たちの「気概」であり……そこには、厳しい取り締まりに対する、ある種の「反骨」もあったのだろう。しかし、それ以上に重要なのは、各地に点在する「文人墨客」たちによる、蜘蛛の巣のように張り巡らされたネットワークなのだった。鬼卵が、当時の文化人の紳士録とも言える『東海道人物志』を最初に著したのも、そんな人々の「繋がり」を、後続の若い人々に伝えるためだった。「文化」とは、個々の「作品」を見るだけ/読むだけでは、その全体像をつかむことができない。そこには、さまざまな表現者たちの「思い」と「繋がり」があり……さらには、それを享受する人々の「思い」と「繋がり」があるのだ。その一方で、公序良俗を乱すそれらのものを取り締まろうとする為政者側にも、彼らなりの「信念」があった。そのどちらが「正しい」というわけではない。少なくとも、その時代においては。冒頭に挙げた鬼卵の狂歌のごとく、それは「煙となりて後にこそ」判断されるべきことなのだろう。

 鬼卵と定信――世が世であれば、決して交わることのなかったであろう、身分も立場も異なる2人のひとときの邂逅(実際に、鬼卵と定信が対面したという記録が残っているようだ)から、「文化」の「起こり方」や「在り方」――果ては、歴史を題材とした「物語」(当時の戯作の多くは、過去の出来事を自由かつ大胆に翻案したものだった)を、広く大衆に向けて紡ぐことの「意義」や「意味」までも、射程しているようにも思える本作『きらん風月』。それは、江戸時代のみならず、現代にも通じるような人々の「営み」を、そして何よりも「エンターテインメント」の在り方を、俯瞰したまなざしと大きな慈愛の心をもって綴るような、実に胸に響く一冊だった。

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