宝島社・蓮見清一社長死去、サブカルからアダルト、ファッション、付録へ……雑誌王国を一代で築いた剛腕

 宝島社の社長・蓮見清一氏が12月14日、心不全のため死去した。80歳だった。蓮見氏は1971年に、前身となるジェー・アイ・シー・シー(JICC出版局)を設立。以来、その大胆な企画力、そして独創的な新聞広告などは出版界の枠を超えて常に話題の中心となり、宝島社を総合出版社へと成長させる立役者となった。

  蓮見氏は、1974年に同社の中核となる雑誌「宝島」を創刊。同誌は宝島社を象徴する雑誌となり、時代に合わせて誌面の大胆な刷新を行ったことでも知られる。1970~80年代には日本のサブカルチャーを牽引する雑誌となった。これまでにみうらじゅん、いとうせいこう、たま、まついなつき、電気グルーヴ、スチャダラパー、清水ミチコなど、とにかく濃すぎる面々が誌面を飾った。

  そんな「宝島」の大きな転機は、1990年代になんとアダルト雑誌に転換したことだった。一般雑誌ではじめてヘアヌードを掲載し、反響を巻き起こした。アダルト雑誌のイメージが定着したと思ったら、2000年代には硬派なビジネス雑誌に転換するという荒業をやってのけた。

  そして、「宝島」は数々の名物編集者が在籍し、誌面から数々の名物企画が誕生したことも重要である。サブカルチャーから硬派な政治ネタ、社会問題まで鋭く切り込んだ「別冊宝島」や「別冊宝島Real」なども、「宝島」がきっかけで生まれたシリーズである。

 なかでも読者投稿コーナーから始まった「VOW」は、奇妙な看板から雑誌の誤植、置き薬や駄菓子のパッケージまで、町にあふれる変なものを読者から募るという趣旨で、同誌の名物コーナーとして有名になった。そして、投稿をまとめた単行本もまた、ベストセラーとなった。ちなみに、「宝島」で連載を持っていたスチャダラパーはグループ名が非常に誤植されやすく、「VOW」でしばしネタにされた。

  そして、1990年代から2000年代の宝島社を象徴するのが、ファッション雑誌である。1989年、日本で初めてとなるストリートファッションの専門誌「CUTiE」を創刊したのを皮切りに、「smart」や「SPRiNG」「sweet」など、ファッション雑誌を次々に世に送り出した。2009年には、ファッション雑誌市場で最多のシェアを獲得した。

  そして「sweet」など女性誌は、豪華な付録でも人気を集めた。従来の付録の常識を覆す実用できる付録としいて話題を席巻し、付録目当てで雑誌を購入する女性が続出した。これを機に、女性誌の付録合戦が勃発。各社がブランドとタイアップした豪華すぎる付録を次々と誕生させるなど、雑誌の販売手法にも大きな影響を与えた。

  蓮見氏が率いた宝島社は、日本の雑誌文化、出版文化牽引してきた存在といえる。サブカルチャーとしての雑誌から始まり、ファッション雑誌の一時代を築いただけでなく、付録に豪華な雑誌をつけて流通革命をもたらした。蓮見氏がいなければ、日本の雑誌はまったく違うものになっていたことだろう。時代を読むセンスに長け、経営者としての才を持った出版人であったことは間違いない。

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