江戸川乱歩、なぜ現代でも読み継がれる? 書評家・千街晶之が今年刊行された注目作から考察

  さて、乱歩の小説はこれまでに数多くの漫画化の例があるけれども(今年に入ってからも、コアマガジンから駕籠真太郎『乱歩アムネシア 二十一番目の人格』の1巻が出ている)、2023年12月、「春陽堂書店コミックス」から3冊の漫画が同時刊行されたのは特に注目される。春陽堂書店といえば、江戸川乱歩の小説を文庫で古くから刊行している出版社であり、多賀新による怪奇な銅版画の表紙を書店で目にしたひとも多い筈だ。

  そのように乱歩と縁の深い版元が乱歩漫画のシリーズ化に乗り出したわけだが、その第1回配本は下記のラインナップである。

(左)江戸川乱歩/原案、熊谷杯人/画『偉大なる夢 1』
(中)江戸川乱歩/原作、竹内一郎/脚本、吉田光彦/画『陰獣』
(右)江戸川乱歩/原案、上野顕太郎/脚本、山田一喜/画『目羅博士の不思議な犯罪』

  よく見ていただければ、「江戸川乱歩/原作」と「江戸川乱歩/原案」という違いがあることがおわかりだろう。これは、それぞれの作品がどこまで原作に忠実かというバロメーターの役割を果たしている。

  3冊中、最も原作に忠実なのが『陰獣』である。原作は乱歩の初期の集大成的な傑作であり、著者自身のイメージを利用したメタな大仕掛けと、サディズム・マゾヒズムというモチーフが醸し出すエロティシズムによって今なお人気が高く、しばしば映画化・ドラマ化もされている。漫画化も、これまでに古賀新一、バロン吉元、山口譲司(『江戸川乱歩異人館』の1エピソード「影男」)による先例が存在する。

  今回の吉田光彦の『陰獣』は、探偵小説家の寒川が博物館で、背中に蚯蚓腫れのある美しい人妻・小山田静子と知り合うシーンから始まる。そこから、静子が寒川の家を訪れて相談をするまでのプロセスが短縮されたり、寒川が静子の寝室であるものを発見するタイミングが異なっていたり……といった細かな違いはあるものの、展開はほぼ原作を踏まえている(原作では不明の寒川の下の名前が光一郎なのは、1977年に公開された加藤泰監督の映画『江戸川乱歩の陰獣』で、あおい輝彦が演じた主人公の名前が寒川光一郎であることから借用したと思われる)。

  アングラ演劇から大きな影響を受けたヴェテラン漫画家・吉田光彦の絵柄が昭和テイストを醸し出している一方、寒川が真相に迫る過程もロジカルかつわかりやすく描かれており、論理性と妖しさを兼備した原作の魅力を伝えているが、原作との最大の相違点は、エログロ探偵小説家・大江春泥の作風を嫌悪する寒川が、実は大江の文才を内心尊敬していることが強調されている点であり、そのため、犯人と思われる人物に寒川が最後に投げかけた台詞にも、原作と異なるニュアンスが込められていると感じた。

  続いて『目羅博士の不思議な犯罪』。原作は、乱歩自身と思しき「私」が上野の動物園でたまたま出会った青年から、あるビルで連続する不審死と、その近所に住む老医師・目羅博士の暗躍について語るのを聞かされる幻想的な短篇だが、今回の漫画は「原案」とクレジットされているように乱歩作品のストレートな漫画化ではなく、設定を借用したかなり自由な翻案となっている。

  50年間、ありとあらゆる殺人を研究してきた果て、正義や道徳を度外視した、純粋な殺人のための殺人を実践しようと思い立った老博士。彼は若い助手を共犯者として、表面的には事故として処理されるような完全犯罪の遂行を企てる。ところが、さまざまな仕掛けで通行人を死の罠におびき寄せようとするも、そう上手くはいかず、最初のうちは失敗また失敗の連続である。

  しかし、とうとう殺人に成功し、そこから犯行を重ねてゆくようになるのだが、そのきっかけとなるある要素は乱歩の原作から借用している。また、事故死に見せかけるトリックは乱歩の短篇「赤い部屋」を想起させるし、第4章で博士が企てる「美しい殺人」は、犠牲者として選ばれるのが美貌の姉妹ということもあって、長篇『蜘蛛男』からヒントを得たとも推測できる。一連の事件を捜査する町田警部との決着はつかないまま、やや中途半端なところで終わった感もあるが、ここから続篇につなげることも可能だろう。

  残る1冊の原案が『偉大なる夢』だと知った時には思わず自分の目を疑った。というのも、これは「夢を尊重せよ。われらの陸海軍は皇国三千年の夢を実現しつつあるではないか」という書き出しから察せられるように、乱歩が戦時中に執筆したスパイ小説であり、時勢に合わせて軍国主義的な要素が強い「国策小説」である。乱歩は戦後、この作品を全集や単行本に収録しなかった。乱歩作品としては、人気も注目度もかなり低い長篇なのだ。

  それに敢えて挑むからには、漫画化を手掛けた熊谷杯人の中に大きな成功の目算があったと考えるべきだろう。実際、これは第1回配本の3冊の中でも最も野心的な試みだった。

  原作は、東京とニューヨークを5時間で飛行可能にする五十嵐東三博士の新発明をめぐって、アメリカが送り込んだスパイが暗躍する……という筋立てながら、博士襲撃事件におけるトリッキーな不可能犯罪の興味と、スパイの驚くべき正体という意外性を盛り込んでいる点に、本格探偵作家としての乱歩の意地(というか手癖と言うべきか)が垣間見られる。探偵役を務めるのは憲兵少佐の望月だが、今回の漫画版では今のところ出番が少ない(そもそも、スパイの正体は漫画版では伏せておくつもりがないようだ)。また、原作の実質的主人公は五十嵐博士の息子の新一だが、漫画版に主人公として登場するのは、オリジナルキャラクターの百瀬肇という少年である。昭和12年、彼は同郷出身の空の英雄・飯島飛行士と出会い、彼のような立派な人間になろうと志を立てる。4年後に東京陸軍航空学校に入学した肇は、日米開戦から間もなく、飯島飛行士が戦死したことを知り、仇を討つと誓うのだった。やがて彼は、新型機を設計している技術者の五十嵐東三博士、息子の新一、五十嵐の研究を助ける南博士の妹・京子と知り合うが……。

  五十嵐父子や南京子といった人物は原作にも登場し、その役割も共通するけれども、漫画版では原作の展開にはない秘密が存在することになっている。その真相が明かされるにつれて、肇の「夢」も変化を余儀なくされる。最初、飯島と知り合った彼は、「卑小なる保身を離れて偉大なる夢を抱くのだ」と決心する。だが、飯島の死を知って、空への憧れを戦争という現実が消し去ったと悟り、敵機をすべて撃ち落とし、戦争を終わらせるという夢を抱くようになった。ところが、新たな事実を知ることで、軍国少年となった肇の「偉大なる夢」は崩壊してゆくのだ。

  本書はまだ1巻であり、仮に全2巻だとしてもあと半分が残っている。ある人物をスパイだと睨んでいる望月憲兵少佐、原作には登場しない小説家の荒川牛歩といったキャラクターが、今後どのように動くのかは予測が難しい。しかし、『偉大なる夢』という「国策小説」を、戦時中に生きるひとりの少年の青春を通して「反戦漫画」へと反転させようとする、乱歩作品の漫画化史上類例のない試みであることは間違いなさそうだ。

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