「これは共感!」黄金期「週刊少年ジャンプ」の早売り文化を描いた、 小栗かずまたの漫画がSNSで話題
「週刊少年ジャンプ」の部数は1980年代からどんどん伸び始め、やがて新聞よりも部数が多くなり、1994年の年末に発売された1995年3-4号は約653万部を発行した。これは出版界の伝説といっていい記録で、未来永劫、破られることはないといわれている。
「ジャンプ」の黄金時代がどれだけ凄かったのか。日本中の少年たちが、『ドラゴンボール』や『SLAM DUNK』に熱狂した。彼らは1秒でも早く「ジャンプ」を手にして、漫画の続きが読みたかった。発売日は学校が終わると真っ先に書店に走り、店頭には子どもが群がっていた。漫画を単行本で読む子どもが多くなった現代では、想像もできない光景であろう。
そういった黄金時代の子どもたちのエピソードを、「ジャンプ」で『花さか天使テンテンくん』を連載した小栗かずまたが描き、反響を呼んでいる。「ジャンプ」の発売日は月曜日だが、一部の首都圏の店舗では発売日の前に入荷し、それをこっそりと常連客に売る“早売り”という文化が存在していた。要はフライングで販売するというわけである。
だが、もちろん早売りは書店界隈でもルール違反である。そこで、書店は信用できる“お得意様”の子どもにだけ販売していたのだ。小栗の漫画の中で描かれている通りで、書店も闇雲に販売していたわけでなく、しっかり信用がおける子どもを選んで売っていたのである。子どもとしても、そういった一人に選ばれると最高だ。「俺は『ドラゴンボール』の続きをあいつよりも早く知っているんだぜ」と、優越感を抱くことができたのである。
こうしたルール違反は、取次などの問屋も決して知らなかったわけではないだろう。むしろ普通に知っていたが、事実上の黙認状態だった。早売りをやっていた書店にも、それほど重要なペナルティのようなものはなかったといわれる。それだけ、店頭に「ジャンプ」を置いておけば飛ぶように売れた時代だったし、出版業界全体に勢いがあったということなのだろう。
あの書店は早売りをやっている――。そんな情報は、SNSがない時代でも子どもたちの口コミのネットワークで共有され、耳に入るものだった。「ジャンプ」を求めて自転車で隣町まで出かけたり、書店を行脚する子どももいたという。まさに、平成の半ばまで、漫画は子どもたちのカルチャーの中心だったのである。
現代ではどうだろうか。娯楽の多様化に伴い、書店から子どもたちの姿は消えた。電車の中で漫画雑誌を読むおじさんの姿も消え、誰もがスマホを凝視するようになった。「ジャンプ」読者層の年齢も上がったと聞く。漫画の楽しみ方も多様化し、日本中の少年たちが「ジャンプ」に熱狂し、クラスで話題にした黄金時代は二度と訪れないのかもしれない。だからこそ、早売りは、昭和から平成に移り変わる時代の文化として、後世に語り継ぐ必要があるだろう。