ハロウィン活用する「池袋」と自粛呼びかける「渋谷」 なぜ対応が分かれた?
今年のハロウィンは大きな混乱がなく終わったようである。注目されたのは、渋谷区が「渋谷はハロウィンの会場ではない」と警告し、渋谷駅周辺に集まらないようにと呼びかけたことだ。3年以上に及んだコロナ騒動で、行政が「自粛」を呼びかける様子はおなじみになったが、現代の若者は行政が出す命令とルールを守る傾向が強いこともあって、例年より仮装している人の姿は少なかったようである。
治安対策としては一定の成功を見せたものの、せっかく盛り上がっていた渋谷のハロウィンの規模が縮小しかねないことを危惧する識者もいる。益若つばさら芸能人の間からも、残念がる声が上がっていた。そもそも、自然発生的に生まれるごった煮感の強い文化こそが、昭和末期から現代まで、渋谷のカルチャーを牽引する原動力になってきた。これに規制をかけると、町の活力が削がれるのではないだろうか。ハロウィンの仮装をする人々と飲食店が共存する方法だっていくらでもあるはずなのだが。
これに対して、ハロウィンを巧みに町おこしに活用しているのは、池袋を有する豊島区だ。「池袋ハロウィンコスプレフェス」は国内最大級のコスプレイベントに成長し、今年で10周年を迎えた。池袋と渋谷は、それぞれ主催者団体の有無や料金の発生などで異なる点も多いため、一概に比較できない部分も多い。それでも、ハロウィンの排除に向かった渋谷に対し、創意工夫でイベントと地域の共存を図ろうとする池袋の姿勢は際立つ。
池袋がこうした漫画やアニメなど、サブカルチャーを活用した町づくりを推進することになったのは、前豊島区長・高野之夫の功績が大きい。高野は古本屋を経営していたこともあり、文化的な事業を重視し、サブカル的なものにも理解があった。椎名町に漫画家の聖地「トキワ荘」を原寸大で復元し、ミュージアムを開館したのも高野ならではの町づくり事業といえる。
記者は高野にインタビューをしたことがあるが、ハロウィンに関しても『サイボーグ009』の島村ジョーに自らなりきったことがあるほど寛容であり、「若い人たちが池袋に集まることが純粋に嬉しい」と話していた。「豊島区には様々なアニメや漫画に関連した施設がある。官民が協力し合って盛り上げていけば、こうしたコンテンツはこの先、日本経済にとって大きな起爆剤になるし、観光客を引き付ける要因にもなる」というコメントが印象的だった。区長の理解で、町のカラーが決まるというわかりやすい例である。
日本のモノづくりは急激に衰退しており、かつては経済を牽引した家電メーカーがアメリカや中国の後塵を拝しつつあるのは誰の目に見ても明らかである。ファッションブランドも、ファストファッションこそ盛り上がっているが、ルイ・ヴィトンやエルメスのようなラグジュアリーブランドが生まれる気配はない。そうした中で、日本が確実に世界をリードできるのはアニメや漫画などのコンテンツカルチャーである。そして、世界中の人々を引き付けているのは、優れた観光資源の存在である。
その両方を兼ね備えたハロウィンは、盛り上げていけば、世界に注目される日本の魅力になる可能性を秘めている。ハロウィンは日本に本来あった文化とは違うという反論も聞こえてくるが、日本文化が外国の文化を上手に取り込んで発展してきたのは、飛鳥時代や、安土桃山時代や、明治時代の文化を見れば明らかだ。こうした進取の精神こそが日本文化をユニークかつ豊かなものにしてきたのである。
もっとも日本らしい文化ともいえるハロウィンを、どう活用していくか。自然発生的に盛り上がり、大規模に成長した文化を衰退させてしまうのはあまりにもったいない。行政、そして民間でアイディアを出し合っていくべきであろう。