坂本龍一にとって「本」はどのような存在だったのか? 書籍『坂本図書』を読む

 私は音楽ライターとして様々なミュージシャンに取材する機会があるが、その作品が個人的な好みに合致する場合は特に、「どんな本を読んできたか」を聞きたくなってしまう。それは単なる余談や雑談ではなく、その人自身の人格形成、人生観、そして、楽曲の本質にもつながっていると思うからだ。

 当然のことだが、音楽家自身を形成している要素は、音楽だけではない。その背景には、映画や絵画をはじめとするあらゆる種類のアートがあり、それらが複雑に結びつき、意図的または無意識的に、音楽家が生み出す作品に反映されているのだ。

 『坂本図書』は、坂本龍一が愛した本、影響を受けた本が、彼自身の言葉とともに紹介された書籍だ。2018年から2022年まで雑誌「婦人画報」で連載された「坂本図書」全36回分のほか、編集者・鈴木正文との対談「2023年の坂本図書」、さらにウスビ・サコ(京都精華大学・学長)、安彦良和(漫画家)との特別対談を収録。文・構成は、編集者の伊藤総研氏が担当し、販売はバリューブックス・パブリッシングが担っている。

 ロベール・ブレッソン(映画監督)、夏目漱石(小説家)、ジャック・デリダ(哲学者)、小津安二郎(映画監督)、八大山人(画家)、武満徹(音楽家)、斎藤幸平(哲学者/経済思想家)ーー。本書で紹介されている作家は、小説家や学者だけではなく、様々なジャンルに渡っている。「ただ残念なことに僕はこれまで、楽しむために本に接したという記憶があまりない」「普段読むのは思想、哲学、歴史、社会学、民族学、民俗学、人類学など、知識を得、見識を深めるための本」(178P)とある通り、坂本は絶えず本に接し続け、自らの視野を広げ続けてきたのだ。音楽家としての功績は言うまでもないが、彼は自らの才能を過信することなく、幅広い分野において、勉強と研究を続けてきた。常に変化と進化を繰り返し、晩年に至るまで優れた作品——しかも自己模倣に陥ることなくーーを生み出し続けられた理由。それは好奇心と探求心を失わず、努力を怠らなかったからだとこの本は教えてくれる。

 この本では基本的に、1人の作家につき1作品を紹介しているのだが、単なるブックレビューに留まらず、優れた作家論としても成立している。たとえば村上龍。『MISSING 失われているもの』を取り上げた坂本は、「記憶されているものは常に失われたもの、失いつつあるものだ」(162P)と、この作品の本質を照らし出したうえで、「しかし彼にとっては、こうして言語化することが、唯一の生き延びる方法だったのかもしれない」(162P)と記している。書くことは生き延びること。長年に渡って友人関係を結んできた村上に向けられた言葉には、強く心を揺さぶられてしまった。

 また、武満徹(『武満徹著作集〈1〉音、沈黙と測りあえるほどに ほか』)を取り上げた章では、武満との交流、彼から直接・間接的に受けた影響についても赤裸々に綴られている。高校時代、尺八などの邦楽器を取り入れはじめた武満のコンサート会場で「回顧主義」と批判するビラを撒いたこと。その後、坂本の楽曲を聴いた武満が、「君は良い耳をしているね」と評価したこと。そして章の終わりでは、「武満さんがやろうとしていたことを、数十年遅れて追いかけている自分に、少し戸惑いを覚えるが」(78P)と結んでいる。これは日常音、自然音を取り入れ、まったく新しい概念の音楽を生み出そうするスタンスを示しているのだが、二人の音楽家の必然的な結びつきは、日本の音楽史にとってもきわめて大きな意味を持っていると思う。

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