【直木賞受賞】ボンクラ将軍・足利尊氏が主人公の「俗」な太平記『極楽征夷大将軍』

 室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、実はボンクラ人間だったとしたら? 今年7月に第169回直木賞を受賞(永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』が同時受賞)した垣根涼介『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)は、そんな見立てとともに『太平記』で描かれた時代を捉えなおす異色の歴史小説だ。

 足利家の側室の子供として生まれた又太郎、後の尊氏は大の怠け者。勉学にも武芸にも身を入れずぼんやりとしていて、言動も間が抜けている。家の者には「極楽殿」と陰で呼ばれ軽んじられていた。こんな人間が、なぜ武家の棟梁になれたのか?何にも考えていなさそうな極楽殿に、自己分析と言語化はおそらく難しい。そこで本書において解説役となるのが、尊氏を支え続けた2歳年下の弟・直義と足利家の宰相・高師直である。物事を客観的に見ることのできる切れ者二人の視点を借りながら、尊氏の人となりが語られていく。

 何の取柄もなさそうに見える又太郎だが、兄といつも一緒にいる次三郎(後の直義)からすると長所がないわけではなかった。海に投げた木片が左右どちらに流されていくかを予想する遊びで、兄はいつも勝つ。勝負の流れを読む力が妙にあるのだ。土壇場で急に性根が据わるところもある。屋敷の中で鬼ごっこをして父・貞氏の大事な硯を割ってしまった時は、弟を庇い責任を一人で背負おうとしてくれた。

 又太郎は元服すると、「高氏」に改名。父の嫡子・高義が若くして亡くなったことから、やがて足利家の当主に収まることになる。その頃鎌倉幕府は弱体化著しく、世の中は騒がしくなっていた。討幕を目論む後醍醐天皇が笠置山で挙兵。足利家は遠征軍に加わり、鎮圧へと向かう。

〈えーっ、と……〉。相変わらずの間の抜けた声で喋りはじめ、殺伐とした軍議の席で呑気に天皇方の戦いぶりを称賛しだす高氏。何たる腰抜けと呆れられるかと思いきや、〈さすがに、心根のお優しい足利殿であられる〉と場が和む。強硬派・慎重派それぞれが納得のいく方針を平易な言葉で説明し、〈――とまあ、わしは今、そんなふうに考えておるのだが、おのおの方は、どう思われるか〉と問いかけた頃には、〈足利殿の申されること、いちいちごもっともでござる〉と、誰もが高氏に靡いていた。

 そこにいる人々=世間の中で渦巻く打算や願望の波を無意識のうちに乗りこなし、人心を掌握していく高氏。その姿は〈今まさに人々の交差する煩悩の上に飛沫を散らしながら大きく逆巻こうとしている、高波そのものである〉。師直はこう表現しつつも、今までの「極楽殿」という認識を改め忠誠を誓うようになる。極楽殿の思わぬ活躍と当主としての資質についての考察は、リーダー論として読んでもおもしろい。こうした分析と理屈っぽさが特徴でもある本書は、流布本の『太平記』を〈君臣の感動譚や誇張表現を売り物にした〉と作中でディスりつつも、歴史を美化せず構造的に描いていく。

 1336年に幕府を開いてからも、平素は相変わらず極楽殿な高氏改め「尊氏」。〈わしは、かねてから申している通り、細々としたことを裁量するは不向きじゃ〉と、政務を弟の直義に丸投げしようとする。直義が抗議しても、〈おぬしはわしを放り出して、一人だけ鎌倉へと帰るというのか。それは、あまりにも卑怯というものではないかっ〉と逆ギレしだす。仕方なく直義は受け入れ、執事の師直にも多くの仕事が割り振られることになる。

関連記事