「自己分析の鬼」三笘薫はいかにして夢を実現したのか? 初の著書『VISION 夢をかなえる逆算思考』に見る人間性
ふとテレビをつけたらCMで、サッカーとは「日常。歩いてる感覚ぐらいでサッカーをやっているような……それはちょっと言い過ぎましたかね(笑)」とはにかんだ笑みを浮かべている。いまやすっかり、人気サッカー選手のひとりとなった三笘薫。この5月に26歳となった彼が、初の著書『VISION 夢をかなえる逆算思考』(双葉社)を出版した。「サッカー全世代、親子、指導者へ120のヒント!」と帯に銘打たれた本作は、果たしてどんな内容なのか。そして、そこから浮かび上がる三笘薫の人間性とは、どのようなものなのか。以下、本作をひもときながら、改めて考えてみたい。
「サッカーとの出会い」と題した第1章から、川崎フロンターレの下部組織(2006~2016年)、筑波大学(2016~2020年)、川崎フロンターレ(2020年~2021年)、日本代表、ベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ(2021~2022年)、そしてイングランドのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン(2022年~)と、これまで所属・出場してきたチームごとに章が分けられ、そのときどきで彼が考えてきたことを余すことなく記しながら、第8章「僕を作るメソッド」で終えられる本書。思いのほかびっしりと書き込まれたその文章は、実際の彼を知る人々の多くが口にしているように「真面目でストイック」……まさに、そのひと言に尽きるだろう。
ちなみに、三笘少年の「あこがれの人」であり、一時期はチームメイトでもあった川崎フロンターレのバンディエラ・中村憲剛は、あちらこちらで三笘のことを「自己分析の鬼」と称している。なるほど、その理由は、本書を読み進めれば読み進めるほどよくわかる。「真面目でストイック」な彼の性格は、何よりもサッカー……そしてサッカーに関わる自分自身のプレーへと向けられるのだ。自分の「武器」は何か(ドリブルだ)。自分に足りないものは何か(フィジカルと決定力だ)。であるならば、その「武器」をどのように磨き、足りないものをどうやって身につけていくのか。自らの長所と短所を徹底的に分析して、さまざまな準備をしながら、次の試合、またその次の試合へと臨むこと。言葉にすると簡単なことのようだけど、実際彼がこれまでサッカー選手としてやってきたのは、その繰り返しなのだ。
けれども彼は、次の試合のこと「だけ」を考えているわけではない。そこで登場するのが、本書の副題にもある「逆算思考」だ。フロンターレのU-12に入団した小学校3年生のときに初めて記入したという「目標シート」。それ以来彼は、「チームメイト、コーチからの信頼を得る」「17歳でプロになる」「22歳で日本代表に招集される」「ワールドでベスト4に導く」など、自らの目標を短期、中期、長期に分けて設定し、そこから「逆算」して今自分がやるべきことを徹底的に考え、実行してきたのだという。さらにもう一点、本書を読みながらつくづく感じたのは、彼は「自己分析の鬼」であると同時に、徹底した「リアリスト」でもあるということだ。
その最たる例が、下部組織時代にトップ昇格を打診されていたにもかかわらず、自らの意思で大学進学を選んだことだろう。少なくともフロンターレというチームにとって、これは異例中の異例の出来事だった。三笘曰く、「日本代表の中心選手となり海外クラブで活躍することを目標にしていた僕は、遠回りに見える大学進学は実はその近道だと考え、トップチーム昇格をお断りした」。ちなみに彼はそこで、「プロでやっていく自信がなかったというのも理由のひとつだった」と正直に告白している。そこには、同じくフロンターレの下部組織出身で、三笘よりもひとつ上の年代にあたる板倉滉(ボルシアMG)と三好康児(バーミンガム・シティ)が、トップチーム昇格後、思うように出場機会を得られてなかったことも、少なからず影響していたようだ。
三笘が進学した筑波大学の蹴球部は、現在のフロンターレの素地を築いたと言われている風間八宏(現・セレッソ大阪 アカデミー技術委員長)が、フロンターレの監督(2012年~2016年)に就任するまで指導していた(2008年~2012年)チームであり、そこから谷口彰悟(アル・ラーヤン)や車谷紳太郎(川崎フロンターレ)といった、のちにフロンターレで三笘のチームメイトとなる選手を輩出したことでも知られている強豪だ。しかし、彼自身はそれと同時に、筑波大学の「体育専門学群」という学科で習得できるスポーツや肉体に関する「科学的アプローチ」にも大いに興味を持っており、実際そこで多くのことを学んだようだ。ちなみに、彼の卒業論文のタイトルは、『サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究』。その具体的な内容についても、本書では簡単に言及されている。
かくして大学時代にフィジカルの強化と「走り方」の科学的な見直しを行った三笘は、大学サッカーの世界で活躍すると同時に、ユニバーシアード日本代表にも選出(意外にも三笘が日本代表のユニフォームに袖を通したのは、このときが初だったようだ)。そこで2つ年上の守田英正(スポルティング)や脇坂泰人(川崎フロンターレ)、同い年でのちにフロンターレに同期入団することになる旗手怜央(セルティック)、ひとつ下の上田綺世(セルクル・ブルージュ)と出会うなど、充実した大学生活を送った(本書でも少し書かれているように、将来の伴侶とも大学時代に出会ったという)のち、2020年に川崎フロンターレに凱旋入団。デビュー1年目から公式戦18ゴール12アシストという驚異の活躍をみせ、チームのリーグ優勝及び天皇杯優勝に貢献する。そして、2021年の東京オリンピックを経て、海外へと旅立っていった彼は、遂にA代表にも選出。晴れて2022年のワールドカップ、カタール大会に出場することになるのだった。